霊仙寺

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福岡と佐賀の県境にある背振山。
その山中を訪ねると、不思議な遺跡に出会うことができます。

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福岡から脊振に向かうと、新しくできた「五ケ山ダム」のダム湖があります。
綺麗に整備され、レジャー施設などもできています。

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脊振の峠越えは快適な有料道を通行するのが一般的ですが、この日は敢えて細くうねった旧道の「坂本峠」を走ることに。

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離合もままならない細い山道に忽然と現れる

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謎の駐車場。

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茶道源なんちゃらの石碑を発見。

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そしてぽっかり獲物を誘うように、山奥へ誘う階段がそこにあるのです。

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割と急斜面の階段が続きます。

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足元は木片が敷き詰められ、程良いクッションに仕上げられています。

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それにしてもなぜこんな山奥にひっそりと、こんなに整備された階段が?

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次第に目につき始める石塔の数々。

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どれも年季が入っています。

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実はここへは過去数回訪れている僕ですが、今だに人一人として会ったことがありません。

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むしろ熊にでも出会いそう。
まあ、福岡に熊はいませんが。

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いくつかの分かれ道があり、

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乙護法堂とやらを目指します。

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もうひとふんばり、

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急激な階段を登ると、そこにそれはあったのです。

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階段の行き着く先にあるのが「霊仙寺」(りょうせんじ)の「乙護法堂」(おとごほうどう)です。

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この一帯は「霊仙寺趾」(りょうせんじあと)と呼ばれる史跡となります。

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霊仙寺趾は筑前街道沿いの背振山腹の斜面および谷部の約40haにわたり、寺坊などの跡を示す約90ヶ所の平坦面がみられます。

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お堂の中には祭壇が。

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前面には苔の絨毯が敷き詰められています。

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ここから見下ろすと、

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そこに広がるのは古の茶畑。

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ここは日本茶発祥の地。

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現在の日本茶をもたらしたのは、臨済宗の開祖「栄西禅師」とされ、現在から約800年前の西暦1191年、佐賀県脊振村にある霊仙寺内石上坊の庭に、日本で始めて蒔いたとされています。

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支那の宋で修行を終えた栄西は、多くの経典と一緒に薬草として茶を育てようと、種を持ち帰り育てる場所を探しました。

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佐賀県と福岡県の県境に連なる脊振山には、中国の山並みを思わせる眺望の素晴らしさがあります。

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また当地が、茶と同じツバキ科の仲間で国の天然記念物に指定された「千石山サザンカ自生北限地帯」であることも、宋から持ち帰った大切な茶種を蒔くのにふさわしい場所として選んだ理由と思われます。

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佐賀県佐賀地方の平均気温、年平均値は16.1度。
降水量、年平均値は1,888.1mmです。

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栄西茶が栽培される吉野ヶ里町東脊振は、標高約300mに位置します。

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品質の良い茶葉の採れる条件としては、寒暖の差が比較的大きく年間を通じて霜がないこと、

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平均気温が13度以上で涼しい環境を求め、年間の降雨量が1,500mm前後で朝霧に覆われる場所が適地とされています。

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この由緒ある栄西茶は、日本最初の茶樹栽培地の歴史を持ち、新緑の頃に朝霧に包まれるという最適の条件の中で育ちます。
ということで、実際にここで取れた茶が「栄西茶」として商品化されているようです。

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さて、いつもはここで引き返すのですが、今日はじっくり奥まで散策したいと思います。

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乙護法堂の裏手に進むと、いきなり大蛇のような巨木が現れます。

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ここからは、平安時代の末法思想の影響により経典を来世に残すために銅製又は陶製の筒状容器に収めて埋納した施設である「経塚」(きょうづか)が発見されています。

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少し歩いて見えてきたのは、

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「水上坊」(みずかみぼう)跡。

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平安時代から鎌倉時代の、霊仙寺の中心部と考えられています。

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そこからまた更に奥に、

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梵字が刻まれた石碑が見えます。

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これは金剛界大日如来を意味するそうで。

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そこに湧き出る霊水を少々汲みとります。

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そしてそろりそろり、

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そろりそろりと乙護法堂まで戻ります。

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ぱぱらぱっぱぱー
『携帯ガスコンロ~ぉ』

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着火!

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ちゃちゃらちゃっちゃちゃ~
『お茶セット~ぉ』

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シャコシャコします。

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いにしえの茶畑を前に一服。
ふう、まったり。
これがやりたかったんだよね。

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一服したあとは再び水上坊方面に進みます。

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その手前に下りの分かれ道が。

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いい感じに苔むした階段を下ります。

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なんだか踏むのがもったいない。

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しばらく降りると「無明橋」というものがありました。

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石の橋ですね。

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そこからまた少し、山に分け入っていきます。

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濃密な空気が漂います。

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「土橋坊跡」という標識。

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石垣がありました。

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「道場坊跡」とあります。

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再び石垣があり、

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また石の橋があります。

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これは「御手洗橋」。

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その先に「中谷坊跡」があります。

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この辺りは東谷と呼ばれ、江戸時代に再興された際の霊仙寺の中心地区でした。

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今は石垣や礎石のみが残るばかりですが、

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かつてはこんな山奥の一帯に御堂が建っていたのかと思うと感慨深いものです。

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それぞれの寺坊跡は、1坊あたり500~2000㎡前後の広さで、土塁や石垣で基礎が造られています。

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建物礎石を築いた場所もあり、それぞれが山道や石橋で結ばれています。

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霊仙寺趾からは4ヶ所の墓地が確認されていますが、発掘調査した墓地からは蔵骨器(ぞうこつき)に使用されていた鎌倉時代の中国製陶磁器などが出土しました。

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「東福院跡」という史跡がありました。

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そこの森がすごい。

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まるで屋久島のようです。

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無明橋から10分ほど歩いてきましたが、

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東谷の終点
 
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「東照宮跡」までやってきました。

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石垣の上を覗きましたが、

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これといったものは何もありません。

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しかしその何もない空間が、とても神々しく思えました。

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来た道を無明橋まで戻ります。

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その景色は、行きとはまた違った見え方をして驚きます。

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無明橋に着きました。

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ここから分かれ道で、水上坊跡方面へ登ることなく帰路を目指すことができます。

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と、今度は「御陵墓」という案内板があり、

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寄り道することに。

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御陵橋を渡り、

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しばらく歩くと

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ありました。

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そこは名の通り、墓石が立ち並ぶ場所でした。

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全く嫌な気配はなく、

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とても清々しいです。

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きっときれいに成仏されているのでしょう。

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また元の道に戻ると、

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石塔群がありました。

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さて、もういよいよ駐車場に戻るばかりなのですが、最後の分かれ道「石上坊跡」という標識がありました。

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その道程は、分かれ道から歩くこと10分。

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ずいずい歩きます。

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歩きます。

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登ります。

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思ったよりも、なかなか着きません。

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もう帰りたい、そう思い始めた頃、

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見えてきました。

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その場所の、すっごいこと。

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出雲やん!

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いえ、こここそが「石上坊跡」(いしがみぼうあと)。

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日本に茶の文化をもたらした「栄西」が住んだ西谷です。

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美しい。

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始めて来ました。

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こんな大きな岩と、そこに絡む樹木を見ると、

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僕にはもう、出雲の磐座にしか見えません。

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ここに出雲族がいたというわけではないと思いますよ。
でもすっかり僕は、出雲病なわけです。

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耳を澄ますと、川のせせらぎの音が聴こえてきます。

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音の方へ行くと川が流れていました。

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素晴らしい。
栄西もここで水を汲み上げていたのでしょうね。

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栄西がここに坊を建て住まおうと思った気持ちが分かります。
霊仙寺境内の中で、ここほど清らかな場所はないと思われました。

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4件のコメント 追加

  1. nakagawa より:

    時空を超えて栄西禅師に思いをはせる一服、いいですね。

    試験貯水中だった五ヶ山ダムを一瞬で満杯にした一昨年の豪雨は、随分長い間坂本峠を通行不能にしていましたが、通れるようになってよかったなぁと思います。
    トンネルの方が便利ですが、このルートも好きなので。

    佐賀橋行きのバスもなくなって、懐かしい景色はダムの底に沈みましたが、霊仙寺跡の茶畑を見るとホッとします。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      昔ながらの峠道はちょっとドキドキしますが、窓全開で走ると気持ち良いですよね。
      五ヶ山ダムに沈んだ風景は、僕もよくうろついた場所なので、少し寂しく感じます。
      しかし立派なダム湖ができて、また新たな景色を見せてくれるのだろうと楽しみにしています。
      今までは茶畑しか行ったことがなかったですが、東谷・西谷ともとても素晴らしく、なぜ今までスルーしていたのかと思いました。

      いいね: 1人

  2. wow !! Grazie Grazie mille!!!!

    ありがとう!!! m(_ _)m

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      Sei il benvenuto.

      いいね: 1人

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