
摂津国風土記に云ふ。
比売嶋松原。
軽嶋豊阿伎羅宮御宇天皇(かるしまあきらのみやにしろしめすすめらみこと/応神帝)の御世、新羅国に女神ありて、その夫から逃げ去って、しばらく筑紫の国の伊波比(いはひ)の比売嶋に住んでいた。
そこで女神は、
「此の嶋はなお遠く来たとはいえぬ。 もし此の嶋にこのまま住んでおれば、男神(おかみ)は尋ねて来るだろう」
そう言って、 更に遷り来たりて、遂に此の嶋にとどまった。
故に元の住処の地名を取りて、これを以て嶋の名とした。
ー『万葉集註釈』所引『摂津国風土記』逸文


大阪市西淀川区姫島に鎮座の「姫嶋神社」(ひめじまじんじゃ)を訪ねました。

見事な反りの笠木、ウイングガンダムのようです。知らんけど。

当社の祭神は、「阿迦留姫命」(あかるひめのみこと)と「住吉大神」(すみよしのおおかみ)。
他に神功皇后も配祀されているようです。

創建は不詳ですが、当地は難波八十島の姫島の旧地で、『摂津風土記』に女神が新羅より逃れて来た比売島松原がこの地であると考えられているようです。

アメノヒボコ(あるいはツヌガアラシト)から逃げに逃げまくった「逃げ上手の姫君」は、『摂津国風土記』によると、最終的に難波に移り住み、元いた島の名をとって姫島と名付けたとあります。

しかしヒボコの名誉のために言っておきますと、彼は女の尻をおっかけて、はるばる日本にやってきた残念男子ではありません。
祖国の父王に見捨てられ、出雲では拗ねてちょっぴりヤンチャした彼ではありますが、長い船旅の先に辿り着いた但馬で円山川河口の大干拓を行い、当地の英雄となりました。
ヒボコは但馬を安息の地とし、その後、そこから出ることはなかったといいます。

姫嶋神社の境内には、白いモンスターのような、奇妙なものがありました。

なんとホタテの絵馬です。こんなの初めて見たぁ。

そしてモンスターが取り囲む黒いタワーは「はじまりの碑」と呼ばれるもの。
社務所で「断ち玉」というお手玉のような赤い玉をいただき、この穴に通すことで悪縁を断ち切る、ということのようです。

つまり赤い断ち玉とはじまりの碑で過去の因縁を断ち切り、ホタテの絵馬に未来の願いを書いてリスタートするというシステム。
姫嶋神社は『やりなおし神社』として、世の女性から人気なのだそうです。

姫嶋神社は昭和20年6月15日の第2次世界大戦の空襲で、社殿、宝物、過去の文献などのすべてを焼失しました。

境内の楠社(稲荷社)の背後にある楠には、その時の戦火の跡が残っており「再出発の木」と呼ばれています。
姫嶋神社自体が、全てを失ったところから再出発し、今の立派な神社として蘇ったところなどは、まさに「やりなおし神社」たる所以であると思われます。

さて、摂津国風土記逸文にある、姫嶋の名の由来について。
これは少々不可解な点があります。

アカルヒメはストーカー夫から逃れて、豊後の姫島に留まったとあります。
しかしその島は新羅から遠く離れたとは言えないから、大阪までさらに逃げたというのです。
大分の姫島は沖合の小さな島です。大和の次に栄えていたであろう摂津よりも、そのまま姫島に隠れていた方が良いのではないでしょうか。

さらに、大阪の定住地を元の住処の地名をとって、姫嶋の名としたと言いますが、なぜ途中で留まった島の名を付けたのか。
逃げる女が、わざわざそんなマーキングをするものでしょうか。

摂津の姫島は、古代難波八十島のひとつであった比売島がこの地にあったことから、地名になったとされています。
古代の大阪平野(阪神平野)は、東は生駒山麓、西は六甲山麓まで深く入りこんだ海でしたが、淀川、大和川、武庫川などの運んできた土砂が、河口に堆積して洲をつくり、幾つもの川中島が浮かんでいました。
これが難波八十島と呼ばれたものでした。

その複数の川中島の一つが比売島と呼ばれたのは、大分の姫島と関係があったのかどうか。
関係があったとするなら、摂津国風土記逸文のアカルヒメ逃走ルートを見て思うのは、黒曜石の輸出ルートだったか、ということです。
鉄が主流となる以前、いわば石器時代に豊後の姫島から摂津の比売島に移住した人たちがいた可能性はあると思います。
アカルヒメ誕生の元となった赤い石とは、黒曜石のことか。

もうひとつ、摂津比売島の名の由来として考えられるのはその鎮座位置。
姫嶋神社は淀川下流にありますが、上流には三島鴨神社が鎮座しています。
三島鴨神社もかつては川中島に鎮座しており、三島族の偉大な姫・ミゾクイヒメにゆかりある神社です。

この川中島に姫神を祀るというのは、四国吉野川流域の宮島八幡宮(浮島八幡宮)にも通じるものがあり、あるいは瀬戸内海を大きな川と見立てると、そこに浮かぶ宮島に豊玉女王を祀り斎島としたことにも通じるのかもしれません。
つまり、アカルヒメという概念に限らず、淀川河口の川中島に偉大な巫女神を祀ったのが、摂津比売島の由来である可能性も高いと思われます。

ではなぜ川中島に巫女神を祀るのかというと、川は穢れを祓い流す場所、つまり禊祓いの女神の側面を持つのです。
神の穢れをも禊ぐ聖水は「月読の持てる変若水」、禊の女神が坐す川は、変若水の川とされていたのかもしれません。

ところで「赤い断ち玉」で思い出しましたが、男子の打ち止めで出てくるという赤い玉の話って、どうなったのでしょうか、ね。


こんにちは。
赤留比売命、、玉櫛姫、下照姫のことを考えていたら、時系列も口伝もめちゃくちゃになってしまうエンドレススパイラルが始まったので、しばらく前に考えることを辞めてしまいました。が、気になっているので、恐らくこのお社にまた行くと思います。アカルヒメ誕生の元となった赤い石とは、黒曜石のこと、とはなるほどですね。
定期的に何かのマイブームがあって。。今は近江のお社や古い伝承に沼っています。そしてまた、とあることが気になってしまい、神功皇后の存在に戻っていきました。。五条さんの神功皇后のブログをまた最近は読み直しています。神功皇后と新羅と天日槍。出雲族と加耶。ヤマト朝廷と百済。天日槍と赤留比売命のことも、何やら繋がってきそうです。ああわからない(^_^;)
こんにちは。
おそらくこの神社は、アカルヒメよりももっと古い女神を祀る神社なのではないかと思われます。
実在のアカルヒメに迫るのであれば、もっと西側の神社を目指す方が良いのではないでしょうか。