山形県の西川町というところにやってきました。
町、というよりは集落、と言ったほうが近いかもしれません。
国道112号線から数キロ、山の中に入り、忽然と現れる町です。
なぜ、そんなところにやってきたかというと、この「かるべ」さんに宿泊するためです。
「かるべ」さんに行く前に、すぐ近くに気になる神社がありました。
なので行ってみます。
こんな片田舎に、なぜ、と思わず呟くほどの立派な社殿。
重厚な向拝。
「岩根沢三山神社」(いわねさわさんざんじんじゃ)です。
正式社号は「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社 月山出羽湯殿山三神社(旧日月寺)」と、なんだが「じゅげむじゅげむ」のような名前です。
こちらは羽黒山山頂にある、出羽三山神社が管理しており、出羽三山神社岩根沢社務所とも呼ばれているそうです。
もとは長耀山日月寺という天台宗寺院であり、月山神社の別当寺であったと云います。
実はここ、岩根沢は、月山への登山道があり、出羽三山への修験道として主要な登山口となっています。
つまり右京坊たる「かるべ」さんは修験者、山伏さんたちが宿泊する施設なのです。
月山神社の別当寺であった日月寺は、月山の祭神である月読神の本地仏として、阿弥陀如来への信仰も篤かったそうです。
当初は真言宗でしたが、江戸時代初期に、羽黒山寂光寺の天宥上人(てんゆうしょうにん)が、天台宗に改宗したのに併せて、日月寺も同宗に改宗、輪王寺の直末寺となります。
天宥上人は25歳で第50代羽黒山別当に就任し、布教制度を確立し、日光東照宮の分霊を勧請して東照社を創建、さらに堂宇の再建と改修、参道の石段の整備や石灯籠の設置、須賀の滝の造園など数々の実績を残しました。
また、新田開発や植林など産業にも力を入れ羽黒山の発展に力を尽くしたと云います。
天宥は幕府の庇護を得るため、幕府の実力者である天海大僧正に弟子入りし、真言宗だった出羽三山全山を天台宗に改宗し得ようと画策します。
天海僧正に弟子入りした天宥は、天海の「天」の字を賜り、元の名であった「宥誉」(ゆうよ)から「天宥」に改称しています。
羽黒山と月山は良好な関係を保ち、天台宗へと改宗したのに対し、湯殿山は反発、湯殿山派のみ真言宗を守り続けました。
そのため諍いも絶えなかったと云います。
天宥は半ば強行に改革を進めていた事もあり、寛文8年(1668年)、反対派からの工作などで幕府の裁定で敗訴、新島(東京都新島村)に流され82歳で入寂しています。
しかし天宥は亡くなるその時まで、新島でも島民に学問などを教えていたと伝わります。
と、社殿の彫刻の素晴らしさに、目を奪われました。
生き生きとした二匹の龍、
戯れるように天空を泳いでいます。
日月寺の伽藍は火災によりたびたび焼失しているそうで、現存の建物は、天保12年(1841年)に建立されたものだそうです。
神仏分離令により、明治3年(1870年)、当院は寺号を廃して神社となります。
この時、羽黒山がいち早く神社への転換を行ったので、他社が激しく破却されたのに比べると、伽藍が良好に残されています。
本建物は、仏堂、客殿、座敷、庫裏等を、全て一つの建物内に納めた複合建築で、山里の小さな学校を彷彿とさせました。
奥には神田があり、たわわに稲が実っています。
ぐるりと社殿を一周したら、いよいよ宿へと向かいます。
元は宿坊でしたが、今はスキー客から登山客まで受け入れる民宿としても経営されている「かるべ」さんです。
外観はときめくものはないかもしれませんが、外面で決めつけてしまってはもったいない良宿です。
部屋は質素ですが、とても清潔です。
トイレやお風呂も、気持ちよく利用できます。
熱々の風呂が、とても気持ち良い。
しかし「かるべ」さんの一番の魅力はやはり食事です。
初日の夕食です。
菊のおひたし。
これは「マスタケ」っておっしゃってました。
お父さんが山で採ってきたものらしい。
ジュワッと出汁が滲み出る、美味しいキノコです。
そしてメインディッシュ、「つやつやのごはん」です。
東北といえばコメ。
コメ最高です!
鮎、ですかね、焼き魚が出たと思ったら、
来ました!
山形といえばこれ。
山形の各家庭が誇る、自慢の逸品「芋煮」(いもに)です。
ホックホクの里芋と、プルップルの玉こんにゃくが染み染みです。
出された料理だけでも満腹なのに、コメと芋煮、おかわりしてしまいました。
そう、「かるべ」ではおかわりも当たり前なのです。
2日目、朝食です。
もちろん朝から炊きたてのご飯です。
熱々のご飯と味噌汁、もうそれだけで幸せなのです。
ずんだの和え物。
これはタラでしょうか。
食堂の奥の部屋には、とても立派な神棚があります。
かるべのお父さんは、三山神社の何か資格をもってあるそうで、特別に神棚を儲けることができるのだそうです。
つまり、ここで三山巡りのご利益にあやかることも出来るのだとか。
立石寺、羽黒山を踏破した2日目の夕食です。
アケビの味噌焼き。
ブナハリタケだったでしょうか、これも美味しいキノコの和え物。
そしてこの肉厚なカレイ丸ごと一匹。
更に生姜焼き出ました。
そして刺し盛り。
更に更に、主食はそばです!
いや、昨日より多くない!?
知人に伺うと、かるべのお母さんは、初めてのお客さんは最初の食事で様子を見るのだそうです。
好み、食べる量、そしてお客がお腹いっぱいになるように次の食事を用意してくださるのだということです。
もちろん完食しました。
デザートのラフランスもめちゃうまでした。
3日目朝です。
今日は月山登頂、そして湯殿山へ縦走が目標です。
朝からしっかりいただきます。
この後、壮絶な旅を経験するのですが、ここでお母さんのご飯をしっかりいただいていたので、生きて帰ることができました。
本当です。
岩根沢地区には、出羽三山の行者が当地に伝えたとされる秘伝の豆腐「六浄豆腐」が作られています。
それはカッチカチに固めた豆腐を、削り節のようにカンナで削って調理するというものです。
主に精進料理で使われるそうです。
3日目の夕食です。
海老です。
赤魚だったでしょうか。
赤飯です。
そしてキノコめし、これ最高です。
めっちゃキノコの風味が染み込んでます。
最高です。
おかわりします。
そして岩根沢にしかない秘伝の豆腐「六浄豆腐」と肉厚キノコの味噌汁です。
バリうまいです。
味噌は日本一になった味噌をつかっているんだとか。
おかわりします。
そしてお母さん、なんと新聞にも載っていらっしゃいました。
かるべはお父さんとお母さんが心を込めてもてなしてくれる、温かい宿です。
そして若旦那と若奥さんも素敵です。
若奥さんの肌が、もうこれまた見たことがないくらい、つやつやぴっかぴかなのです。
大地のしっかりとした恵みを受け続けていると、本当に綺麗な肌になるのだと、実感しました。
4日目朝の食事です。
美味しかったかるべの食事も最後です。
ずんだっぽいとうふ。
味噌汁サイコーです!
これでもう、山形の味は食べつくしたと思っていましたが、春の山菜料理もこれまた格別なのだとか。
山形の春は6月、その頃またかるべに足を運ばなくてはならなくなってしまいました。
これだけ食べて1泊2食で7000円、安すぎです。
安すぎですよ、お母さん。
でもまた逢える日がたのしみです。。
近くのダム湖では、でっかい噴水ショーも見られます。
ということで6月、やってきました山形。
今回も「丸池様」や「湯殿山」他、たくさん見て回りましたが、旅の最大の目的はなんといっても「かるべ」さんでいただく春の山菜。
山菜づくしです、わ~ぱちぱち。
このひょろっと長いタケノコ、「月山筍」と呼ばれるそうですが、
食べてみると、とても柔らかく、まるで枝豆のような風味がしました。
酢味噌につけても美味しいですが、そのままでも美味でした。
丁寧に笹に包まれた二つのお餅。
「ささ巻き」「なた巻き」と呼ばれる手作りのお餅。
きな粉でいただきます。
それからいよいよ山菜エリアに突入です。
ギボウシやワラビ、
ウドなどが続く中で、
希少で山の王様と呼ばれるシオデもありました。
旨し。
そのあとは生姜焼きや
魚、
超肉厚唐揚げなど、あふれんばかりにテーブルを料理が満たしていきます。
かるべ名物とも言える今日のご飯は「山菜ご飯」。
立っぶりの山菜に加え、木の実も入っていてもっちり美味しい。
お腹パンパンでお替わりしきれなかったのがなんとも悔やまれます。
シメのうどんはつるっと入りました。
朝ごはんです。
朝ごはんにも山菜がちらほら。
この味噌汁には、ワラビがこれでもか~ってくらい入っています。
美味しいお米と味噌汁はお替わりしました。
この日も、かるべさんの愛情たっぷりご飯で、体の中から元気になりました!