長野県にある宿場町のひとつ「奈良井宿」(ならいじゅく)に、ほんのちょっぴりタイムスリップしてきました。
19号線沿いの駐車場に車を止め、奈良井宿にタイムスリップするにはまず「木曽の大橋」を渡らなくてはなりません。
美しい総檜造りの太鼓橋は、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさだそうです。
橋からは眼下に、広大な芝生の水辺公園が拡がります。
木曽の大橋を下りて、線路の下を潜れば、
タイムスリップ・イン・江戸☆
のどかな町並みが、僕の心を癒してくれます。
奈良井宿は、江戸時代から明治時代にかけて栄えた宿場町。
約1kmに渡って当時の面影を残す建物が立ち並び、昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
奈良井宿は、「中山道六十九次」のうち34番目の宿になります。
張り出した軒先の造りが特徴的です。
行く先々におしゃれな雑貨屋やカフェがあり、目移りします。
「んっぬっふっふ、お主も悪よのぅ」
おきまりの越後屋さんもあります。
奈良井宿を歩いていると、あちこちで水場を見かけます。
この水場は山側に6ヶ所あり、鳥居峠を行く人、来る人の渇きを癒してきました。
奈良井宿にはいくつかの歴史的見どころがありますが、大宝寺の境内にある「マリア地蔵」というものが気になり、足を伸ばしてみます。
臨済宗妙心寺派の「広伝山 大宝寺」。
およそ400年前の天正10年に建立された寺です。
境内の奥に、目的のマリア地蔵がありました。
が、あれ?首がない。。
これはキリシタン禁制の江戸時代に、抱かれた子供も、膝も頭部も破壊され、わずかに胸の十字架だけが残っているのだそうです。
この壊れた像を、隠れキリシタンたちはひっそり守り続けたのかと思うと、込み上げてくるものがあります。
再び足を戻します。
昔懐かしい餅屋などを見ると小腹が空いてきました。
僕は長野といえばこれ、「おやき」に目がありません。
最近は様々な具材のものがありますが、やはり定番の野沢菜が一番美味しいと思います。
江戸時代、宿駅には幕府の役人や諸大名たちのために、幕府の定めた一定数の伝馬(てんま/宿駅用の馬)と歩行役を備えていました。
これを宿駅制度(宿場・伝馬制度)といいます。
この伝馬と歩行役を管理運用していたのが「問屋」(といや)と呼ばれます。
奈良井宿の上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新までのおよそ270年間継続して問屋を務めたのだそうです。
今は古文書や日常生活に使用した諸道具等を展示した資料館となっていました。
しばらく歩いていると、真っ直ぐだった道が、途中でクランク状に折れている場所があります。
ここは上町と中町の境で、「鍵の手」と呼ばれています。
この鍵の手は宿場内に道の屈曲を作り、敵の直進と見通しを防ぐという、宿場町を守るための工夫でした。
またこの場所は、NHK連続テレビ小説「おひさま」のロケ地として使用されたことで有名です。
鍵の手を過ぎると上町です。
人通りが減って、更にノスタルジー感がアップしました。
「中村邸」という建物がありました。
こちらは元櫛問屋だということで、市の有形文化材に指定されています。
昔のままの塗櫛の商いをしていた、奈良井宿の典型的な町家造りの家として公開されています。
写真は個人用に最小限に限るとのことでしたので、紹介は最小限に致します。
庭の奥に蔵もありました。
上町の行き着いた先には「鎮神社」(しずめじんじゃ)がありました。
昔、奈良井宿に疫病が流行り、これを鎮めるために千葉県香取神社から主神をまねき祭祀をはじめたものだそうです。
奈良井宿は難所の鳥居峠を控えた多くの旅人で栄えた宿場町でした。
江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として人気があったそうです。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人であったと云います。
その様は正に「奈良井千軒」と謳われた木曽路一番の賑わいでした。
僕も帰り道にさしかかり、本格的に腹を満たすため、蕎麦屋に入りました。
信濃ならば蕎麦だろうと。
でお店の方にオススメを聞くと、名物は「とうじそば」(投汁そば)だよと言われ、それを注文。
熱々の鍋と、別添えのそばがやってきました。
この時はまだかなり残暑が厳しい頃。
見ただけで汗が噴き出します。
とうじそばとは奈川に古くから伝わる郷土料理で、そばをつゆに浸ける事をいう「湯じ」が語源と言われています。
ていうか、奈川はお隣松本市やん。
奈良井宿の郷土料理やないんか~い!
と突っ込みたくなりますが、地理的に近いこともあり、奈良井宿でもよく食べられるようになったのだとか。
鉄鍋のつゆに山菜やきのこ、季節の青菜、鶏肉等がたっぷりと入り、それにそばを竹で編んだ投汁カゴで軽くゆがいたいただきます。
うまっ♪
まあ旨ければ、なんでもいいや。
奈良井宿のお祭り、毎年6月の第1日曜日に行われる伝統行事の大名行列「お茶壺道中」は、江戸時代に京都宇治から徳川家へ献上されるお茶が中山道を行列したことに因みます。
その様子は「ずいずいずっころばし」の唄の由来にもなったのだとか。
ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壺に追われて とっぴんしゃん
抜けたら どんどこしょ
俵のねずみが 米食ってちゅう
ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも
行きっこなしよ
井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。
お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。
そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。
ところで家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる。
(ウィキペディアより)
動画見ました。遠くに見える山々と空、街並みとのコントラストが良いですね。ズイズイズッコロバシの由来を初めて知りました。
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Yopioidさん、ありがとうございます♪
奈良井宿はふらり立ち寄っただけでしたが、夏の名残を惜しませるような、そんな雰囲気がありました。
一泊して夜の町を散策するのも良さそうでした。
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上手に書かれるのでいってみたくなります。
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お互い、行きたいところが増えて困りますね😊
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