大野城跡:八雲ニ散ル花 番外・天智伝 02

投稿日:

p8210132-2018-09-25-21-00.jpg

オオノジョー!

9240592-2018-09-25-21-00.jpg

おおのじょー!!

9240588-2018-09-25-21-00.jpg

大野ジョー!!!

9100477-2018-09-25-21-00.jpg

日本最古の古代山城、国指定特別史跡「大野城跡」へ行って来ました。

583e38388e38299e383a9e38383e382afe38299e38195e3828ce381bee38197e3819f-2018-09-25-21-00.jpg

大野城跡は、福岡県の宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる「四王寺山」に造られた、全長約8kmに及ぶ広大な古代山城跡です。
宇美町方面から太宰府方面と大野城方面に抜ける車道が走っていますが、昨今の大雨のため、今は両方とも通行止めとなっています。

9100450-2018-09-25-21-00.jpg

宇美町方面から四王寺山に入っていき、「焼米ヶ原」駐車場まで車で進めるので、そこを目指します。
途中「小石垣」と呼ばれる石垣があるそうなので、そこへ立ち寄ってみました。

9100452-2018-09-25-21-00.jpg

道の広くなった路肩に車を停め、徒歩で小道を進みます。

9100453-2018-09-25-21-00.jpg

すると右手に何やら石柱が立っています。

9100455-2018-09-25-21-00.jpg

道とは言えない、荒れた道を歩いて行くと、

9100461-2018-09-25-21-00.jpg

滝がありました。

9100463-2018-09-25-21-00.jpg

「鮎返りの滝」だそうです。

9100464-2018-09-25-21-00.jpg

でも周りは鬱蒼とし、祠や石像が取り囲んでいて、ちょっと怖いです。

9100465-2018-09-25-21-00.jpg

c1d-2018-09-25-21-00.jpg

9100468-2018-09-25-21-00.jpg

すっかり心身ともにヒンヤリした僕は、再び元の道に戻って歩き始めます。

9100469-2018-09-25-21-00.jpg

15分ほど歩いたでしょうか、

9100470-2018-09-25-21-00.jpg

丸太の橋を渡ったところに、

9100475-2018-09-25-21-00.jpg

ありました。

9100473-2018-09-25-21-00.jpg

「小石垣」です。

9100472-2018-09-25-21-00.jpg

小石垣とは言え、復元図を見るとかなりの大きさだったことが伺えます。

9100489-2018-09-25-21-00.jpg

現存しているのは、そのほんの一部。
しかしながら、往年の風格を十分に漂わせていました。

9100478-2018-09-25-21-00.jpg

横を見ると、小石垣の上に登れるようです。

9100481-2018-09-25-21-00.jpg

恐る恐る足を運び、

9100484-2018-09-25-21-00.jpg

立ってみました。

9100486-2018-09-25-21-00.jpg

意外に高い。

9100488-2018-09-25-21-00.jpg

c1d-2018-09-25-21-00.jpg

8270001-2018-09-25-21-00.jpg

車まで戻り、車道を走っていると、右手に「百間石垣」という標識がありました。

8270002-2018-09-25-21-00.jpg

車を停めて降りてみると、

8270003-2018-09-25-21-00.jpg

すごい、大きな石垣が残っていました。

8270004-2018-09-25-21-00.jpg

全長約180mにも及ぶことから名付けられた石垣。
大野城の尾根は土塁で防御されていますが、谷部など大雨で土塁が崩壊する可能性がある箇所は、石垣で守られています。

9100545-2018-09-25-21-00.jpg

石垣の中ほどには洞窟のようになった場所があり、石仏が祀られているようです。

c1d-2018-09-25-21-00.jpg

8270008-2018-09-25-21-00.jpg

さて、焼米ヶ原に着きました。
そこからは九州国立博物館が見えています。
焼米ヶ原とは、炭化した当時のお米をここで拾うことができることから呼ばれていて、かつては食糧保管庫であったと考えられています。

9100490-2018-09-25-21-00.jpg

土塁にそって歩くこともできます。
質の違う土を数cmごとに積んでは叩きしめるという工法で造られています。
そう、水城と同じ「版築」(はんちく)と呼ばれる工法です。
大野城の土塁は、場所によっては二重に設けられているところもあり、これら土塁と石垣の総延長は、約8kmにも及ぶといいます。

9100491-2018-09-25-21-00.jpg

焼米ヶ原から少し下ると、「太宰府口城門跡」があります。

9100501-2018-09-25-21-00.jpg

ここに、大野城へ入るための城門の一つがありました。

9100497-2018-09-25-21-00.jpg

大野城跡は、日本の古代史において重要な史跡であることから、国の特別史跡に指定されています。
つまり国宝レベルの史跡であるということです。

9100503-2018-09-25-21-00.jpg

663年、「白村江の戦い」で大敗した日本軍は、百済人難民もろとも日本へ帰国しました。

9100504-2018-09-25-21-00.jpg

その後、強大な「唐」の報復を恐れた時の天皇「天智」(中大兄)は、九州を守る拠点として、急いで「水城」を築かせ、その両端に大野城と基肄城を築いたのです。

9100505-2018-09-25-21-00.jpg

大野城は城といっても、僕らがイメージするような、天守閣のある武家城ではありませんでした。
天智天皇が百済から連れて来た工人に造らせた、土塁と石垣で囲まれた城です。

9100507-2018-09-25-21-00.jpg

城の敷地内には、役所や食糧庫、武器庫、城門、水場(井戸・池)、水門などが造られていたといいます。

9100508-2018-09-25-21-00.jpg

c1d-2018-09-25-21-00.jpg

9100541-2018-09-25-21-00.jpg

太宰府口城門跡と車道を挟んで反対側には、「増長天礎石群」という建物跡がありました。

9100542-2018-09-25-21-00.jpg

城の敷地内には、70棟以上の建造物があったそうです。

9100544-2018-09-25-21-00.jpg

その礎石跡などが見つかっています。

9100512-2018-09-25-21-00.jpg

更に進むと、「鏡ヶ池」という小さな池がありました。

9100515-2018-09-25-21-00.jpg

さしたる水源もなさそうなのに、干ばつの時でも水が枯れないと云われています。

9100517-2018-09-25-21-00.jpg

白村江の戦いから一年のうちに水城が完成し、二年のうちに大野城や基肄城は完成しました。

9100518-2018-09-25-21-00.jpg

他にも大和に至る瀬戸内の随所にも、このような百済式の山城を建てています。

9100519-2018-09-25-21-00.jpg

天智は唐の進撃を、相当恐れていたと思われます。
およそ働ける男はすべて、この土木工事に駆り出されていたと云います。

9100521-2018-09-25-21-00.jpg

しかし結果的に、唐は攻めてきませんでした。
そして、その後、新羅が日本を呪って祈祷しているという噂がどこからともなく広まってきました。
そこで774年、これに対抗するため、この大野城に「四天王寺」(四王寺)を建てました。
これが四王寺山の名の由来となっています。

9100522-2018-09-25-21-00.jpg

四王寺山には、四天王である「毘沙門天」「広目天」「持国天」「増長天」と呼ばれる地名が残っています。
ただしかし、寺の建物跡などは発見されておらず、その実態は謎に包まれたままだと云われています。

c1d-2018-09-25-21-00.jpg

9100523-2018-09-25-21-00.jpg

さて、随分山を降ってきました。

9100525-2018-09-25-21-00.jpg

そこは突き当たりになっていて、

9100527-2018-09-25-21-00.jpg

横に細い降りる道があります。

9100528-2018-09-25-21-00.jpg

少し降って振り返ると、

9100530-2018-09-25-21-00.jpg

雑木に埋もれつつある「大石垣」がありました。

9100533-2018-09-25-21-00.jpg

結局、水城と同じく本来の目的を果たすことはなかった山城。

9100537-2018-09-25-21-00.jpg

しかしそれは、日本が日本のままでいられた、幸運の奇跡でした。

9100540-2018-09-25-21-00.jpg

c1d-2018-09-25-21-00.jpg

9240593-2018-09-25-21-00.jpg

さて、大野城といえば、我らがゆるキャラ「大野ジョー」くん。
大野城心のふるさと館」では、ジョーくんグッズもたくさん販売しています。

9240594-2018-09-25-21-00.jpg

また、期間限定で、簡単なアンケートに答えると、ジョーくんのマンホールカードを無料でゲットできます。

mg_0220-2018-09-25-21-00.jpg

中二階フロアでは、418枚の全国マンホールカードが展示され、

9240579-2018-09-25-21-00.jpg

メーテルのマンホールの実物を見ることができました。

9240603-2018-09-25-21-00.jpg

2件のコメント 追加

  1. maa より:

    大野ジョー!!!笑笑
    初コメント失礼します😊

    いつもこっそり読ませて頂いてます。
    最近、出雲口伝の事を知りこちらに辿り着きました。
    私自身も父方が出雲の出で墓も出雲にありますので、祖母の納骨で初めて出雲に行った時から出雲大社や大国主には何故か興味惹かれるものがありました。
    出雲口伝の内容やこちらのブログで知る内容にびっくり仰天の連続ですが、とてもワクワクしながら少しずつ読み進ませて頂いてます♪
    知りたかった本当の歴史に触れる事が出来てとても楽しい毎日です。

    ありがとうございます✨

    いいね

    1. CHIRICO より:

      大野ジョー!!!
      maaさん、こんにちは。ようこそ偲フ花へ。
      そして、僕の寒いノリにおつきあい頂き、感謝申し上げます♪

      maaさんは出雲にゆかりある方でしたか、それは羨ましいです。
      僕も口伝の内容を知った時は、これまでの古代史感の天地がひっくり返るような驚きでした。しかしその痕跡を辿って旅するうちに、本当に理にかなっていて、改めてその内容の奥深さに感嘆したものです。
      大野ジョーくんにご反応いただけると言うことは、お近くにお住まいなのでしょうか。九州にも出雲を感じさせるところがありますので、ぶらり散策されてみるのも良いですよ。

      いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください