パワスポマニア、オカルトマニア垂涎の聖地「分杭峠」に行ってきました。
ワクワク感を抑えきれず、レンタカーを走らせます。
前方に見える山の頂付近が夢のパワスポだと思われます。
しかし、
分杭峠は、そうしたぬるく、ミーハーなマニアを寄せ付けない、険しい山道の途上にありました。
昨日通過した「チャーミー」君の影響もあるのでしょうが、路面は荒れがちで、道幅は離合も困難なほど狭く、急カーブが連続する道が続きます。
分杭峠は、「峠」とあるように、山道の一番高い場所にあります。
かつては皆、路上駐車をして訪れていたそうですが、峠が有名になり来訪者が増えると、狭い山道なので当然通行車の迷惑となり、現在は路駐が固く禁止されています。
なので少し下った所に車を停め、そこからシャトルバスで向かわなければなりません。
シャトルバス待合所に一軒のお店があります。
「第三の気場」の文字につられて立ち寄ってみると、お一人の奥様が経営なさっていました。
聞けば今バスが出たばっかりだと言います。
「チャーミー」君の余波で、タイトな旅を余儀なくされた僕は少々困ってしまいましたが、奥様の勧めで、先に別の場所を訪ねて、再び分杭峠へと戻る方法に切り変えることにしました。
奥様から「ここがすごいよ」ってテーブルの一角に案内されました。
確かにそこだけ、磁石があらぬ方向を示し、なんとなく手のひらがピリピリするような、そんな気がしました。
そして手ぶらで店を出るのもためらわれましたので、「ゼロ磁場の秘水」なるものを1本購入させていただきました。
分杭峠では、現在行くことが困難になった水汲み場があると言います。
ならばここでその「秘水」なるものを買っておいても損はない、と、そんな気持ちもありました。
2Lで750円と、決して安くない水です。
飲んでみると、普通のミネラルウォーターのようにしか感じられませんでしたが、この後の戸隠の旅で、この水が貴重な水分となりました。
さて、152号線に沿って南下することにします。
この152号線は県道であるにも関わらず、恐ろしく走りにくい酷道です。
が、なんとレイラインに沿って道が走っており、ここを通過するだけでもパワーを得られそうです。
と、いきなりですが、木が倒れています。
なんとか通過できそうですが、これも「チャーミー」君の仕業でしょうか。
そう、この日はハロウィンを待ちきれない怪物、台風24号「チャーミー」君が日本列島を撫で回していった翌日の10月1日のことでした。
福岡発の飛行機はなんとか飛んだものの、出発時間は大幅に遅れ、直前まで旅立てるのかさえ不安にさせられたのです。
分杭峠から5分ほど進んだところに、「北川露頭入口」という看板を発見します。
広めの整備された駐車場があるので車を停めます。
実はここも強力なパワスポらしいのですが、写真にオーラが写っています。
なんて、ただの逆光です、もちろん。
パワスポと云われる場所に赴いて、やたら逆光の写真を撮り、神秘を謳う方もいますが、僕はそれを好みません。
ゴミや傷がついていたり、安めのレンズだと、実に派手な逆光の写真が撮れますが、得てして安っぽい演出になってしまうものです。
美しい自然の真の神々しさというものは、そんな安っぽいものではないと断言できます。
さて車から降りて、少々下に、沢の方へ降りていきます。
露頭というのは地層や岩石が露出している場所を言います。
ここではレイライン・中央構造線の北と南の境目を見ることができるというのです、ワクワク。
看板の案内がこれ。
そして今、僕はレイラインを股越して立っているのです、ヒャッホー!
そう、小学生が県境でやってしまうアレの大人版です!
レイラインというのは何かというと、日本の西から東にまっすぐに伸びた断層のことです。
この断層を境に北と南で、全く地質が異なっているといいます。
レイラインから北の部分が東に、南の部分が西にズレると、大地震が起きます。
ちなみに真っ直ぐなはずのレイラインが中央でぐにゃりと曲がっているのは、元は別の陸地だった伊豆半島が”どか~ん”と列島にぶつかってきたためだと言われており、その威力で押し上げられた陸地が南アルプスなのだそうです。
伊豆半島インパクトの勢いはまだ続いているらしく、今も南アルプスは一年間で4mm程度隆起していると言われています。
また「フォッサマグナ」というものもありますが、これは日本が、アジア大陸から分裂する時、扇状の力が加わり、列島中央が裂け、大きな溝ができたそうです。
つまり太古には日本海と太平洋は本州の中央で繋がっていました。
ここに土砂が堆積し、今の日本列島の形が出来上がるのですが、その堆積した部分をフォッサマグナと言い、レイラインができたはるか後に形成されたと言います。
今も生きて動いているガイア、その様々な力を受け踏ん張り続ける我が国「日本」。
頑張る彼の悲鳴が地震であり噴火なのです。
日本が頑張っているのだから、その国民たる僕たちも、もっと頑張って生きていかなくてはなりません。
衛星写真を見ると、西日本にはなんとレイラインの姿が、くっきりと見えていました。
さて、にわか講釈はそれくらいにして沢に降りてみます。
結構水流のある川沿いから振り返ると、
見事、縦にくっきりと違う地層が見えていました。
看板にはこうあります。
内帯は日本海側で、外帯は太平洋側です。
おお~、メリメリと、この境目から大地のエネルギーが湧き出てきているような、そんな気がしないでもなくもない、感じです。
駐車場へ戻る時、謎の石垣がありました。
調べてみると、これはかつてあった、北川集落の木地師の大蔵家の跡地だそうです。
木地師とは、ろくろを用いて椀などを作る人のことです。
この地区は大鹿村と呼ばれ、昔、諏訪大社の神領で、神様への御調の鹿が多く住んでいたことが名の由来と云います。
鹿は諏訪大社へのお供え物として貴重でした。
それほどの土地ですのでかつては多くの人が住まう場所だったようですが、昭和36年6月、台風6号の接近と梅雨前線の停滞により、大災害が発生。
三六災害による死者・行方不明者は136名、家屋の全壊・流失・半壊は1,500戸にも及んだといいます。
僕はブログを編集するまでこの災害を知りませんでしたが、「語り継ぐ”濁流の子”アーカイブス」という、災害に備えるための知恵や教訓のため、当時の記録を後世に伝え残そうというサイトを偶然知りました。
毎年、毎月のように列島に訪れる大災害、まさに今、知るべきことがここに記されているように思います。
さて、さらにレイライン街道「152号線」を南下してきました。
北川露頭から約20kmほど走ったでしょうか。
ここに何があるのかと言えば、
何もないのです。
なので場所の説明は本当に難しい。
道を間違えたかな?と心細くなるくらい進んだところに、この小屋のようなものがポツンとあるだけです。
来た道がこちらで、
先に続く道がこれ。
そして小屋の中には、思わずギョッとなるお人形が。。。
なぜ。
そして美しいレインボーなオーラが降り注いでいます。。。
この坂は知る人ぞ知る、”ゼロ磁場”の坂「磁場坂」。
そのパワーは分杭峠を上回る強い波動があると云われています。
「磁場坂」に立ったら、峠の方向を向いて静かに瞑想すると良いのだそうです。
僕は間が持たず、自分の影を撮って場を濁しておきました。
そろそろ時が来たようです。
ついに本命の分杭峠にやって来ました。
皆さんはさっさと気場の方へ行くのでしょうが、僕はその標識の先へまず足を向けてみました。
なんか石碑があります。
なにやら古道があるようですが、
よく分かりません。
こっちを見てみても、
山があるだけです。
しかし何だか清々しい気持ちになりました。
それでは気場へと向かいましょう。
広場があります。
近年賑わいを見せているという分杭峠ですが、随分閑散とした印象です。
テントとトイレがあるのみ。
こちらから100mほど下ったところに目的の場所があるようですが、
心の弱みに付け込んだ悪い輩もいるようなので注意が必要です。
細く滑りやすい山道を降ります。
すぐに僕も滑りこけました。
そして気場が見えて来ました。
分杭峠の気場と呼ばれる場所には、谷の斜面に木製のベンチがあるだけです。
そこに多くの人が訪れて、ただ座って時を過ごし、そして満足げに帰って行くのです。
前面には谷があり、木が生い茂っているので見晴らしも良くありません。
それでも、谷から幽かに吹いてくる冷気を感じ、確かに何か清々しいものを実感します。
ずっとここに留まっていたいと思わせる何がか、ここにはありました。
伊那谷の村に招かれた中国の高名な気功師「張志祥」(ちょうししょう)氏が、1994年7月2日、ここが非常に強い「気場」であると発見しました。
分杭峠はレイライン上にあり、ちょうど日本の中心、ヘソに当たる場所にあります。
その上、伊豆半島インパクトの力が未だ及んでいる場所でもあります。
これら地層が押し合うエネルギーの均衡がちょうど良くバランスが取られていて、磁場が相殺されているとされる当地は、いわゆる「ゼロ磁場」と呼ばれ一躍有名になりました。
故にここには強い「気」が集まって、それを浴びることで心身に癒しの効果があると云われています。
ただし、分杭峠が科学的に「ゼロ磁場」であると断定されているわけでもなく、そもそも「ゼロ磁場」自体が科学的に証明されているわけでもありません。
分杭峠は寺社ではなく、単に峠というだけの公有地です。
そのため、当地の整備には税金が用いられ、行政が管理しています。
そのような公的場所を「気」や「ゼロ磁場」といった存在があやふやなもので売り出すことに問題があり、積極的な宣伝はされていないようです。
それが広場にあったあの閑散な状況となっているのです。
しかしゼロ磁場を信じる人たちで噂は広まり、今は多くの人が押しかけるパワースポットとなりました。
この日も心身を病まれたお子さんらしき人とお母様が、ゆっくり、一生懸命に、あの滑りやすい道を降りて来てありました。
藁をも掴む気持ちで、日々このアクセス難しい峠まで通っておられるのでしょう。
信じるものは救われる、ということもきっとあると思います。
ミーハーなマニアにも、真摯に願う者にも、分杭峠は夢溢れる場所であると理解できたことが、この旅の大きな収穫でした。
アクセスなど詳しい情報は、「伊那市観光協会公式ホームページ」よりご確認くださいませ。