秋元神社・太子ヶ窟:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 04

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高千穂最大の秘境、そして本来、不容易に近づくべきではない聖域が、高千穂峡の渓谷を渡った先の山奥にあります。
ここ「秋元神社」(あきもとじんじゃ)は、高千穂の中心地から車で1時間近く走った所にひっそりと鎮座していました。

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その秋元集落はびっくりするくらいのへき地にあり、辿り着くのも困難な細い山道をひたすら走ることになります。

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道の途中に「殿の岩」という巨石がありました。

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伝承の内容はいまいち伝わらないですが、とても風格ある大岩です。

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小さな山村である秋元の集落は穏やかな雰囲気で、神社で出会う村人たちも優しげな印象です。

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そこに佇む秋元神社は、しかしながら、やや近づき難い雰囲気があります。

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高千穂神社の元宮、奥宮とも伝えられる当社。

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境内には「稀にみる名水」とうたわれる「御神水」があります。

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甘味を帯びた清らかな水は、秋元の人々を潤してきた名水中の名水。

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「秋元神社」が特殊なのは、参道を登った先にある鳥居の角度が微妙ずらしてあり、更に拝殿もずらして、入口が南西を向いていることです。

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つまり祀られるご神体は南西の正面、北東の鬼門を向いている形になります。
神聖なご神体は通常太陽の方向、つまり東か南を向いているべきで、鬼門である北東を向くということはかなり奇妙なことです。

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その先を地図でたどってみると、そこには「天岩戸」「天安河原」がありました。

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私は天岩戸・天安河原の洞穴は、古代の風葬地であると直感しました。
それは南方系風習の痕跡が残る沖縄のガマと同じ気配を感じ取ったからです。

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そして本殿の裏手にある巨大な岩壁。
当地に出雲の風習も伝わっていたなら、洞穴で3年ほど放置された遺体は洗骨され、このような磐座の元に埋葬されたはずです。

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秋元神社の背後からは、畏怖を感じさせる風が吹き抜けていました。

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両サイドには異界の門のようにそびえ立つ崖があり、

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洞窟らしき穴もいくつか見えます。

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この穴は山伏などが修験のため篭った穴だと云われていますが、古代には此処へ遺体を収めたのではないでしょうか。

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これらの洞穴は霊的な何かが集まって来やすい場所だと、まことしやかに噂され、とある霊能者はこの先の「太子ヶ窟」を訪ねるときは身を守るもの(珠数など)を身につけていた方が良いと忠告していました。

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さて、この「秋元神社」を秘境たらしめるものがこの先にあります。
それを「太子ヶ窟」(たいしがいわや)と言います。

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太子ヶ窟へと続く参道の入口は、秋元神社からまた細い道を進んだ先にありました。

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ただし、この先には軽い気持ちで踏み込まない方がいいと思います。
それは肉体的にも、精神的にもという意味で。

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まずは参道とは名ばかりの「けもの道」が僕の心をへし折りに来ます。
よほどの信念がなければ登りきれないような急斜面を15分ほど登っていくと、急に空気が変わるのを感じます。

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巨大な磐座「太子ヶ岩」が見えてきました。
だくだくと流れていた汗が一気に引きます。
この山は「諸塚山」と呼ばれますが、それは山頂に複数の塚、つまり古い墓があるからそう呼ばれるらしいのです。

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太古に、この山の山頂に眠った者たちは誰なのか。
それは崇高な者の子孫でありながら、虐殺された民達ではなかったか。

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ぽっかりと空いた穴、これが秋元神社の御神体とも言われる「太子ヶ窟」です。
中からは冷気が吹いてきます。

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この中に入る人もいるようですが、僕は入るべきではない、そう感じました。
しばしの間、心を鎮めて、失礼することにしました。
当地に眠る御霊のご冥福を願います。

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天安河原といい、太子ヶ窟といい、本来は清らかな霊域であったと思われます。
風葬にはそうした死霊を綺麗に昇華する効果があり、だからこそ霊的に敏感だった古代人はその葬儀方法を選択していたのだと思われます。
パワースポットブーム、聖域の観光地化で、古代から保たれた聖域の気を乱さぬためにも、正しい歴史を探り、そこでの正しい行いを知ることは、尊い意味があるのです。

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