鹽冶神社:八雲ニ散ル花 27

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地名とその社名が気になり、訪れた神社、「鹽冶神社」(えんやじんじゃ)です。
鹽冶神社は、島根県出雲市上塩冶町にあります。

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当初、車を乗り付けた場所は裏参道でした。
表はちゃんとした鳥居が建っています。

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主祭神は「鹽冶毘古命」(やむやひこのみこと)。
「出雲国風土記」神門郡塩冶郷の由来に、「阿遅須枳高日子根の命の御子、 塩冶毘古能命が鎮座しておられる」とあり、塩冶郷の地方神として祀られていますが、これは紛うことなきアジスキタカヒコの子「鹽冶彦」(ヤムヤヒコ)を指していると思われます。

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鹽冶彦はアジスキタカヒコの正当な後継者であり、神門臣家を受け継ぐ当主です。
10代少名彦であったと思われ、同大名持である富家「国押富」王と共に出雲王国を支えた人物でだったと想定されます。

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境内には様々な摂社が立ち並びます。

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鎌倉時代に時の守護職塩冶頼泰公が武勇を尊ぶ趣意から誉田別命を合殿に勧請したことにより「塩冶八幡」とも呼称されてきたそうです。

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かつて栄華を極めた出雲王国も、8代主王と副王を同時に失った事件から、翳りを見せ始めます。

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鹽冶彦が治める頃は葛城大和王朝の都が花開いた頃でした。
しかし出雲王家は17代「山崎帯」王の時まで、王国を守り続け、時には裏から日本を支え続けたのです。

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ところで鹽冶彦の名は気になったのは、鹽竈神社などに祀られるタケミカヅチとフツヌシを東北へ先導した神「塩土老翁」(シオツチオジ)と関連があるような気がしたからです。
実際のところはどうなのかは、分かっていません。

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鹽冶神社をGoogleマップでみて見ると、こんな感じですが、

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島根県中近世城館跡分布調査報告書をもとに作成した鳥瞰図を見てみると、
(余湖氏のホームページから引用)
http://www.geocities.co.jp/yogo139/simane/izumosi.htm#enya

元はこのようになっていたそうです。
これは城郭になっていたのではという話ですが、僕はひょっとしたら出雲に多い四隅突出型の古墳だったのではないかと思いました。

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ここは鹽冶彦が眠る古墳だったのではないでしょうか。

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