安曽神社/塩野神社

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長野県上田市の塩田平(しおだだいら)に鎮座する「安曽神社」(あそじんじゃ)へとやって来ました。

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創建年代は不詳。
社伝によると貞観年代(860年頃)に国々の諸神及び仏像経巻を収め、後に信濃権守岑嗣が阿曽山舎社(あそやまがしゃ)として再建したとあります。
7~9世紀ごろ、当地・塩田平は大和政権にとって重要な場所であり、当時の先進地帯であった九州の豪族を派遣し、開拓を推し進めていたと考えられています。
その中でも有力な一族が阿蘇氏で、塩田平は「阿宗」とも「古安曽」とも呼ばれていました。

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その後、阿曽山舎社は衰退していたと思われ、寿永年代(1185年)に源頼朝が諸国の神社を修理させた時、当地の地頭・芳沢民部介光綱は、石上布留社(いしがみふるしゃ)の境内に阿曽社を建立して遷座しました。
つまり、現社地は本来、石上布留社だったわけですが、

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その社は現在、拝殿向かって右脇に、小さな境内社として祀られています。
石上布留社の創建も不明ですが、奈良県布留町の石上神宮を勧請したものと考えられています。

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石上布留社の横にあるパネルには、「鶏岩の卵」についての説明がありました。
安曽神社から南に1kmほど離れた山中に「雄鶏岩」と「雌鶏岩」という岩があり、戦国時代に武田信玄が攻め入り、吉沢城を落城寸前までにした時、雄鶏岩が大きな声で「コケコッコー」と鳴いたので驚いた武田軍は慌てて退却した、という伝説があります。

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そして雌鶏岩は3つの卵を産んだ、と伝えられており、平成20年(2008年)になんと、石上布留社の祠からその石の卵が出てきた、ということのようです。オッタマゲー🥚🥚🐣

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それはさておき、安曽神社という神社で阿蘇氏が絡んでいるとなれば、当然祀られる神は阿蘇神であろうと思われるのですが、当社祭神はなぜか「健南方富命」「 大己貴命」「八坂刀女命」となっています。
さらに「八意思兼命」と「大山祇命」を配祀。

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南北朝時代の観応2年(1351年)に兵乱が東国より此の地におよび、芳沢城が落ち、芳沢氏と阿曽社の事蹟は失われてしまったとも伝えられています。

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鎌倉時代以降、幕府は諏訪大社を深く崇敬すると共に、この地を再興していく上で、九州阿蘇の神に代えて地元に親しく勢力のある諏訪明神を勧請祭祀したのは、必然であったろうと思われます。

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そこそこ広い境内には、多くの摂社が祀られます。

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子安社、蚕影社

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男石社、

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神明社、

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天神社、

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そして三峯社。

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村民らの様々な祈りと、各地の講が足を運んだ気配を感じるのでした。

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同じく、長野県上田市の塩田平に「塩野神社」(しおのじんじゃ)があるのですが、nari氏が気になるというので訪ねてみました。

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が、訪ねてみてびっくりの、とても神萌えする神社でした。

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「延喜式」記載の式内社・鹽野神社の論社とされる古社。
しかし保野という場所にも同名社があり、式内社論争の決着を未だ見ないということのようです。

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当社境内社には、健御名方命を祀る上諏訪社と、

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事代主命を祀る下諏訪社が対面するように配置されていました。
下諏訪社に事代主を祀る形は、諏訪入りしたタケミナカタが出雲の春宮・秋宮に祖神を祀った話を彷彿とさせます。

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当・塩野神社の創建は不詳。
社伝によると、白鳳元年(661年?)4月に出雲大社より塩野入の鷲岩に勧請されていたが、後に現在地・塩野へ遷座、とあります。

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しかし杵築大社(出雲大社)は奈良時代(710年~)に造営されたため、白鳳元年では時代が合いません。
天武天皇の時代に出雲大社の分霊を勧請、という情報もありますので、こちらが正しいのかも。

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それにしても、この塩野神社は小川に架かる美しい神橋を渡って参拝するのですが、

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その奥にある社殿がなんともまあ、

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変わっている。

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ぶらりと立ち寄った神社で、突如として現れた二階建て楼閣造りの拝殿に、nariさんと僕はポカンと意表をつかれて見入ってしまいました。
いや、見事。

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本殿も彫刻が素晴らしいのです。
武田信玄が社領十貫文、真田昌幸がさらに七貫文を寄進したという塩野神社は、訪ねる価値ある神社です。

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本殿の見事な彫刻の中でも、左右の斗栱(ときょう/軒を支える組み物)から飛び出た「龍」の存在が際立ちます。
実はこの龍には、かつて目玉があったのだと。

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この龍はあまりにリアルに彫られたため、命を宿してしまい、夜になると御神木のケヤキの木を遊び場にしていたということです。
そうしていると、龍の体が枝に触れて折れてしまい、御神木が枯れそうになってしまいました。
困った村人は龍の目玉をえぐり取り、目が見えなくなった龍はそれから暴れることができなくなりました。

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ある夏の日、大きな夕立とともに落雷がありました。
雷は大きな音と光を伴って御神木に落ち、木は燃え始めました。
残念なことに雨はその後止んでしまい、火は消えず、とうとう御神木は根元のあたりから折れてしまいました。
村人たちは、龍の目玉をえぐるようなことをしなければ、龍が天に昇ってもっと雨を降らせてくれただろうに、と落胆したということです。

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本殿の向かって右奥には、大きな石がたくさんあり、それぞれに小さな社が乗っています。

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不思議な岩々の空間は、今も龍の遊び場であるような、そんな気配に満ちていました。

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2件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110
    ここの二つは私がおねだりしてコースに入れさせて頂きました。
    単純に物部の足跡を辿りたくてとの思いでしたが、ここに建部氏や勝部氏がいたとして、石上布留神社ですから、ブログ公開前にこれだけの手配になるとは思いませんでした。

    1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      40年あまり前にもこちらに参っております。
      当時建部氏・勝部氏を意識していませんでしたが、今になって繋がってくるわけですね
      阿蘇氏以前の石上布留社の元とはいつ頃か?何故誰が?かを掘れるものなら掘りたいです。

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