益田岩船:八雲ニ散ル花 73

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橿原市の中心部から車で約10分ほど走らせたところに、謎の巨石があります。

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その巨石は、明日香村や高取町との境界に近い住宅街の中の山中にひっそりあります。

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「益田岩船」(ますだいわふね)と呼ばれるその巨石までは、駐車場から5分ほど、この小山を登って行く必要があります。

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その道は階段から山道になり、

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やがて竹林の中へと続いていきます。

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そして見えて来ました。

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圧倒的な質量の巨岩です。
石の材質は花崗岩。
その大きさは東西約11m、南北約8m、高さ約4.7mあり、重量も800tから900tにのぼると推定されています。

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上部に四角く彫られた二つの穴があり、その用途をめぐっては、古墳、空海が建立した石碑の台石、古代の天文台、ゾロアスター教徒のための拝火台、はたまた宇宙船の部品であるなど、様々な説が打ち出されています。
今尚謎に包まれているこの巨石ですが、富家の伝承に、思いもよらぬ解答が記されていました。

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富家の伝承によると、それは、聖徳太子のモデルとされる「上宮皇子」の叔母にして、後の「推古女帝」とされる「額田部皇后」(ぬかたべこうごう)によって造られたものだそうです。

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額田部皇后は、仏教は「男尊女卑」だと感じ、忌み嫌ったそうです。
それに対し日本古来の「幸ノ神」は、「女尊男尊」であることを知っていました。
そこで皇后は、仏教を禁止し、幸ノ神を奨励しようと考えます。
そのためには、民衆が信仰するためのシンボルが必要です。
皇后は女神の岩「イザナミノ神岩」を造らせました。

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益田岩船が置かれた「貝吹山」は、 当時、一年の元旦に朝日を拝む場所でした。
当時、まだ天照大神という神格は世に誕生していませんでしたが、太陽神が女神であるという信仰はありました。
そこで皇后は、巨大な花崗岩を使って幸ノ神信仰によく見られる女性のシンボルを造らせたのです。

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女神のシンボル、シンボル、そう、これはなんと、なんとも巨大な「女性の性器」だったと云うのです。
びっくり過ぎます。
あまりの壮大さに、その真相を知った時は空いた口が塞がりませんでした。

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つまり四角く彫られた穴は、女性の二つの穴を表しているそうです。
雨の日にはその穴に水が溜まり、両脇の低くなった場所から流れ出るように造られています。

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この円味のある岩の横にあるギザギザの彫り跡は、隠毛を表しているのだそうです。
恐ろしく抽象的であり、無駄にリアルです。
しかし額田部皇后は後世に、この巨岩がこれほど物議を醸し出させるとは、思いもしなかったことでしょう。

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額田部皇后は正月15日に神食を炊き、この神石に供えました。
額田部皇后が率先して神祭りを行ったから、皇后は「豊御食炊屋姫」(とよみけかしきやひめ)と呼ばれました。
皇后はその祭りに、百官を参列させた、と云います。

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