櫛田神社と櫛田宮:筑秦ノ饒速日04 外伝

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【櫛田神社】
博多の街は、夏がやってくるとそわそわします。
それは7月1日から7月15日にかけて「博多祇園山笠」(はかたぎおんやまかさ)があるからです。
博多祇園山笠は「櫛田神社」にまつられる「スサノオ」に対して奉納される祇園祭のひとつで、正式には「櫛田神社祇園例大祭」と呼ばれます。
その櫛田神社を少し覗いてみます。

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山笠は2週間の期間限定のお祭りですが、櫛田神社の境内では、一年を通して勇壮な飾り山を見ることができます。

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「祇園信仰」とは、牛頭天王とスサノオを神仏習合させた信仰のことです。
明治の神仏分離以降は、主にスサノオを祭神とする信仰となっています。
祇園総本社とされる京都の「八坂神社」は、神仏分離令以前は「祇園社」と呼ばれていました。

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では牛頭天王とは何を指すのか?、スサノオとの関係は?、というとこれには定説がないと云います。
「日本書紀」には高麗からの使者の記述があり、天の岩戸事件の後、高天原を追放された「スサノオが五十猛神と共に新羅国のソシモリ(曽尸茂利/曽尸茂梨)に降りた」と記されています。
そしてスサノオは「ここ(ソシモリ)にはいたくはない」と言い残すと、そこから出雲の国に渡ったそうです。
この「ソシモリ」は、牛頭または牛首を意味し、朝鮮半島の各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある事との関連があると言われています。

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八坂神社の社伝には「7世紀、斉明天皇の時代に高麗からの遣いが日本を訪れ、その時に新羅国牛頭山にて祀られていたスサノオが伝来し祀られたのが当社の起源である」と書かれています。
ところが、古代出雲王家の子孫という斎木雲州氏によると、スサノオとは中華秦国の徐福のことを指していると云います。
牛頭天王はインドの祇園精舎では守護神として祭られていて、このインドの牛頭天王が日本に伝来した際にスサノオと習合されたという話のようです。

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櫛田神社の祭神は「大幡主命」「天照大神」「素戔嗚尊」の三神となっています。
この櫛田神社は天平宝字元年(757年)に松坂にある櫛田神社を勧請したと伝わっています。

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境内には有名力士が力自慢に持ち上げた力石が、名前の刻印とともに置かれています。

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「嶋井宗室」屋敷にあった三百八十有余年の風雨に耐えた最後の「博多べい」も移築されています。

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先の伝承を踏まえると、アマテラスとスサノオには、やはり血縁はなかったと考えられます。
斎木雲州氏が代々口伝で受け継いできた伝承では、スサノオは徐福であり、アマテラスは出雲王家が信奉してきた太陽の女神のことであるとしています。

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時の右大臣「藤原不比等」が記紀を編纂することになった時、徐福と共に出雲に渡ってきた「穂日家」の子孫、出雲国造「果安」(はたやす)は、右大臣を新羅の渡来人の末裔だと勘違いし、媚びを売るため、自分たちの祖神を新羅由来の神であると日本書紀に記させた事に因ります。

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つまり果安の浅はかな野心が、現代までの古代史研究家を欺いてきたということです。

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【櫛田宮】
吉野ヶ里遺跡から西に1Kmのところ、佐賀県の神埼市神崎町に「櫛田宮」があります。

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境内は広く、歴史を感じる風格があります。

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どっしりとした肥前鳥居がお出迎えです。
なかなかインパクトのある鳥居です。

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その横には「琴の楠」があります。

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景行天皇が九州にやってきて、「ここには岡があるべきだ」と言ったそうです。
すぐさま岡を作って、そこで宴を開きます。
宴が終わって天皇が琴を地面に置くと、大きな楠になったということです。
この楠を息を止めて7回半回ると、琴の音が聞こえてくるそうです。

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育ちのよさげな神馬がいました。

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琴の池に浮かぶ弁財天。

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櫛田宮本社です。
博多の櫛田神社は松坂にある櫛田神社を勧請したと伝わっていましたが、ここ櫛田宮が櫛田神社の元宮であるという話を聞きました。
元寇の時、櫛田宮の神剣が博多の櫛田神社に贈られたそうです。
すると合戦の時、数千万のヘビが海上に浮かび、戦いを勝利に導きました。
三ヶ月の後、末社櫛田の社壇には、傷を負った蛇が多くみられたと云います。

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御祭神は「素戔嗚尊」「櫛名田比売命」「日本武命」となっています。
「櫛名田比売」(くしなだひめ)はヤマタノオロチから素戔嗚尊(すさのおのみこと)が救った姫で、尊の妻となったと記紀が伝える姫です。
「日本武命」は後に変えられた祭神のようで、元は「足名椎手名椎」(あしなつち・てなつち)、姫のご両親だったそうです。

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博多の櫛田神社には、その名から櫛名田比売が祀られていないのが不思議でした。
でもここに祀られていました。

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本殿の裏には「神崎発祥の地 櫛山(くしざん)」という石碑があります。

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太古の昔、ここは災難が多かったと伝わっています。
その災難の根源とは!

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なんと全長600mの大蛇「八岐大蛇」(やまたのおろち)でした!!

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出雲神話や古事記では、素戔嗚は姫を櫛に変え頭に挿し、甕に酒を満たして大蛇を酔わせます。
そして酔って眠った大蛇の頭を次々と切り離しました。

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これはその酒甕をかたどった石の甕だそうです。

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思わぬところで出雲神話に出くわしました。
八岐大蛇がそのまま存在したわけではないでしょうが、いったい大蛇は何を暗示しているのでしょうか。

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古代日本では、まつろわぬ民らを「土蜘蛛」や「鬼」など、卑しい生き物として呼称してきました。
これは古代中国が他の部族を蔑称で呼んできたことに似ています。

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大蛇退治後、ここに櫛田宮を祀り、幸福の地となったそうです。
ゆえに、「神幸(かみさち)の里」と呼ばれるようになり、今では「神崎」(かんざき)と言うそうです。

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中華秦国の徐福は、佐賀の浮盃に上陸します。
徐福とともにやってきた童男童女や工人、武人らは佐賀平野に住み着き、定住しました。
その里がここから目と鼻の先にある「吉野ヶ里」です。

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秦国の渡来人が住み着いた里にも、元は原住民が居たはずです。
徐福らは稲作を始め、様々な文化をもたらしましたので歓迎されたことでしょう。
稲作が進むことにより、人々は小さな集落を作っていきます。
いくつかの集落が出来てくると、やがて稲作に必要な土地や水を求めた争いが起こるようになりました。

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斎木雲州氏の話では、徐福は日本の王となろうとして渡来したと記しています。
しかし佐賀を中心とした徐福の伝承地を巡ると、彼自身のそうした血生臭い伝承は見えて来ず、逆にそこで慕われ続ける姿が伝わってきます。
僕が思うに、道教の方士、つまり今でいう博士のような立場であった徐福は、純粋に不老不死の霊薬を求める学者だったのではないでしょうか。

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西出雲上陸の際も数ヶ月の滞在で中国に引き返しています。
王となろうとした人としては不可解なものがあります。
初回の渡航では2000人、2回目の渡航では3000人の童男童女を連れ出しています。
これは幼い子供は純真無垢な存在であるというのが理由だと云いますが、不老不死の旅の供としては違和感を感じます。

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徐福はもともと「斉」の国の人です。
徐福は道教の師「張仙」から「今の世は七雄が覇を唱え、戦火は止まず、民は苦しみ続けている。あなたは山を下り、徳のある者を主人に選び、戦乱を平定し民衆に幸福を与えよ」と告げられます。
そこで徐福は「斉王」を助け、国に貢献しようと平地に下りますが、そこで斉国が秦に滅ぼされるのを目の当たりにします。

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中華を統一した秦の始皇帝「嬴政」は様々な事業を起こし、その過程で多くの人民に過酷な労働を課しました。
また意に沿わない人を何人も死罪にしたと云います。
徐福は始皇帝に仕えましたが、このままでは斉の民は幸せになれないと感じたのではないでしょうか。
それで未来ある斉の子供達を二度にわたって命がけで、日本という楽園へ連れ出したとしたら、納得がいきます。

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徐福には日本での野心は感じられませんが、ただ、一緒に連れだった護衛の者たち、例えば出雲に渡来した「穂日」の一族などには傲慢な野心があったようです。
穂日らは出雲王と副王を孤島に拉致し、枯死させています。
この佐賀平野でも、領地を拡大せんとする集落同士の間に争いがあり、「春秋の五覇・戦国の七雄」を経た手練れの渡来人達はこれを制圧したことでしょう。
それが櫛田神社に伝わる八岐大蛇伝承と形を変えたのではないでしょうか。

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出雲に渡った渡来人は「海部氏」となり、佐賀に渡った渡来人は「物部氏」となります。
九州から畿内に東征し、大和國の大王となったイクメ王の息子「景行天皇」は九州物部の故郷にやってきて、ここが悲惨な歴史があった場所と知り、岡(塚)を築き、琴を弾いて亡き霊を慰めたのかもしれません。

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3件のコメント 追加

  1. ganeisha より:

    初めましてm(_ _)m ガネーシャと申します。

    神社に最近興味を持ち始めましたので、興味深く読ませて頂いております。
    櫛田神社(博多)にクスナダヒメの名が出てこないのが不思議でした。
    櫛田という名もその名から来た、と聞いたことがあります。
    少しづつですが古事記も勉強しなきゃと思っております。

    突然コメント失礼しました。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは、ガネーシャ様。
      いつも「いいね」ありがとうございます。

      もともとパワスポ巡りや神話に興味があったのですが、歴史から消された古代出雲王朝の末裔と称する「斎木雲州」氏の著書に出会って、最近は裏の神話巡りに没頭しているところです。
      彼の話によると、稲田姫は出雲初代王「菅之八耳」の后であって、スサノオたる饒速日・徐福とは時代が合わないのだそうです。
      出雲にある須賀神社や八重垣神社の伝承は、菅之八耳を時の権力者がスサノオに書き換えたのだと言っています。

      ちなみに、氏が述べるには、古代出雲王朝に於いて、主神はクナト大神であり、その后神は幸神(サイノカミ・塞の神)であるそうで、その子神とされたのが「サルタ彦」だと言っています。
      サルタ彦はその響きから猿田彦と書かれていますが、サルタは本来「長い鼻」を意味するそうで、実は「ガネーシャ」の事なんだそうです。
      つまり出雲族はインドからロシア、北海道を経て出雲に至った一族なんだとか。

      氏の著書は最初、奇想天外に思えましたが、読めば読むほど、古事記・日本書紀の辻褄の合わなかったところに納得がいき、古代史・真の神話を考える上でとても貴重な資料のように思えました。
      もちろん、口伝で伝えられてきたものでもありますから、100%正しいとも思っていません。
      記紀の知識は必要ですが、さほど難解な本でもありませんので、興味があれば検索してみてください。
      本は大元出版から出されています。

      ガネーシャさんも博多に在住のようですね。
      僕も博多区のやや外れで、美容師をやっています。
      博多近辺だけでも重要な史跡が山ほどありますので、退屈しませんね!

      いいね: 1人

      1. ganeisha より:

        ありがとうございます。
        斎木雲州氏の事を調べてみます。ありがとうございます。
        私も博多在住です。
        今後ともよろしくお願いいたします。

        いいね: 1人

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