沖縄旅の締めくくりは、アマミキヨの終焉の地を訪ねてみました。
そこはアマミキヨと夫シネリキヨが幸せな生活を送り、子供をもうけた所と伝えられていました。
琉球開闢の祖神「シネリキヨ」(シルミチュー)と「アマミキヨ」(アマミチュー)が生活したという洞窟は「シルミチュー」と呼ばれています。
シルミチューは沖縄本島から橋で渡れる離島「浜比嘉島」の先端にあります。
シルミチューを訪ねてみると、大きな鳥居のようなものがありました。
これは沖縄の御嶽同様、後に付けられたもので、本来はなかったもの。
長い階段を登ると、
大きな「ガマ」(洞窟)が見えてきます。
大岩に覆われた、口を開けるガマ。
ここは夫婦神が子をもうけたところと伝えられ、年頭拝み(ニントウゥグワン)にはノロ(祝女)が海浜から小石をひとつ拾い、洞窟に安置されている壺に入れて祈願するのだそうです。
普段は中に入れないようになっていますが、洞窟内には鍾乳石の陰石があり、子宝が授かる聖域としても有名です。
僕が訪ねたこの日も、子宝を切に願う若いご夫婦が、地元の方と思しき女性と参拝に訪れていました。
洞窟の中をよくみると、社らしいものが見えています。
辺りは蝶が飛び交い、アマミキヨの幸せな日々を思わせる光景でした。
シルミチューのそばに、「バマヒガムイ」と呼ばれる古代遺産があります。
そこは私有地になっていて、拝観には「シーサイドガーデン浜比嘉」でチケットを買うことになります。
チケットとはいえ数百円程度のもので、それは拝観後、ドリンクと引き換えてもらえるので良心的です。
しかし有料ゆえか、当地を紹介するブログなどは少ないようです。
僕がここに行ってみようと思ったのは、あらかじめ地元の漁師さんから、この一帯は未発掘の遺跡がゴロゴロあるのだと伺っていたからです。
撮影ポイントを探して港をうろうろしてた僕に、気さくに話しかけてくれて、いろいろ情報を提供くださいました。
シーサイドガーデン浜比嘉さんの案内では、まずこの丘に登るように勧められました。
今必死にその丘を登っている所です。
途中、いかにも神々しい岩や大樹に出会います。
2月後半とはいえ、気温は25℃に達しようかという陽気。
額に汗が浮き出します。
丘というより岩山のそれを登っているのですが、
岩の隙間に無理やり作ったような道を、体を擦りながら登っていきます。
数分も登ると頂に着きました。
設けられた展望台を目指すと、
そこには360°の絶景が広がっていました。
遠くに知念半島や久高島も見えています。
この丘は「ゆがふの丘」(バマヒジャムイ)と呼ばれ、古代よりニライカナイが見え、テーダの神、子孫繁栄の神らが交信・連絡する場所だとの伝承があるそうです。
次に丘を降り、順路に沿って歩いていくと「ミルク門」と書かれた場所に着きました。
そこはシルミチューの洞窟のすぐ下あたりになります。
「ヒンブン岩」なる岩の先に、
巨大な折り重なる「ミルク門」がありました。
これはあれです、小型の斎場御嶽の「三庫理」(サングーイ)です。
小型といってもかなりの大きさ。
下の三角の空洞を、身長180cmの僕が、腰をかがめて通れるくらい。
こちらにはガイドさんがいて、いろいろ説明してくださいました。
この岩穴の先は、祖先を祀っている所なのだそうです。
行き着いた先に見える岩は、龍と亀の頭の形をしているそうです。
こちらが龍で、
こちらが亀、確かに。
亀の頭の下には洞窟があり、
一定の時刻に光が差し込んで、そこに置かれた水晶が虹色に光るそうです。
いや、水晶はここの人が置いたのでしょうから、やや過剰演出に思えます。
とはいえ、確かにこの空間には、何やら神秘的な空気が漂っています。
古代の祭祀の場だったことは間違いないでしょう。
ガイドさんの話では、一定の条件の時、差し込む光がこの大きな岩壁に当たり、反射で輝いて菩薩のような、子を抱いたマリアのような、人影を浮かび上がらせるのだそうです。
ミルク門のミルクとは、実は、「弥勒」の事を指しているようです。
そういえば斎場御嶽の三庫理の壁面は神が降り立つ場所とされていました。
ミルク門の壁も、そうした場所なのかもしれません。
シルミチューからさらに先端に車を走らせた場所に、「高江洲製塩所」があります。
ここでは伝統的な製塩の様子を見学することができます。
汲み上げた海水を、循環させて空気に晒すことで水分を飛ばし、濃度を濃くしていきます。
最終的にそれを炊き上げて、製塩しているとのこと。
ちょっとだけ藻塩を連想させます。
当地を訪れたのは、先の地元の漁師さんから、是非ともこの製塩所のプライベートビーチに行くよう勧められたからです。
そして敷地内の草むらを抜けると、
ビィーーー
ーーーーーー
ーーーーーーーッチ!!
美しい、グラデーションの海が広がっていました。
こんなん、地元情報でなければ、絶対にたどり着けません。
おじさん感謝!
裸足で駆けずり回りたい衝動を抑え、打ち寄せる波をしばらく眺めていました。
製塩所ではお土産に、ハイビスカスとシークワーサー入りの塩、満月の海水・新月の海水で製塩した塩、盛り塩用のオシャンティな小皿を購入しました。
字比嘉の東方海岸に「アマミチュー」と呼ばれる聖地があります。
それは「アマンジ」と呼ばれる岩屋の小島で、アマミキヨの墓であると伝えられています。
中央に洞穴のある大きめの小島があり、周りを根元がえぐられた小岩に囲まれています。
コンクリートの橋を渡り、
その先に続く道を行くと
島の横腹に開いた洞穴に続く階段があります。
それが「アマミチューの墓」。
洞穴は塗り囲まれています。
圧倒的な霊圧を感じるこの場では、毎年、年頭拝みに字比嘉の「ノロ」(祝女)が中心となって島の人々が多数参加し、豊穣・無病息災・子孫繁盛を祈願するそうです。
沖縄の祭祀の中心となる「ノロ」。
実は僕のお客様の一人に、ノロを受け継ぐ方がいらっしゃいます。
古代から続く沖縄のシャーマンには「ノロ」と「ウタ」と呼ばれる人がいます。
「ユタ」とはもっぱら死霊の憑依を受けてトランスに入り、口寄せを行う巫女(シャーマン)のことです。
これに対し、「ノロ」は、御嶽などで神託を受け、王国の守護者となります。
つまり国家的神人が「ノロ」であり、庶民的神人が「ウタ」ということになります。
そして琉球における最高位のノロとして「聞得大君」(きこえおおきみ・チフィジン)がいました。
聞得大君は、琉球王国国王と王国全土を霊的に守護する存在として崇められました。
そのため、国王の姉妹など主に王族の女性が聞得大君として任命されています。
琉球時代には「ヲナリ信仰」というものがありました。
これは妹の霊力が兄に強く作用し、守り神のごとく守護するという信仰です。
兄は妹(姉)をヲナリ神と呼び、神格化しました。
やがて為政者・王は神人・ノロの神託を元に政を行う「政教二重主権」が生まれます。
これは古代大和王朝で行われていた為政と、まるで同じやり方だったのです。
沖縄ではウミヘビ「イラブー」を神聖な生き物、神様からの贈り物として大切にしています。
古代出雲でもウミヘビ「セグロウミヘビ」を、とぐろを巻いたミイラにし、ご神体として祀る習慣がありました。
また沖縄で海の彼方にあるという神の国「ニライカナイ」は、「高天原」に通じるものがあります。
ニライカナイの主神は「にらいの大主・君真物」(キンマムン)と言われています。
この君真物は太陽神です。
つまり琉球は太陽信仰だったのです。
もちろん古代大和も太陽信仰です。
それは古代出雲王国が太陽信仰國だったからです。
邪馬台国とされる宇佐王国は月神信仰です。
中華・秦国からの渡来人「秦氏」らは星神信仰です。
中国や朝鮮では大和王国のような太陽信仰はありません。
また琉球王国は女性の地位が、ノロなどの存在により高く守られていたことから、母系社会であったことが窺えます。
古代出雲・大和王国も母系社会でした。
古代中国・朝鮮は父系社会です。
ニライカナイの最高神、君真物は久米島に降り立ち、若い按司に祝福を届けたと伝えられているらしいのですが、かの僕のお客様が久米島のご出身です。
その方は王族の末裔であるということで、首里城そばの王墓「玉陵」にも特別な参拝をなさるそうです。
そしてそのお客様が、ノロであったお母様から受け継いだのが、コブシ大ほどもある「勾玉」だったのだそうです。
勾玉は古代大和では、王族が身につける身の証のようなものでした。
それが古代沖縄にも伝わっていたとは驚きです。
琉球王国は中国の文化も多分に影響をうけていますが、このようなことから、その心は日本人に深く通じていたのだと、この旅で再認識することとなりました。
僕の今回の沖縄旅は、アマミキヨに始まり、アマミキヨに終わる旅でした。
彼女は遠く、故郷のニライカナイを夢見ているのでしょうか。
その魂が眠るという小島は、浜辺に産卵に訪れた、母ウミガメのように見えていました。
Luoghi fantastici e misteriosi ,la storia raccontata è interessante e mi fa conoscere tradizioni popolari di un popolo così lontano .Bravo.
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Si dice che 8 milioni di dei vivano in Giappone.
Il palcoscenico della mitologia è in tutto il Giappone, e questo è un bellissimo luogo santo.
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勾玉が沖縄にもあったとは…!
凄いですね。
この神聖な地を守っていかなければなりませんね。
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その勾玉は久米島の博物館にあるそうなので、いつか見に行ってみたいです。
美しい日本を守りたい、切に思います。
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