二千年ほど昔、大和姫ちゃんが伊勢にやってきましたキターン☆
「きゃっ、こわい」
姫ちゃんが川で困っていると、草むらからやせいのイケメンがナイスポーズで現れました。
「やあ姫、この手をど・う・ぞ☆」(ただしイケメソに限る)
「ここがタ・キ・ハ・ラです☆」
「まあ素敵♪」
姫ちゃんとイケメソは良い雰囲気となりました、めでたしめでたし。
「大神の遥宮」(おおかみのとおのみや)、山深き聖地「瀧原宮」(たきはらのみや)再訪です。
瀧原宮は内宮から40kmほど離れた、国道42号線「熊野街道」沿いにあります。
神宮・内宮外宮は人でごった返していますが、遥宮は良いですね。清々しい神氣をひとりじめできます。
耳にささやく風の精霊よ、静謐に佇む巨木の神霊よ、大地に満ちたる命の躍動、汝姿を顕し命の脈動をもって躍れ、汝の息吹を我が胸に、マイナスイオ~ンっっ!!
この瀧原宮は内宮の「雛形」となった聖地ではないかと一般には考えられています。
それは参道を迂回して、
内宮と同じく、川の清流でちょくせつ身を清める「御手洗場」(みたらしば)があるから、というのも根拠の一つとされます。
この川は宮川の支流である大内山川。
水の清らかさが際立っています。
御手洗場から本参道に戻る途中に「神座」(しんざ)があります。
神座とは神が宿っていると云う石積みのことで、内宮などでも見ることができます。
いや、他の神社でも見たことがあるな、たぶん。
それに対馬のオソロシドコロなどにも近いものを感じます。
日本の古い信仰の、形態の一つなのかもしれません。
参道に戻ると、ねじれた杉の木が1本あります。
瀧原宮はゼロ磁場で有名な「分杭峠」に繋がる「中央構造線」上にあるそうで、強力なパワーを受けているのだそうです。
それで幹がねじれているということなのでしょうか。まあ、このような杉は、神社境内では割とよく目にします。
素朴なお社が見えてきました。
瀧原宮には4つの社があり、参拝順が決められています。
まずは「瀧原宮」から。
祭神は「天照坐皇大御神御魂」(アマテラシマススメオオミカミノミタマ)で、瀧原宮は天照大神の「和魂」(にぎみたま)とされています。
次に「瀧原竝宮」(たきはらならびのみや)を参拝します。
こちらも祭神は「天照坐皇大御神御魂」ですが、瀧原竝宮は天照大神の「荒魂」(あらみたま)を祀るとしています。
三番目は「若宮神社」(わかみやじんじゃ)で、一番高いところに祀られています。
前回の訪問は遷宮前でしたので、今回とはずいぶん配置が違っています。
一番高いところに祀ってあるということは、この神が瀧原宮の本質的な神であるということではないでしょうか。
祭神は「若宮神」(ワカミヤノカミ)、「水にご利益ある神様」と云われ、一説では「水分神」(ミクマリノカミ)とも云われています。
古くは「天若宮」とも呼ばれていたそうですが、実際のところは、この神も正体がよく分かっていないとのことです。
若宮と呼称される神社は、通常は天皇の皇子や子孫をお祀りしている例が多いことから、大和姫が祭神であると考える人もいるようです。
富家の伝承によれば、大和姫は内宮に太陽神を、外宮に月神を祀ったといいます。
ならばここはひょっとして、太陽と月の他にもう一つある天体の神、星神を大和姫が祀ったのではないかと、ふと思われたのでした。
若宮神社の下にあるのが4番目の「長由介神社」(ながゆけじんじゃ)となります。
この社殿のみが唯一西向きで、参拝者は昇る太陽を向くことになります。
祭神は「長由介神」(ナガユケノカミ)とされていますが、この神の正体がまたよく分かっていないそうです。
一説に「長由介」とは、「長生き」という意味合いがあるとのことで、江戸時代には、長寿を願う参拝客で大変賑わっていたと云います。
また長由介神の神は、瀧原宮に納める「穀物(御饌)を守護する神様」と云われていて、外宮の「豊受大神」と同じ神であると推察する人もいるようです。
「長生き」、、不老長寿、、変若、、なるほどなるほど。。
長由介神社同座する川島神社の祭神は川島神とされますが、やはり詳細は不明とのこと。
基本的に瀧原宮での参拝は以上ですが、見落としてはならない建物があと一つあります。
遷宮の際の旧社と新社の敷地の中央に、一見みすぼらしい小屋があります。
これは「御船倉」(みふなぐら)といい、「御船代」(みふなしろ)が納められています。
御船代は、ご神体が納まった御桶代(みひしろ)をさらに納める船形の器です。
御船代は内宮の遷宮にも使用されるものですが、この御船倉という建造物は伊勢神宮に関連した神社では、なぜかこの瀧原宮にしか存在しません。
帰り道、社務所の前に忌火屋殿がありました。忌火屋殿は別宮では伊雑宮しかない建物だと思い込んでいましたが、間違いでした。
ちなみに、公式には元伊勢で別宮とされたのは瀧原宮だけとなります。
瀧原宮から宮川沿いに約6km下った場所に「多岐原神社」(たきはらじんじゃ)が鎮座します。
皇大神宮の摂社で神宮125社のひとつです。
参道を降っていると、またしてもありましたアノ看板が。
我が麗しの大和姫ちゃんが
アレで、
コレですよ、くぅ~。。。くやじい。。
いやでもご安心を。大和姫ちゃんは大切な巫女さんです。無垢でなければならないのです。
いかに真奈胡氏がイケメソであったとしても、大和姫ちゃんはみんなの大和姫ちゃんなのです。
境内には「禁殺生」の石碑が建っていました。これは紀州藩が享保甲辰(1724年)に建てたものだそうです。
多岐原神社の祭神は「真奈胡神」(まなこのかみ)、あのイケメソです。
地元では「真奈胡さん」と呼び親しまれています。良い人です。
『倭姫命世記』に記載された伝承によると、天照大神を奉じて巡幸中の大和姫が宮川にて流れが速く困っていると、土地の神である真奈胡神が道案内をし、これに感謝した大和姫が定め祀ったのが当社の由来であるとしています。
『倭姫命世記』は史実とするには非常に難のある書物でありますが、『延喜式神名帳』や『皇大神宮儀式帳』に記載があることから、当社は延暦23年(804年)以前から存在したことは考えうることになります。また『眞奈胡由来記』によれは祝部の存在が確認でき、多岐原神社が由緒ある神社であることは間違いありません。
ところで瀧原宮の名の由来は、近辺に滝がたくさんあったからと伝えられていますが、それほど滝が多いようには感じられません。
瀧=多岐、「多岐」とは一体何を意味するのでしょうか。
多岐といえば宗像アタカタス王の次女で大国主の后「多岐津姫」を連想させますし、愛媛の越智族由来の聖地「多伎神社」を彷彿とさせます。
何かタキという名前に意味があるような気がしてなりません。
多岐原神社から150mほど下ると
宮川に出ました。
河原に石積みがありますが、これは「三瀬の渡し」の跡のようです。
多岐原神社と瀧原宮を結ぶ熊野街道伊勢路は、熊野三山へ向かう巡礼路の一部となっており、古くからここに渡し船があったそうです。
三瀬の渡しは熊野古道を往く旅人や地元住民の重要な交通手段でしたが、江戸時代中期を最盛期に大正時代には衰退し、昭和30年代に姿を消しました。
2004年の熊野古道世界遺産登録を契機に、2009年4月、地元の三瀬の渡し保存会により復活しています。
大和姫ちゃんはこの辺りで”あわあわ”していたのでしょうか、そんなの僕だって手を差し伸べます。
などと妄想に耽っていると、
おや、この川岸、はちまき石の宝庫じゃないですか。
赤や緑のカラフルなはちまき石もありました。
真奈胡さんは白い龍蛇神を祀る一族だったのかもしれません。
どこで聞いたかはは
ちょっと忘れたのですが、
「滝」は元々は「タルミ(垂水)」で
「川」のことを昔は「タキ」と
呼んでいたと。
静之窟周辺も垂水という地名で、
塩爺にその話をすると
確かに獅子岩より少し西に
滝があると教えてもらいました。
なのでそちらは
もしかするとですが
「川」が由来
なのかもしれませんね。
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なるほど、それぞれのタキ神社には川が流れていました。
垂水、その名のつく場所には、豊族の痕跡が多々見受けられるのも気になっています。
垂水とは玉垂、月からもたらされる変若水を表しているのではないか、そんな気がしています。
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🐥やせい(野生)のイケメン…そそるフレーズ🐣イケメンとやせい(野菜と肉🍖)
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Nekoさんは肉食ですな☆
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ですが私は肉よりもプレミアムなキムチの方が好みです🐤
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なるほど、キムラー娘でしたか。
僕も焼肉では、キム2皿はいけます♪
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豪勢ですな🐥キム2皿独り占め🌸
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いやーぁ、こんな看板なあるのですね!
写真からでもマイナスイオン取り込めた感じします!感謝です😊
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最近の神社は萌えに走っていますね、キライじゃないですけど😄
我が魔力(マイナスイオ〜ン)がmanaさんにも届きましたか☆
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