天岩戸神社・天安河原:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 番外

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高千穂の東にある「天岩戸」(あまのいわと)は日本神話において、最も重要な神跡のひとつです。

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その岩戸を御神体と崇める「天岩戸神社」は、西本宮と東本宮に分かれています。
まずは西本宮へやって来ました。

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里宮を思わせる境内。

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社務所に訪れて申し込みをすれば、神跡「天の岩戸」を渓谷越しではありますが、奉拝することができます。

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手水舎で手口を清めた後、まずは「祓所」で身の穢れを祓い、

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一礼をして、神門をくぐります。

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記紀神話では、神代(かみよ)の昔、天界の「高天原」では太陽神「天照大神」(アマテラスオオミカミ)を始めとする神々が暮らしていたとされています。

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天照大神の弟「須佐之男命」(スサノオノミコト)はやんちゃ者で、高天原で様々ないたずらばかり行っていました。
しかし、そんないたずらが行きすぎて、あるとき機織りの女が事故で死んでしまうという事件が起こります。
あまりのひどいことに天照大神はお怒りになり「天の岩戸」という洞窟に隠れてしまいました。

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「天の岩戸」の硬い岩の戸はしっかりと閉まり、太陽神が隠れてしまったことによりこの世は闇夜になります。
食物は育たなくなり、病気になる者もたくさんでてきます。
困った八百万(やおよろず)の神々は「天安河原」(あまのやすかわら)という河原に集まり、「神議り」(かむはかり/神々の会議)が行われました。
そこで知恵の神「思兼神」(オモイカネノカミ)が一計を案じます。

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神々はまず、「天の岩戸」の前で長鳴鷄(ながなきどり)を鳴かせました。
長鳴鷄とは今の鶏(にわとり)のことで太陽の神を呼ぶ力があるとされます。
次に芸能の神「天鈿女命」(アメノウズメノミコト)が招霊の木(おがたまのき)の枝を手に肌もあらわに踊ります。
それを見て神々は騒ぎたてると、岩戸の中の天照大神は気になって扉を少し開けて様子を伺いました。

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「外は真っ暗でみんな困っているはずなのに楽しそうに騒いでいるのは何でなの?」と聞いてみると、
「あなたより美しく立派な神様がいらっしゃいました」と天照大神に鏡を見せます。
鏡に映ったのが自分の顔だとわからなかった大神はもう少し良く見てみようとまた扉を少し開きます。
その時チャンスとばかりに「思兼神」が天照大神の手を引き、力持ちの神「手力男命」(タヂカラオノミコト)が扉を開け放ち、
天照大神は「天の岩戸」から出てくることになりました。

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そして世の中は再び明るく平和な時代に戻ったと言うことです。

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その時「手力男命」の凄まじい怪力は岩戸の戸を長野の方まで飛ばしたそうです。
その戸は隠されて、その地が「戸隠」(とがくし)と呼ばれるようになりました。
此度の原因の須佐之男命は地上へ追放となり、出雲の地に降り立ちます。
須佐之男命はその後出雲の怪物ヤマタノオロチを退治し、出雲の英雄神となりました。

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さて、いよいよ本殿の右横の扉から「天の岩戸」の神跡である洞窟を見に行きます。

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が、もちろんそこは日本最大の禁足地。
撮影することはできません。
この杜の奥に渓谷があり、それを挟んだ先に崩壊して木も茂り、うっすら窪んだ洞窟らしき神跡を窺うことができます。

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洞窟の崩壊は徐々に進んでいるようで、そのうち全く痕跡を見ることができなくなるかもしれません。

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境内横には往年の風格をにじませた神楽殿があります。

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この建物は旧社殿の一部を再利用しているそうです。

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神域内の敷地は決して広くはありませんが、

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天鈿女が手にした鈴に似た実がなるというオガタマの御神木も植えられており、見所が多く、いつもは参拝者で賑わっています。

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岩戸に引きこもった天照を世に取り戻すため、神々が話し合ったと云われる場所、「天安河原」(あまのやすかわら)。

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天安河原は、天岩戸神社の裏参道を抜けた数百メートル先の沢を下ったところに実在します。

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下り坂を沢に向かって降りていくと、ひんやりとした霊気が体にまとわりつき始めます。

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途中には地蔵などが祀られた小祠がちらほら。

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しばらくすると太鼓橋があります。

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この橋は別れた支流に架かっており、

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ここが日常と異界の結界のような役割を果たしているのだと、感じました。

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今、天安河原は高千穂観光の目玉となっています。

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絶景系の写真集やガイド本にもよく紹介されるようになりました。
しかしそれもどうか、と僕は思っているのです。

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霊の吹き溜まり、ここはそんな場所です。

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やがてぽっかりと口を開けて現れる「仰慕ヶ窟」(ぎょうぼがいわや)。

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この一帯が天安河原と呼ばれ、八百万の神々が集うので、ありとあらゆる願い事が叶う場所とされています。

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その願いの数だけ小石が積まれていますが、そのような人の欲、思念をここに積もらせるのは、間違った行為であると思われます。

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各地を巡った今ならわかります。
ここは遥か昔の風葬地です。
沖縄のガマと同じ空気を感じます。

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インドネシアなどでは近年まで、横穴式の洞穴で風葬を行なっていました。
その南方系古代人は沖縄方面から日本へ移住し、九州付近までその勢力を拡大していた痕跡があります。
天岩戸もそうかもしれませんが、この仰慕ヶ窟は三毛入野一族が高千穂を支配するまでは、風葬地だったのではないでしょうか。
天岩戸神話は天照大神の死と再生の物語でもありました。

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当地では願いの数だけ小石を積むといいように伝えられていますが、これは賽の河原の石積み同様、本来は幼い命を鎮めるためのもの。
そして多くの人が、ここでは気分が悪くなってしまうものと思われます。

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いえ、決して風葬地が悪い気が溜まる場所というのではありません。
正しく守られていれば、久米島のヤジャーガマ がそうであるように、きれいに魂を昇華できる真の聖域となり得るはずです。
風葬は最も崇高な葬儀のあり方だったろうと、僕には思われてなりません。

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しかしその聖域が観光地化されたことで、何も知らない人の邪念が積み重なり、また訳のわからない霊能者やスピ系の人がチャネリングまがいのことをしょっちゅうここでやらかしているので、気が荒んでいるのです。
これには社側、観光協会、霊能スピ系の人の罪は重い。

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ここでは静かに命の冥福を祈り、今ある命に感謝をし、そして少しだけ奇跡的な、その美しさに浸らせていただく程度に留めておくべきなのです。

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西本宮へ戻ってきました。

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帰り際、天照大神が見送ってくださっていることに気がつきました。

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お米と稲穂を手に、世の豊穣を約束してくださっております。

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さて、「天岩戸神社」には「西本宮」があるように、「東本宮」もあります。

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東本宮は、西本宮前にある渓谷を渡り車で2~3分のところに鎮座しますが、観光コースから外れているようで、賑やかな西本宮と対照的に落ち着いた、静謐な空気に満ちています。

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東本宮は天岩戸の窟がある崖の上にありますが、ここは、岩戸から出てきた天照大神が思兼神に手を取られ、その後の住いと決めた場所と伝えられます。

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訪ねてみると正に古の居住区さながらの雰囲気で、心清々しく、ほっこりします。

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古の女戸畔、巫女の居住地だったように思えるのですが、

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先ほどの風葬地の上に居住区があるとも思えず、僕のどちらかの見解が間違っているのかもしれません。

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ともあれ、天安河原を訪ねた後は、こちら東本宮を参拝されることをお勧めします。
ざわついた気持ちを洗い流してくれるような、心地よさがあります。

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天岩戸神社東本宮は、三毛入野族がやって来る前のアララギ族の王宮跡だったとしたら納得です。

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東本宮には、伊勢式の質素かつ美しい本殿が建っていました。

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本殿の裏の方では御神水が湧き出ており、

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一段と清らかさが感じられます。

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そこからまた少し奥には、

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一つの根から7本の杉が林立する「七本杉」を望むことができます。
横には二本杉もあるので九本杉に見えなくもないですが。

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神話では、岩戸から出て来た天照大神に須佐之男命は、出雲で退治したヤマタノオロチから手に入れた神剣「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)を献上します。
これによって姉神は弟神を許し、和解に至ることとなりました。

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東本宮に注ぐ陽光は、安らぎを得た天照大神の優しげな微笑みのように感じられたのでした。

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5件のコメント 追加

  1. Sembra un luogo magico 😱 è bellissimo!

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      Questo è un luogo popolare per i turisti stranieri ♪

      いいね: 1人

  2. 8まん より:

    天岩戸神社・・・昨年行きました。天の安河原、西本宮・東本宮。懐かしい(笑)東本宮にアメノウズメ人形が音楽とともにグルグルしてたような。
    私が行ったときは外国人観光客を含め結構な人で賑わってたと記憶してましたが・・・やはりコロナで閑散とした感じだったんですかね。
    侘寂で感じるこちらの方が私としては好きですが、周辺のお店は大打撃ですな。
    さてFBではHさんと繋がりが出来て良かったです。私には混乱する一族表記もCHIRICOさんには理解出来ちゃうんですから、うらやましいです。
    ではでは。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      8まんさん、おはようございます。
      アメノウズメ人形は今もぐるぐる回っております。
      あれは近づくとセンサーで回り出すので心臓に良くない(笑)

      10年前くらいは、高千穂も今のような侘びた風情でしたが、それからインバウンドで騒がしいことになっていました。
      商店や宿に至っては、閉店の危機にあるところも多いようで、もちろんこれは当地に限ったことではありません。
      インバウンドも観光地産業活性化には必要なパワーなのでしょうが、どこへ行ってもあの騒がしい人たちであふれていた頃には戻って欲しくもなく、コロナ収束後は程よい調整を図ってほしいものです。

      Hさんと交流のきっかけをいただけたこと、心より感謝申し上げます。
      かの王家の血が、今も健やかに受け継がれていることに何よりも感動を覚えます。
      Hさんのお話になる内容は誠壮大で、私にも理解するのに必死です(笑)
      しかし視点が広がるというのは、また楽しいものですね。

      今日は今からまた、高千穂に追加の写真を撮りに行き、間に合えば阿蘇の赤牛丼を食べてこようかと思っています。
      今のシリーズは過去にあげた記事の焼き直しですが、とても興味深い内容で、新たに結びついた内容を加えて再掲していきます。
      ひと段落したら、例のグループにも投稿してみたいと思います。

      いいね

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