広島のど真ん中、JR広島駅から500mの稲荷町に「稲生神社」(いなりじんじゃ)が鎮座しています。
元和5年(1619年)の創建と云われている稲荷信仰の当社ですが、のちに「稲生物怪録」で知られる稲生武太夫が合祀され、祭神とされています。
神社も絶賛アピール中。
祭神は「豊受大神」(とようけのおおかみ)、「大国主大神」(おおくにぬしのおおかみ)、「稲生武太夫公霊神」(いのうぶだゆうこうれいじん)。
稲荷社に豊姫が祀られるのはまあわかりますが、大国主が祀られているのは珍しい。
稲生物怪録は広島県北の、僕がこよなく愛する「三次」(みよし)に伝わる怪異譚です。
宝暦年間(1751-1764年)、浅野藩に稲生武太夫という、剣技にすぐれた兵法指南の男がいました。
この武太夫の元には、太歳神社の裏、比熊山山頂付近にあるという「たたり岩」に触れて以来、毎夜毎夜あやかし物が現れて彼を脅かそうと試みます。
しかし武太夫は平然とこれを受け流し、ついに魔物の総大将が現れます。
「拙者は山ン本五郎左衛門と申す魔物の主である。長年多くの者を見てきたが、そなたのような勇気のある者は知らぬ。
まこと感服申した。よって拙者をいつでも呼び出せる小槌をそなたに与えよう」
そして山ン本五郎左衛門と名乗った武士の魔物は、木槌を平太郎に手渡し、多くの妖怪が担ぐかごに乗り、雲のかなたに消えていったのでした。
その山ン本五郎左衛門が残した小槌が実際に寺宝として伝えられるのが広島市東区山根町の「國前寺」(こくぜんじ)となります。
当院は尾長山(二葉山)麓で庵を営んでいた暁忍が日像に師事、暦応3年(1340年)「暁忍寺」として開山したのに始まるとされます。
明暦2年(1656年)、広島藩浅野家2代藩主浅野光晟正室の満姫(加賀藩主前田利常の三女)の帰依により浅野家の菩堤寺となり、現名の「國前寺」に改名されました。
1月7日には國前寺稲生祭が執り行われ、例の木槌が公開されます。
この日の祈願を申し込んだ人は、御札と木槌が授けられるとのこと。
また、本堂裏手の墓碑群の中に、案内板もなく、あまり人に知られずひっそりと、稲生武太夫のものと伝えられる墓があります。
三次を第二の故郷と愛するものとして、墓前にてしばし黙祷し、その場を後にしました。
陰陽師に退治してもらわねば!
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いえ、よく読んだら、的違いでした。小槌が私も欲しい!
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(笑)そうなんです、陰陽師にたのむまでもなく、妖達は稲生武太夫が追い払ってしまったんですね。
この稲生武太夫のもとに30日に渡って現れたという妖もの達は、ひょうきんでどこか憎めないんですよ。
小槌、僕も欲しい!果たして何を願いますか。
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