神服織機殿神社/神麻続機殿神社:斎王18

投稿日:

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「機殿の由来」

機殿の祖先は、伊勢神宮神領神機殿神社の祭儀とのかかわりの中で「機殿の里」を誇りに幾多の苦難に耐えて生活し文化が根付いてきた。歴史は古く井出郷といわれ、麻績氏一族の領域で御系郷とも言われた。大化二年(646年)大化の改新により多気郡の領域から白雉十五年に、分離し、飯野郡の一郷となった。
「倭姫命世紀」には垂仁二十三年皇大神宮が五十鈴川のあたりに鎮座された後、織物を担当する役として麻績領主が此の地に住み、上機殿(麻布)、下機殿(絹布)の二社で布を織り、伊勢神宮に奉納奉仕を司り献納されたと記されており、「神明秘書、神宮雑例集」には承暦三年(992年)白川天皇の宣旨により神麻績機殿神社を井出郷(井口中町)に移造されたとある。
戦国時代に入り、「神御衣」神事は中絶されていたが、元禄十二年(1688年)頃より再興され、享保三年藤堂家による三十石の寄進で修復された。又、二十年に一度の遷宮が行われ、今も機織の衣奉職神事は地元奉職人に受け継がれ古代の名残を今にとどめいている。
明治二十三年、市町村制施行により井出郷八ヶ村が合併し神麻績機殿神社の「機殿」にちなみ機殿村が誕生した。
昭和二十七年十二月松坂市に合併後、村名は消えたが「機殿」の地名は現在も継承されている。
右「機殿の由来」を記し強度の誇りとして後世に伝える。

平成十四年三月吉日

追記
竣工記念碑「伊勢機織の里」の文字は、豊原町元松坂市長 奥田清晴氏書

機殿土地改良区

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三重県松阪市に二つの機殿神社があります。

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その2社は「神服織機殿神社」(かんはとりはたどのじんじゃ)と「神麻続機殿神社」(かんおみはたどのじんじゃ)。
両社は元々は同じ場所に鎮座していましたが、後に2社に分かれたと伝えられます。
いずれも神宮125社のひとつです。

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大垣内町に鎮座する神服織機殿神社は下機殿(しもはたでん)あるいは下館 (しもだち)と呼ばれます。

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境内には立派な社務所も建っています。
別宮以外の125社では珍しい。

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本殿は神宮125社でよく見るスタイルのものですが、両サイドに小さなお社がある点が違っています。
そしてそのお隣には、

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どーんと本殿より遥かにでかい社が鎮座します。

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これが機殿(はたどの)と呼ばれる建物で、機織をする作業場です。
八尋殿(やひろどの)とも呼ばれます。

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神々しく重厚な茅葺の屋根。

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皇大神宮(内宮)およびその第一別宮である荒祭宮では、5月14日と10月14日の年二回、「神御衣」(かんみそ、または、おんぞ)と称する祭が斎行されます。

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自給自足を旨とする神宮では、神御衣、つまり神が纏う衣服も自前で作られるのだそうです。

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神服織機殿神社は和妙(にぎたえ)と呼ばれる絹がここで織られます。

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少し南に下った松阪市井口中町にもう一つの機殿神社、「神麻続機殿神社」(かんおみはたどのじんじゃ)があります。

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神麻続の「続」って何だろうと思って調べてみると、「續」とも書くようで、「糸が切れないように繋ぐ」と言う意味があるそうです。なるほど。

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境内に足を踏み入れると、先の神服織機殿神社よりこちらの方がしっとりとした印象です。

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神麻続機殿神社は上機殿(かみはたでん)、あるいは上館(かみだち)とも呼ばれます。

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『倭姫命世記』によると、内宮が現在地に定まったときに内宮近くに機殿を作り、天照大神の服を織らせるため、天棚機姫神(あめのたなはたひめのかみ)の孫の八千々姫命(やちぢひめのみこと)に神の教えに従って和妙を織らせ、神麻績氏の住む麻績郷(おみのさと)で荒衣を織らせたとあります。

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天智天皇7年(668年)8月3日に両機殿で火災があり社殿が失われたため、その後30丈離して両機殿が別々に建てられました。

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こちらも立派な八尋殿があり、神麻続機殿神社では荒妙(あらたえ)と呼ばれる麻が織られます。

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和妙は神服部(かんはとりべ)が、荒妙は神麻績部(かんおみべ)が奉織していたそうですが、前者は彦坐王の子孫で後者は長白羽神の子孫だと伝えられます。
彦坐(ひこいます)は磯城・大和王朝時代の10代大君(天皇)ですが、歴史上では真実が隠され、10代天皇は九州にいた物部イニエ(崇神帝)に置き換えられています。
麻績部は信濃国などの東国に進出し、機織などの技術とともに天白信仰を伝えたと考えられているそうです。

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祭神ですが、神服織機殿神社は神服織機殿鎮守神、神麻続機殿神社は神麻続機殿鎮守神とされていますが、前者は服部の祖先の天御桙命(あめのみほこのみこと)と天八千々姫(あめのやちぢひめ)、後者は麻績部の祖先の天八坂彦命(あめのやさかひこのみこと)とする伝承があるとのこと。

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神麻続機殿神社本殿にも両サイドに小さな社が鎮座しています。

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神服織機殿神社および神麻続機殿神社境内には他に小祠が6つあり、合わせて末社八所とされています。

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これらの小祠は『三國地誌』に、東宝殿(八幡神)・西宝殿(春日神)・摂社稚産霊神祠・三狐神祠・四宮祠・土宮祠・葵祠・寅祠とあるそうです。

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神宮125社の中には、こうした特異な神社もあり、内宮外宮ばかりでなく、気になったところに足を運ぶのも良いのではないかと思われました。

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毎年5月1日と10月1日には両社にて神御衣奉織始祭が斎行され、14日の神御衣に間に合うように数日かけて、和妙と荒妙が織られるのだそうです。
神事は早朝8時に行われるので見に行けそうにありませんが、機織の様子は見に行けるかもしれません。

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5件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    追伸。
    由井正雪に行き詰まって書く内容がページ数に至らなかったら、由井正雪を書けるトコ迄書いて、後は由井正雪とは違う内容を書くのもアリだと思いますよ。短編小説っぽくね。
    それでもまだページ埋まらなかったら、あとがきページで「五条先生と仲間達」みたいな感じの悪ふざけの座談会で、ブログ仲間さん達と歴史認識で、由井正雪のコトを書いたり担当者さんとのやり取りを書いたり。お尻に火が付いた話は掲載としてアリな気もしますからね。
    歴史の本はありふれてます。
    そこに割って入る本は、違った形のモノでもいい気がします。本を受け取る側の心を擽れるそんな本をお待ちしてます。(笑)プレッシャーをかけておいて・・・・ふははは、さらばだ明智くん。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      8まんさん、お久です♪相変わらずの変なテンションで、安心しました。
      おお、短編小説風、よいですねー、って結局書くんかーい。全然負担軽くなってないですぜ(笑
      今100ページくらい書いててですね、あと100ページは書かないかんとです。できれば150ページくらい。そんでいつ書くのかというとですね、仕事終わって夜はまあ無理なんです。エネルギー切れです。じゃあ休みの日に書けばいいのですが無理なんです。試験勉強もこの休みの日にやろうって決めて結局何もせずに1日を終えるタイプなんですわ。じゃあいつ書くのかといえば、それはもう朝しかないわけです。僕は普段、毎朝4:30にアラームがなるんです。4:30,5:00,5:30,6:00となるわけです。で、一回は二度寝してだいたい5:00に起きるんです。仕事の日も休みの日も同じです。それからシャワー浴びて、メシ食って、コーヒー飲んで、アニメ見て、ゲームしてだいたい2時間くらいダラダラ過ごして仕事の準備をするわけです。そこに執筆の時間を入れ込むわけです。
      今、僕のアラームは朝3:30になります。そしてだいたい4:00くらいには起きるわけです。そんでダラダラタイムを少し節約して、合わせて2時間くらいの執筆時間を生み出すわけです。1週間とりあえず続けました。これで1日3ページくらい書き進めることができます。毎日3ページ書ければ50日で150ページです。完成します。この前は保存せずにノーパソ閉じたら勝手に再起動して3ページ分のデータが消えました。死にました。まあ、こんな感じでスムーズにはいかないこともあるので、たぶんあと2ヶ月くらいで完成する予定です。
      由比正雪の話はですね、たぶん面白いと思います。古代史ファンにも、楽しんでいただけると思います、たぶん。とにかくこの本を書き上げないと、僕のネクストがノービギニングなのです。
      あ、そういえば今書いている本の印象的なシーンに隅田川の桜のシーンがあるのですがね、それを実際に見に行こうと思ってですね、4月の3日4日で東京に行くわけです。はい、もう終わっていますね。隅田川、完全に散っていますね。まさか福岡より先に、東京が開花するなんて思わないですからね。まあ、いいや。
      そんな感じで僕は息災です。
      8まんさんも、ごきげんよう。

      明智桐彦

      いいね

  2. 8まん より:

    Zzzzzzあふ・・・・。
    はっ・・・・ここはCHIRICO・・・
    はっ・・・・五条せんせの・・・・
    Zzzzzz・・・おはやふ。明けまして閉めまして・・・・。はっ❗️
    ども、かなり瘡蓋・・・間違えた、ご無沙汰してました。7まん・・・・!?
    8まんです。
    いつの間にかCHIRICOさんから五条さんに。あれですね。由井正雪さんのあれですね。(笑)
    もう、しばらく顔出さなかったんでキャラが定まっておらずこんな感じのご挨拶ですが、息災でしたか?
    こちらも何とか生きてました。ほんと、人手が足りてないのはどこも一緒で余裕無さすぎですわ。
    それでも、来月、とうとう沖縄の一の宮、波上宮、行くことになりました。
    これで日本の一の宮巡りが完遂。
    長かった・・・コロナもそうだけど、人手不足に振り回され、家と仕事の往復とどうぶつの森と(笑)

    五条さん、由井正雪、今年ですよね。(笑)そして念押し・・・ボソッ。
    しっかし大元出版さんも題材は普通、書き手さん提案を引き受けるべきであって題材を用意された上でこれを書けではねえ。得意ジャンルと違うモノではなんとも。まあ、何事も勉強ですな。頑張って下さいませ。
    ・・・夜勤明けでちと、変なテンションの8まんでZzzzzz
    寝落ち終了にて今回はこれにて。
    また会おう明智くん・・・・Zzzzzz。

    いいね: 1人

    1. 8まん より:

      くう・・・奇しくも移動がすれ違いE
      私は3日から沖縄行き、五条先生とは逆行くことになります。
      東京は桜が散りますね。残念。
      物書きの題材として観に行くのに・・・。
      私はリザーブロースタリー東京(スタバ)に、沖縄から戻った足で行くつもりだったのでラッキーであった訳なんですが。中目黒の桜を観る人達とリザーブロースタリーに来る人が重なって、桜の時期は軽く5時間待ちが当たり前なんですよ、あそこ。(汗)

      まだまだ五条先生にも紆余曲折ありましょう、でも、きっと大丈夫です。
      それだけ努力もされてるのですから。
      今回もサイン入りの本を希望します。(笑)

      では、また会おう明智くん、ふはははははは(暗転)

      いいね: 1人

      1. 五条 桐彦 より:

        あなたと私はすれ違う運命なのね🥲
        5時間待ちのスタバなんて聞いたこともありません。さすがは東京😱
        沖縄旅行良いですね、ガンガラーの谷や垣花樋川もおすすめですよ。

        いいね

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