なんと、福岡にもヤタガラスがいた!
福岡の中心地・天神。
その超一等地に君臨するのは「警固神社」(けごじんじゃ)です。
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされています。
その警固神社、
屋根の四隅をよく見ると
お烏様が留まっていらっしゃる。
警固神社はもともと福岡城の場所にあったのですが、慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営されました。
社名の警固は、かつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来するのだとか。
この遷座にヤタガラスがちょっぴり関係していたのでした。
警固神社から車で数分、福岡市中央区警固3丁目の住宅が密集する地域に「小烏神社」(こがらすじんじゃ)があります。
当社の創建は不詳。
当地付近の旧町名に「古小烏」(ふるこがらす)というものがあり、これは小烏神社があった場所なので古・小烏町となったと云われています。
警固神社が福岡城築城の時、小烏神社は警固神社に合祀され、現在の場所に遷座されました。
しかしその後、小烏神社のみが再び分離され、当地に祀られるようになったのだそうです。
それで警固神社では小烏神社がともにあった証として、屋根の上にヤタガラスを置いているのです。
小烏神社は街中にありつつも奥ゆかしい雰囲気を持っています。
巨木こそないものの、樹勢は良い。
当社の祭神は「建角身神」。
建角身だからヤタガラス=小烏なのか、小烏だから建角身が祀られているのか、何故当地にかの神が祀られているのかは謎だそうです。
可能性としては九州北部に海部系紀伊国勢力が来ていた痕跡がありますので、彼らがヤタガラスを祭祀していたのかもしれません。
が、そもそもヤタガラスの正体は建角身なのか。三輪家の大田田根彦ではないのか。
ヤタガラスに関する考証は、まだまだ奥深く先が見えていません。
小烏神社の境内には倉稲魂神を祀る「稲荷神社」と菅原道真を祭神とする「天満宮」も鎮座していました。
そして最近ヤタガラスを模したおみくじも販売されていました。
伊勢の職人さんに作ってもらったのだそうです。
なんと、こんなかわいいお神籤ができてるんですね。
小烏神社は名も無い小さな祠を含めると福岡にはいくつかありますが、祭神が建角身神だとはっきりしているのはここぐらいでしょうか。
後は玉依姫命だったり素戔嗚尊だったり不詳だったりで、ちょっと不思議。
「へぇ~」ぐらいに聞いていただけると嬉しいのですが、〝木殻子(こがらす)〟と書いて丸木舟のこと、また〝小烏〟とは主に川舟を操る舟頭の古名という地元の伝承があります。
文字と発音が同じでも別物ということでしょうか。カラスの諸相にはそんな風に混同されてしまったものがあるのかもしれませんね。
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今年の正月から販売を始めたようでした。
思わず買っちゃいますよね。
貴重な情報ありがとうございます!
nakagawaさんのその話の方が真実かもしれないですね。木殻子から小烏になって、カラスだから祭神はヤタガラスだろうって感じになったのではないでしょうか。なんだかここに賀茂氏の神が祀られているのも違和感を感じます。
この一帯は昔は川があったでしょうから、その地名がついたのでは?
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警固神社にヤタガラスがいることに気付きませんでした!!
また福岡へ行ってしっかりと見たいと思います♪
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そうなんですよ、実は僕もごく最近、妻に教えてもらったんです。
妻は神主さんに教えてもらったそうです。
ぜひ今度福岡にお見えの際は、ご確認ください♪
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こんにちは。厳島神社にもオトグイシキというカラスの神事がありますよ。宮島でもカラスが案内したそうです。多分ご存知だと思いますけれど。大竹の大頭神社の神官さんに聞きましたが、塩味の餌を浮きに乗せて弥山からカラスが来るのを待って、食べたあと一羽は宮島に帰って、一羽は近畿の方へ帰っていくという神事だそうです。すみません、断片的な記憶で。違ってたらごめんなさい。面白い記事をありがとうございます。八咫烏、誰なんでしょうね。
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養父崎神社のオトグイシキ知ってます。
数年前から観光で厳島七浦巡りできるようになったので一度出かけましたが、大野瀬戸の干潮位に阻まれたのでした。
あんなに干上がるなんて聞いてないー。
リベンジに燃えております。
早く気軽に行けるようになって欲しいものです。
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オトグイシキ、ざんねんでしたね。私も行ってみたいです。対岸の大野のオオガシラ神社と、厳島神社の大元神社がカラスを祀っていますね。
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そうですね、宮島の神使は鹿じゃ無く烏でした。
ヤタガラスが絡んでいるのでしょうかね。一羽は近畿へということは、そういうことなのかもしれません。
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チリコ先生に解説分析をお願いしたいです。いろんな説があってよーわからんとでしゅ。
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え〜、おほん、、一般的には佐伯の某を案内したのが神使の烏であると言いますが、では僕なりの分析を。
ヤタガラスのモデルは中国神話の太陽に棲むカラス「金烏」(きんう)であるそうです。
金烏は太陽の異名としても古くから用いられており、対となる存在に月に棲むとされる「玉兎」(ぎょくと)があります。
神武のモデルとされる物部氏は秦国の渡来人で道教を信奉していましたので、この神話を知っていました。
ウマシマジらが熊野の大斎原で敵に囲まれ、身動き取れなくなっていた時に助け舟を出したのが(おそらく)三輪家の祖である大田田根彦であり、彼に敬意を表してヤタガラスと呼んだそうです。
これに対して月の玉兎を掲げる一族がいます。
宇佐の豊玉姫です。兎(うさ)と玉(たま)です。
玉兎の玉とは月のこと。
豊玉姫(邪馬台国の卑弥呼)は月神を信仰していました。
その豊玉姫の仮の葬儀を行なったのが厳島でした。
豊玉姫は月読の巫女ですが、いかに月神を高く祀ろうとも太陽神を軽んじることは考えにくいです。
つまり豊玉姫は月神を最高神に据えつつも、相対する太陽神も同様に祀っていたと考えられます。
豊玉姫は物部のイニエ王(崇神帝)の後妻になっていますから、物部の金烏・玉兎の神話も継承していたことでしょう。
豊玉姫と月神は同一視されることもあり、彼女の葬儀が行われ御霊が鎮められた時、その守りのために置かれたのが金烏だったのではないでしょうか。
宮島と熊野のつながりは、それぞれ独自に存在した金烏の伝承が、後世に結び付けられたのではないかと思われます。
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物部の金烏なんですね。修験道、山岳信仰、太陽信仰、鴉や天狗のイメージで出雲からきたと勘違いしてました。解説ありがとうございました。厳島神社の摂社、大野にあるオオガシラ神社の説明によると、私二羽といいましたが、本当は四羽でした!間違っていました。ゴガラス神烏が四羽飛来し、親カラス二羽は紀州熊野に帰り、子烏二羽は弥山に残って、次の一年の祭りを享ける、ということです。
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僕の思った話です。
出雲や出雲好きの大彦の子孫も厳島には来ている節があるので、彼らの太陽信仰が根付いて金烏と結びついたのかもしれません。
大頭神社をもっと深掘りすると、何か見えてくるかもしれませんね、いつか訪ねてみます♪
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