崇神天皇66年、ヤマトヒメは隠市守宮から穴穂宮へ遷り、そこで4年間奉斎した。
ヒメがその地に至った時、伊賀国造が、箆山葛山戸(みふぢくろかづらやまのへ)と、地口・御田を進呈した。
また鮎取る淵・梁作る瀬など、朝御饌・夕御饌も供した。
『倭姫命世記』の「穴穂宮」の候補地とされる「神戸神社」(かんべじんじゃ)は、三重県伊賀市上神戸の田園の中にありました。
『皇太神宮儀式帳』にも「伊賀穴穂宮」として記される、元伊勢の一つとされています。
陽気のせいもあるでしょうが、とてものどかな雰囲気に満ちています。
主祭神は「大日霊貴命」。
配祀神として、天児屋根命、天太玉命、倭姫命、栲機千千姫命、天手力男命ほか多数の神々を祀ります。
当社も様々な他社合祀の末、配祀神が増えたのだろうと思われます。
倭姫命世記は、ヤマトヒメが隠市守宮から、当地に移り、天照大神を4年間奉斎した地であると伝えています。
その際、伊賀国造は土地や田を進呈し、鮎などの食事を提供したと云います。
本殿を見てびっくりしました。
それは正しく、伊勢神宮のそれです。
それもそのはずで、伊勢神宮と同様に、当社も20年に一度遷宮を行うそうですが、その際に伊勢神宮・風日祈宮の古材を譲り受けるのだと云います。
僕は倭姫命世記の内容は信憑性に足りないと考えていますが、当社と神宮の結びつきは強いように感じました。
7月10日に行われる「初魚掛祭」も、元伊勢としての名残として斎行されているそうです。