太宰府・伝衣塔

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太宰府天満宮の細道に、ひっそりと知る人ぞ知るパワースポットがあります。

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すっかり観光地化した太宰府天満宮は、今では異国の声が飛び交い、風情を楽しむのは難しくなっています。
しかし参道を一本外れると、そこには昔と変わらぬ静けさを佇ませる場所もあるものです。

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そんな裏道をのんびり歩いていると、突如として並々ならぬ気配を醸し出す一角が現れます。

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そこに流れる小川は「藍染川」(あいぞめがわ)と呼ばれます。
この川は謡曲「藍染川」の舞台となった場所と言い伝えられています。

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その昔、太宰府天満宮の神官「中務頼澄」(なかつかさよりずみ)は京に上った時、「梅壺」という女と恋に落ち、梅千代という子をもうけました。
しかし、やがて頼澄は太宰府へ帰らなくてはなりません。

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京に残された梅壺は恋しさが募るばかり。
ついに子を連れて、遠く太宰府まで下ってきました。
それを知った頼澄の本妻は、梅壺に頼澄を会わせることを拒み、意地悪な仕打ちをおこないます。
梅壺は頼澄に会えない悲しみに、世をはかなんで、藍染川に身を投げて死んでしまいました。

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母の亡骸にすがりついて泣く梅千代を見つけた頼澄は、そのことを知り、梅壺が生き返るよう一心に祈りました。
すると、そこに天神様が現れて、梅壺は生き返ったということです。

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この石碑は、梅壺蘇生の碑であると云われています。

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墓や、

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社の立ち並ぶこの場所が特別なのは、梅壺蘇生の伝説ばかりではありません。

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磐座のような巨岩群の手前にある小さな石塔。

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敷地の再奥にあるこの石塔は、「伝衣塔」(でんえとう)と呼ばれます。

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鎌倉時代のこと、崇福寺(そうふくじ)にいた聖一国師(しょういちこくし)の夢枕に道真が現れ、禅の教えを問いました。
そこで国師が宋(中国)の仏鑑禅師を紹介したところ、公は一夜のうちに宋に渡り、忽ちに悟りを開いて戻って来られたと云います。

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その証に道真が受け取ったという法衣を、聖一国師の弟子の鉄牛円心和尚が納めて建てた塔がこの伝衣塔だと伝えられています。

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この時創建された寺が美しい庭で有名な「光明禅寺」なのだそうです。

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光明禅寺の庭は、カメラマンらのマナーが悪いとのことで、現在は撮影が禁止となっています。
誠に残念ですが、稀なる美しい庭は、自分の目で心のアルバムに記憶させるほかありません。
ともあれこの一角は、異界・黄泉に通じるパワースポットなのかもしれません。

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