今を遡ること八百年の昔 源氏と平家 鳥の左右の二つの翼のごとく 車の二つの輪のごとく 天下を二分して相争い ついに天下は現時の征する事となった。
哀れ平家の落人よ… 壇ノ浦より逃れ逃れて ここ耶馬溪の里に 敢無くも打ち滅ぼされた平家の落人の霊魂は 河童となって荒れ狂い その災いは人民牛馬田畑に及んだが 村人たちの奏する かっぱ楽により静められ 村は再び平和を取り戻し 天下泰平 五穀豊穣 これぞ 耶馬溪河童太鼓!!
2019年の初詣は、大分県中津市耶馬溪町に鎮座する「雲八幡宮」(くもはちまんぐう)から始まりました。
神功皇后伝承のある当社は、以前から訪れたい場所の一つでした。
参道には小川が流れ、橋が架かっています。
その橋の手前には狛犬ならぬ、狛かっぱの像が。
ちゃんと阿吽のつがいになっており、「あ」のかっぱは、相撲に使う軍配を、
「うん」のかっぱは大好物のキュウリを手にしています。
これらの像は平成2年(1990年)、今上天皇の即位を祝して建立されたそうで、平成が終わる元旦に当社を訪れた偶然に、不思議な縁を感じます。
橋を渡った先にも、小さなかっぱの像が置かれています。
当社にはかっぱの伝説があり、毎年7月29日には、大分県の無形民俗文化財に指定されている宮園楽「かっぱ楽」が奉納されます。
境内には千年杉と呼ばれるスギの巨木が林立していますが、その一本が平成16年(2004年)の台風18号によって折れ、平成22年(2010年)に伐採されました。
伐採時の樹齢は1100年前後であったという巨木の切株は、現在、根くぐりができるように展示されています。
身長180cmの僕でもなんとかくぐり抜けられる大きな切り株、
その中から見上げれば、大きな石などを抱え込んで根を張っていたのが窺えます。
見事な一枚岩の手水は、廃藩置県の前年、明治3年に当地の藩知事、「宗重正」が藩民の繁栄を祈願して奉納したものです。
宗重正とは、対馬府中藩の第16代にして最後の藩主「宗義達」(そうよしあきら)のことです。
拝殿まで上がると、勇ましい太鼓の音が聞こえてきました。
河童太鼓と呼ばれる演目が行われていました。
最初は村の平和を象徴する、賑やかな祭囃子が奏でられていましたが、やがて平和な村に平家の落人が現れ、鎧兜の武者が源平の合戦さながらに演じます。
武者は激しく太鼓を打ち鳴らしたかと思いきや、
ついには力尽きて倒れてしまいました。
しばらく打ち倒れていた武者の霊魂はむくりと起き上がり、
その姿は河童に変貌します。
河童となった平家の落人の霊魂は荒れ狂い、
激しい16ビートの乱れ打ちを奏でます。
すると河童はあたり一帯をうろつき出し、
村人たちに悪さをしだしました。
逃げ惑う村人たち。
ちびっこたちは恐怖に泣き出します。
困った村人たちは、平家の落人鎮魂のため、「かっぱ楽」という祭りを行うことにしました。
祭りによって鎮められた河童は、里の守り神となり、神通力をもって里に平和をもたらしたと云うことです。
以来毎年7月29日にかっぱ楽は続けられ、今に至ります。
初詣で見られたこの演目は「河童太鼓」と呼ばれ、かっぱ楽とは別のものですが、思いがけず面白いものを見ることができました。
雲八幡宮の祭神は「雲八幡大神」(くものやはたのおおかみ)。
この神は八幡大神であるとも、または大山積神であるとも云われています。
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途に、社地の下流約500mにある巨石に腰を下ろして休んだとされ、以来、その石では奇異が起こるようになったと伝えられます。
大宝3年(703年)、この石から七色の雲が立ち上り、中から童形神が現れ、以来、この石は磐座として祀られるようになったそうです。
天延元年(973年)、皇孫である小松女院と通じたとして、少納言の官職を解かれた「清原正高」が、豊前国宮園村に左遷されてきました。
彼はその石の由来を聞き、川の上流にあたる現在地に当社を遷座、社殿が造営されて今に至ると云います。
江戸時代には細川忠興、小笠原長次ら歴代藩主の崇敬を受けたと云う当社。
元禄11年(1698年)に当地が天領となると、日田代官所の支配下に入ったそうです。
境内を散策していると、このような立て札がありました。
振り返ってみると、
確かに立派な千年杉の姿が。
千年杉の麓には、雅な社殿の稲荷社が鎮座しています。
古来この地は「雲の森」と呼ばれ、古歌に詠まれてきました。
「村雨の けさも行き来の 雲の森 いくたび秋の こずえ染むらむ」
「千代をへて 宮居行き来の 人を見し この幹ふとき 神杉かしこ」
さて、神社を出て、下流に500mほど下ってきました。
そこに祀られる巨石を探してみます。
田園にポツンと祀られる巨石。
この巨石は「雲石」と呼ばれ、ここが雲八幡宮の元宮とされています。
雲石を見てみると、3つの石によって中に浮かぶように鎮座しています。
その姿は正に、七色の雲から童神が現れ降りられた磐座「雲のやしろ」の姿を成していました。