千鹿頭神社(松本):八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 番外

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長野県松本市に鎮座する「千鹿頭神社」(ちかとうじんじゃ)を訪ねます。

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ナビで案内された場所は裏参道側かと思いましたが、違いました。

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白塗りの鳥居のそばに「化粧井戸跡」なるものがあり、昭和初期まで御柱祭の時、ここで柱の先端を清めたのだと記されていました。

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この千鹿頭山には2社、「神田千鹿頭神社」と「林千鹿頭社」が並列して鎮座しており、一の鳥居も参道も別に設けられています。
つまりこの白塗りの鳥居がある参道は林千鹿頭社のものとなります。

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舗装された参道をしばらく登っていくと、社殿が見えて来ました。

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まず見えて来たのは、天高く聳える2本の御柱。

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さらに社殿奥に2本あり、計4本の御柱が社殿を囲います。

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柱の根元を見ると溝が設けられ、なるほどこのような感じで御柱が立てられるのかと知ることができました。

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低山の上に建つ重厚な拝殿。

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その奥にあるのは茅葺の舞殿か神楽殿かと思いきや、微妙に中心をずらして建てられています。

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これは両者とも拝殿であり、手前が神田千鹿頭神社、奥の茅葺が林千鹿頭社のものとなります。

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そして本殿も仲良く二つ。
左が林千鹿頭社で右が神田千鹿頭神社。

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千鹿頭神社は、古くは「先の宮」(まづのみや/さきのみや)に在りましたが、天文年間の武田氏との戦いで社殿が焼失し、この場所に遷され、林城主の小笠原氏を始め松本藩主の尊崇、寄進を受けて隆盛したそうです。

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その後の元和4年(1618年)、千鹿頭山の分水嶺(ぶんすいれい)で南北に神田領と諏訪藩領に別れることになり、両藩の境に二社の社殿が並ぶ今の形になりました。

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創建は不詳ですが、古代からの洩矢の系譜「千鹿頭大神」を祀り、諏訪信仰と深いつながりのある神社。

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千鹿頭は明治初期に成立した『神長守矢氏系譜』によれば、守宅神(洩矢神の息子)の子であり、祭政を受け継ぐ守矢氏の3代目に数えられています。

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「守宅神、生まれて霊異幹力あり、父に代りて弓矢を負ひ、大神に従ひ遊猟し、千の鹿を得る。一男有りて、これを名つけて千鹿頭神と曰ふ。千鹿頭神、継ぎて祭政を主(つかさど)る」
名前は守宅神が鹿狩りをした時に1,000頭の鹿を捕獲したことに由来すると云われていました。

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ところでこの千鹿頭神社、林と神田で社殿は別々ですが、御柱は両社殿を共通して四本で囲んでいます。

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しかし御柱を建てるのは両地区力を合わせてなされるのではなく、神田が「一・四」、林が「二・三」と、それぞれが自分の地区で用材を調達して建てるのだそうです。

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千鹿頭神社本殿の裏手に小さな祠が見えます。

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味わいのある石の祠と木の祠。

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これは「服神社」(はてがみしゃ)と呼ばれ、は古の鎮守神で祭神は建御名方(たけみなかた)とされていますが不明な点も多いとのこと。
2社並列しているのは林・神田に分かれたことに起因するようです。

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さらにその裏を登り進むと、

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立派な展望台がありました。

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そこからは北アルプスと松本市街が一望できます。

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汗ばんだ体に爽やかな風が吹き抜けます。

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信濃国はほんとうに懐の深い国だな、と思いました。

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一旦、千鹿頭神社本殿まで戻り逆の方へ歩いていくと、「先の宮」という表示がありました。

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再びゆるい丘を登っていくと

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先の宮の背後に出ました。

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これが「先の宮」、ここに本来、千鹿頭神社は鎮座していたと云います。

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今、先の宮に祀られる神は大己貴神命なのだそうですが、それが古来からここに祀られていたのか、後年に祀られたのか不明です。

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この先の宮が鎮座する丘は「うらこ山」(浦湖山)と呼ばれ、

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眼下にある千鹿頭池は「浦湖」と呼ばれていたようです。

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先の宮から北西方面、千鹿頭池側に降りていくと、宿世結神(しゅくせむすびのかみ)が祀られた小さな石祠「結神社」がありました。

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祠の中には出雲的な道祖神が彫られていました。

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当地の由緒では、有明山下の魏石鬼退治のため当地を訪れた坂上田村麿将軍の副官・藤原緒継が当地の林六郎公の息女・うらこ姫を見初め、結ばれたとしており、その故事により縁結びの神を祀っていると言うことのようです。

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しかし『神長守矢氏系譜』では千鹿頭神の后神に「宇良子比売」(うらこひめ)の名前を見ることができます。
つまり、後の伝承で別の話が混同されしまったが、当地は本来、千鹿頭の妃・うらこ姫の出生地だったのではないかと思われます。

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守矢氏の系譜は、千鹿頭神が宇良古比売を娶って宇良古山に移ったと伝えていました。
これは千鹿頭神が一部の伝承で、諏訪氏に祭祀の中心を乗っ取られ追い出されたと伝えるものを示しているのかもしれません。

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千鹿頭池の反対側のうらこ山麓にひっそりと、こちらにも宿世結神が祀られた祠がありました。

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先の結神社が神田側で、こちらが林側のようです。

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千鹿頭神社は本来、林藩が大元であり、神田が後に分かれましたので、この結社が元の社になるのでしょう。
千鹿頭神・千鹿頭族は妻の実家でしばしの安住の後、信濃国を捨てて東国方面に移住していくのでした。

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