千田聖母八幡宮:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 20

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景行帝が肥後国山鹿に陣を敷いた時、南の方の茂賀の浦に、八つの光が夜となく昼となく見えたので、大臣を遣わして確かめさせた。
「寒・言・神・尊・利・根・陀・見」と八つの言葉を発するそれは、躰一つにして八頭を持つ大亀であった。
やがて八頭の大亀は天に昇り高皇産霊日神・神皇産霊日神・玉皇産霊日神・生白産霊日神・足皇産霊神・御食津神・事代主神・大宮賣神の八神となった。
これを見た景行帝は八頭の亀を象った島に八神を祀り熊襲退治を祈願した。

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熊本県山鹿市鹿央町の千田川の先に鎮座する「千田聖母八幡宮」(ちだしょうもはちまんぐう)を訪ねました。

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千田川の手前には「千田八島」という聖蹟があります。

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この島は、かつて当地が茂賀の浦と呼ばれていた頃、海(湖)の主であった八頭の大亀に由来するもので、それぞれの島に八神が祀られているそうです。

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八岐大蛇ならぬ八頭の大亀、8は出雲の聖数なので、この大亀も出雲系の血筋を持つ一族を示していると思われます。

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この大亀は土雲族のことか、川岸を蹴破られ、湖が干上がり立ち去ったという話は、大和族に追いやられた原住部族が当地にいたことを暗示しています。

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それにしても「寒・言・神・尊・利・根・陀・見」、これって八卦ですよね。なぜ大亀は八卦を唱えていたのでしょうか、謎です。

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もう一つ気になるのは、千田という地名。
景行軍が大分の竹田で、土雲の青・白、あるいは打猨・八田・国麻侶らを討ち取った時、その流れた血が踝(くるぶし)にまで達したので、その血の流れたところを「血田」と言った、という話を思い出します。

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当地もあるいは、多くの血が流れたのかもしれません。

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さて、八幡宮は数あれど、なぜここが聖母宮なのでしょうか。
由緒によると、反正天皇3年(408年)神託により聖母大神宮として勧請し、神功皇后を祭祀す。後世宇佐八幡宮(応神天皇、仲哀天皇)を合祀、千田聖母八幡宮と称す、とあります。

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確かに壱岐の北端、勝本港のそばの神功皇后の行宮の地は「聖母宮」と呼ばれていました。
しかし反正帝の時代に、神功皇后が果たして聖母と崇められたかは疑問です。

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神功皇后は八幡信仰の主祭神とされる応神帝の母という設定です。その応神帝の3代後の反正帝の御世に、彼女が聖母と崇められたというのは、一見納得できそうではあります。
しかし史実は、応神帝は神功皇后の養子であり、さらにその次代の仁徳帝は応神帝の皇子ではなく、平群臣・都久(へぐりおみ つく)の子です。
つまり神功皇后と反正帝には全く血のつながりはなく、この頃にあえて神功皇后を聖母と祀る理由はないように思えるのです。

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さらに後世宇佐八幡宮(応神天皇、仲哀天皇)を合祀とありますが、宇佐神宮に仲哀天皇は祀られていません。

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このことから、当地における聖母の正体とは、宇佐神宮の真の祭神、比賣大神こと「豊玉姫」なのではないか、と思い至る次第です。

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美しい参道を歩いてくると、古めかしい社殿が建っていました。

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拝殿内も素敵です。

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境内にはたくさんの摂社がありますが、そのご利益が独特で面白い。

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武内神社は中風の神として脳卒中にご利益があり、

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仁徳帝を祀る若宮神社は家畜の神として牛馬・犬猫の健康にご利益あり。

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また、赤腹天満宮はひらくちの神として、毒蛇に噛まれないように願う神とされています。

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それらの摂社群を見ていると、人々の素朴な願いが古くから祈られてきたことを思います。

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諏訪社、

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安部社の奥には、

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虎御前として歯の神を祀る石塔もありました。

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気になったのは猿田彦の石碑群です。

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横から見ると皆、前のめり。
これはひょっとして、月形の石なのではないでしょうか。

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帰り際の裏参道ではなぜか、弥勒菩薩とされる仏像も見かけました。

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