1300年の歴史を持つ山形・寒河江の古刹「慈恩寺」を訪れました。
趣のある参道を登ります。
そして見えてくる山門。
門の両脇では、厳しい仁王像が通る人を睨みつけています。
実は2015年5月1日、慈恩寺の重要文化財などに、油のような液体をかけられるという事件が起きました。
更に放火や盗難なども危惧され、現在もセキュリティ強化を余儀なくされているそうです。
悲しいことです。
せっかく知能を得ているのに、人のいかに愚かしいことか。
それでも慈恩寺は、来るものを拒まず、門戸を開いてくれていました。
そこにある、堂々たる本堂。
度々の戦禍に遭いながらも、元和4年(1618年)に山形城主最上氏によって再建されたという現本堂は、重厚な茅葺きで桃山時代の様式を残しています。
寺伝によれば、天平18年(746年)に諸国巡錫の僧「行基」がこの地の景勝を「聖武帝」に奏上、勅命によりインド僧「婆羅門」(ばらもん)によって開山されたと伝えられています。
檀家を持たず、「鎮護国家」「国家安寧」の勅願寺として、摂関家藤原氏、奥州藤原氏、寒河江荘大江氏、山形城主最上氏、そして江戸府と、時の権力者より庇護され、繁栄してきました。
江戸時代には幕府より2800石余の寺領を受け、院坊の数は3ヵ院48坊に達し、東北随一の巨刹となりました。
しかし檀家がないことと、明治維新後、上知令で御朱印が停止されたことにより一山は困窮し、帰農する坊が続出。
現在は3ヵ院17坊ばかりが伝わるといいます。
慈恩寺は、もとは法相宗の寺院でしたが、平安期以降、天台宗や真言宗が入り、複数の宗旨が併存する珍しい寺院となりました。
終戦後は宗教法人として独立し、慈恩宗・本山慈恩寺と名乗っています。
本堂では特別展が行われていました。
まるで〇〇王のレアカードのようなチケットを受け取り、堂内に足を踏み入れます。
天井には年季の入った数々の絵馬が掲げられ、奥に進むにつれ、貴重な仏像が多数鎮座されております。
弥勒菩薩及び諸尊像、騎象普賢菩薩及び十羅刹女像、騎獅文珠菩薩及び脇侍像、薬師三尊と十二神将、聖徳太子立像などを見ることができました。
いずれも国重要文化財で、中には秘仏として、普段は見ることができない像も拝見できました。
ちなみに、レアカードに印刷されているのは「阿弥陀如来坐像」ということですが、寺伝では「釈迦像」とあり、その容姿は端麗で藤原様式であると云います。
境内には、薬師堂や、
阿弥陀堂、
釈迦堂や天台智者大師堂が立ち並び、雰囲気の良い空間を作り出しています。
当院は、映画「男はつらいよ」のロケ撮影も行われたということです。
さて、境内を一旦出て少し歩いたところに、三重塔があります。
御本尊は大日如来といいますが、とても素晴らしい造りです。
羽黒山の五重塔には及ばないかもしれませんが、それでも間近に見る三重塔は圧巻です。
人も少ないので、ゆっくり眺めていられるのも嬉しい。
そんな感じで、思いのほか堪能させていただいたお寺でした。