味水御井神社〜神功皇后紀 14

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(山門の巫女だと…)
「気持ち悪い。」
神功皇后は身籠っていた。
橿日宮での神託は、皇后の子が国を治めるだろうと告げていた。
しかし子を孕むということが、これほどきついとは思っていなかった。

皇后はこんこんと湧き出る泉のそばでその水面に映る空を眺めていた。
そこは以前、大王と筑前視察のために訪れている。
その時もこの清い水にどれほど癒されたことだろうか。
昨夜はひどい吐き気で食事はほとんど喉を通らなかったが、この清水のおかげでなんとか平静を装えた。
羽白熊鷲を征伐し終えた今、残る憂いは「山門の姫」のことである。
「忍代別王」(オシロワケ/景行天皇)の九州征伐の折、帰順した「神夏磯姫」の子孫という。
それを信頼し、ここ山門の手前まで案内させ、大王と自分は一時この地で過ごしたのだ。
その大王はここから橿日への帰路、羽白熊鷲の矢に射られ、崩御した。

「あの女が熊鷲をそそのかしたに違いない。男をたぶらかす卑しい女よ」

皇后はそう確信していた。
そして祟った神の名を聞くための「小山田邑」の儀式には、何食わぬ顔で出席し、皇后自身の命も狙って暗殺を試みた。
幸い暗殺は失敗に終わったが、女を取り逃がしてしまったのは痛恨の極みだ。

この高良山の麓に来て、民の話を聞いた。
あの女は山門の巫女姫で、あの「日の巫女」の再来と噂されていると。
(やまとの日の巫女とは笑わせる。こんな片田舎の女風情が私と肩を並べるというのか)
むかむかと、気持ち悪さが酷くなり、やがておどろおどろしいものに変わっていく。

「あの女、たぶらかつ女だけは許し難し」

皇后の目には、嫉妬と憎悪の炎が宿っていた。

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【太刀八幡宮】
羽白熊鷲戦に勝利した神功皇后軍は、勝利の余韻もつかの間、次の戦いに臨みます。
その相手は筑後山門の土蜘蛛「田油津姫」(たぶらつひめ)。

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「太刀八幡宮」(たちはちまんぐう)は、美奈宜神社から少し下った、筑前ののどかな田園地帯にあります。

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本参道には珍しい、子持ちの鳥居。

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厳島神社などを連想してしまいますが、ここは「宗像三女神」を祀る神社。
厳島神社も宗像三女神の一柱、「市杵島姫命」を祀ります。

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本殿に向かう参道横に「太刀塚」があります。

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神功皇后はここに、天神地祇に太刀を奉納しました。

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この辺り地名は皇后が兵士に太刀を研がせた「徳次」、刀にさび止の漆を塗った「塗器」という地名がついています。

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刀に漆を塗るということは、鉄の刀だということです。
皇后軍はすでに銅から鉄の刀に移り変わっていたことを物語ります。

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納めた刀の銘は「乙王丸」。
兵士たちに武器の手入れをさせ、刀を奉納した皇后は次の戦へと臨みます。

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この辺りから皇后は宗像三女神を祀り始めます。
神功皇后と共にした宗像神の奉仕者は宗像族ではなかったようです。
それは謎の一族、筑紫の「水沼」(みぬま)の一族でした。

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【福成神社】
太刀八幡宮からさらに少し下って「福成神社」(ふくなりじんじゃ)に訪れます

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福成神社も宗像三女神が御祭神です。
菱形柄の参道がとてもモダン。

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ここは水沼の君の聖地だった可能性があります。

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拝殿の中はとてもにぎやかです。

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謎の一族「水沼の君」は古い宗像三女神ゆかりの地にて、よく目にします。
宇佐の「三女神社」(さんみょうじんじゃ)そばにも聖地として「水沼井」(おみず)という井戸がありました。

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宗像三女神の伝承地でよく見かけるのは「天真名井」(あめのまない)という産湯の井戸です。
女神の降臨とともに天真名井もついてきて、女神を育てたと言います。

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水を司る女神、聖なる井戸、水沼の君、これらが深く絡んでいるようです。

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久留米・柳川・筑後・大川を含むかつての広大な「三潴郡」(みずまぐん)は水沼の君が納めた地区の名残だと思われます。
その水沼一族は、ある時忽然と歴史から消えてしまいます。
神功皇后は筑前筑後に横たわる悠々たる「中つ海」の道案内に見沼の君を起用したのでしょう。

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【隼鷹神社】
小郡市の「御勢大霊石神社」から少し北上したところに「隼鷹神社」(はやたかじんじゃ)があります。

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仲哀天皇は御勢大霊石神社(大保の仮宮)からの帰り道、
「高皇産巣日神」(たかみむすびのかみ)が鷹になって北に飛んでいく姿を見かけます。
その後鷹は、松の枝に止まって姿が見えなくなりました。

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そこに神功皇后が宮を建てたのですが、鷹の止まった松は枯れ、今はそこに楠が生えています。

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境内には、あちこちに鷹の像があります。

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松の跡に生えた楠がありました。

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すごく神々しく、立派です。

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「高皇産霊神」といえば「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)、「神産巣日神」(かみむすびのかみ)と合わせて「造化三神」(ぞうかのさんしん)と呼ばれる神です。

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高皇産霊神は高木神とも呼ばれ、その象徴として鷹が使われます。

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実は英彦山を中心として、筑前筑後には、高木神を祀る神社群が多数存在していました。

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【老松神社】
神功皇后は小郡市上岩田に一時留まります。

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ここにあった不動岩で皇后は、武内宿禰に御剣を祀らせます。

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境内に鎌倉時代の石塔がありました。

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不動岩は今はもうないそうですが、存在感のある大岩がいくつかあります。
それを見てギョッとなりました。

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これどう見ても人が縛り付けられたように見えます。

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これ「人形じめ」という注連ねりだそうですが、この地区独特の伝統行事だそうです。

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拝殿にも大きな人形じめがありました。

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社殿は菅原氏の創建です。

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拝殿横にある小さな摂社は「牽牛社」だと思われます。

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少し横道にそれますが、宝満川を挟んで「七夕神社」があります。

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正式には「媛社神社」(ひめこそじんじゃ)と言いますが、老松神社の牽牛社と織姫のラブストーリーが伝わっていました。

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小さく素朴な神社ですが、「七夕まつり」には盛大ににぎわうそうです。

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【赤司八幡宮】
久留米市北野町赤司に「御井郡の惣廟」と誇る神社があります。
「赤司八幡宮」(あかじはちまんぐう)は「筑紫中津宮」と呼ばれ、宗像三女神が降臨した水沼の君最大の聖地でした。

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この地で皇后は歓待を受け、さらに皇后は三女神に祈りを捧げたことでしょう。

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皇后は妹の「豊姫」(止誉比咩)を神形代として立てました。
形代とは依代(よりしろ)のことです。

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豊姫というのは今後時々出てきますが、ここでは神功皇后の妹と言う設定になっています。
神功皇后の妹といえば「虚空津姫」(そらつひめ)が伝わっていますので、この豊姫の神功皇后妹説は後に作られた設定なのでしょう。

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境内社に、天満神社・大三輪神社・少彦名神社・祇園社があり、参道の横に、猿田彦大神の石碑や、恵比須像があります。
祇園社は渡来系である物部族の神ですが、他は全て古代出雲王族にゆかりある神々です。
宗像族も出雲王族の古い血筋だと云いますから、水沼氏と宗像氏は、出雲王族を通じて繋がりがあるのかもしれません。

豊姫は豊後宇佐にあった豊王国の女王「豊玉姫」の娘です。
その宇佐に繋がりを持った宗像族の一派が水沼氏だった、ということでしょうか。

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そして謎の伝承がもうひとつ、皇后はここで皇子を出産したといいます。
応神天皇出生の地といえば「宇美」ですが、まあ、壱岐やあちこちにそう言った伝承はあって、
そういうものかもしれません。

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赤司八幡宮近くの大城小学校校庭に「益影の井」(ますかげのい)という霊泉があります。
水沼の君は皇后に産湯の水として、この井戸の水を献上しました。
今はもう枯れてしまっているそうですが、宗像三女神の伝承地にまた、霊泉があったということです。

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【味水御井神社】
久留米市の交通量の多い322号線のそばに、びっくりするくらいひっそりと、清らかな水が湧いています。

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「味水御井神社」(うましみずみいじんじゃ)です。
近くに「高良玉垂宮」があり、仲哀天皇と神功皇后は一時この地に滞在したそうです。

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「朝妻の井」と呼ばれたこの霊泉は今もこんこんと溢れるほど湧き続けています。

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皇后はここに来て水を所望します。
お供の人が草むらを槍で一刺しすると水が湧き出てきたそうです。
それを皇后に差し上げると「うまし」と答えました。

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さて天皇と皇后はこの地で一時滞在したというのが気になっていました。
ここは羽白熊鷲陣と田油津姫陣に挟まれた危険な場所です。
そんな危険な最前線に、皇后を連れ出すでしょうか。

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どうやら田油津姫はもともと天皇に仕える側だったようです。
それが天皇の死を知ると皇后を暗殺しようとしたらしいのです。

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大和に恨みを抱くようになった田油津姫は朝妻を羽白熊鷲討伐の重要拠点として提供した上で天皇・皇后をここまで誘い出し、
ひるがえって羽白熊鷲に情報を流して天皇を討たせたのではないでしょうか。
筑後一帯に「山門」(やまと)と名乗る大きな集落があり、それをまとめる巫女、田油津姫。
彼女には天皇・皇后を恨むだけの理由が、そこにあったのです。

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