福間・諏訪神社・大森宮:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 16

投稿日:

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福岡県福津市の3号線沿いに「諏訪神社」がありました。

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今は境内に保育所が建っていますが、かつては有名なスーパー銭湯「諏訪の湯」があったとのこと。
確かに記憶にうっすらあるようなないような。

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てか、ここ諏訪神社やったんかいっ!と今更ながらに気がつき、参拝に至った次第。
人生の中で、どれほどここを素通りしてきたか。

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なんか神社あるよね、とは思っていました。

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そもそも何故今、僕がここにたどり着いたのか、

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それは当社祭神「建御名方命」と大鯰に関わる伝承が、当地に伝わっていると聞いたからです。

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拝殿の中をこっそり伺うと、

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立派な神輿と

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年季の入った大きな絵馬がありました。

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が、しかし、これといって鯰と結びつくようなものは見当たりません。

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建御名方と鯰の関係の情報を知ったのは、国造神社を調べていた時の、国造神社の社家、阿蘇北宮祝家の血縁の方のブログを拝見していた時のことでした。

油獏の歴史逸話と時代小説柵。/ 宗像の鯰。>

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しかしそれ以上の情報が見つからず、なぜここに建御名方が祀られているのか?鯰との関係の根拠は?
僕はとんだところで躓いてしまっていたのです。

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そこで最近知り合いました、建御名方命と八坂刀賣姫の直系のご子孫というH氏に、建御名方に鯰との由来はあるのか尋ねてみました。
これまたすごい御血筋の方です。。

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が、氏曰く、そのような話は聞いていないとのこと。
困った。

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そこでふと思いつきました。
建御名方といえば諏訪。
諏訪に詳しいサイトがあったではないか!
難解な諏訪の古代史を訪ねる時に、幾度も助けられた「from八ヶ岳原人」さんのサイトです。
こちらに各地の諏訪神社を訪ねられた時のページが設けられており、当社諏訪神社についても項目を設けておられました、らっきぃ♪。

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八ヶ岳原人さんによると、津屋崎郷土史会『福間の神々』のサイト内、「諏訪神社」の〈コメント〉が紹介されています。

「 諏訪神社は全国に約5,700社あります。建御名方神をお祀りする神社です。建御名方神は、『古事記』によると天孫降臨に際し、お使いの神であった建御雷神と力競べをした結果敗れ、諏訪(洲羽)湖に追いつめられましたが、鯰のおかげで逃げ延びることが出来ました。そのため鯰は建御名方神の眷属とされ、この神を勧請した福間の人は鯰を食べない、と云われています。 」

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残念ながら、津屋崎郷土史会の『福間の神々』はすでに閉鎖されています。
さらなる詳しい情報は入手困難ですが、とりあえず建御名方と鯰の関係は、福間独自の伝承のようです。

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まあ、なぜ建御名方がここに祀られるようになったかは、相変わらず不明なのですが。

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諏訪神社から少し離れたところに、「なまずの郷」という広域公園があります。

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公園内にある立派な池。

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この池に数十匹の鯰がいるらしいのです

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が、見えるのは鯉ばかり。

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あ、こんなところにいた。

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さて、「なまずの郷」のすぐそばには「大森宮」が鎮座します。

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参道入口では、いきなり大きな鯰がお出迎え。

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結構リアルです。

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当社は鯰の研究で有名な、秋篠宮ご夫妻もご参拝された由緒ある神社。

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その参道から先は、誠に神威深い雰囲気に包まれていました。

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さて、当社の由緒によりますと、そこには鯰にまつわる話が記されていました。
室町代の中頃のこと、「河津興光」(かわづおきみつ)は、「大内義興」(おおうちよしおき)から西郷300町を領地とし与えられ、 亀山城を居城としていました。
ある時、興光は義興の命により、京都の船岡山での戦いに向かいます。

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しかし興光は、戦いで深い傷を負ってしまいました。
興光が行き着いた、池のほとりで死のふちに着こうとしていた時、

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突如巨大な鯰が現れて、興光を背中に乗せて池を渡り、味方の所へ運んだのでした。

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あやうく一命を救われた興光は、その鯰こそは故郷・西郷の氏神「大森宮」の神に違いないと感謝します。

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それで「これから西郷200町では鯰を食べないように」と禁教令をだしました。
以来、西郷では鯰を神の使いとして祀り大切にしたと云われています。

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あれ?タケミナカタ出てきませんね。

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ひょっとして近くに諏訪社があることから、興光がタケミナカタに変えられて伝承されていったのでしょうか。

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西郷の氏神「大森宮」の鯰とはこれ、蒲池族に違いないと思われます。

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拝殿の前には狛鯰が鎮座していました。

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尻尾は折れているのか、中途半端な形ではありますが、ちゃんと阿吽になっています。

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九州にタケミナカタの繋がりを探ると、阿蘇の健磐龍伝説に繋がります。
健磐龍自体はタケミナカタの子孫ではありませんでしたが、その妻「会知速比売」がタケミナカタの血族でした。
阿蘇の伝承通りなら会知速比売が阿蘇津姫であるということになるのでしょうか。

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阿蘇津姫は草部吉見神社の国龍命の娘と伝えられていました。
とするなら国龍命は会知速比売の父「会知早雄」だったのかもしれません。

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そのような仮定で見てみると、草部の地にいた大蛇族とはタケミナカタ族である可能性が出てきます。

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国龍命=大蛇族(健磐龍の抵抗勢力)=鬼八だとしたら、アララギの一族とは諏訪タケミナカタ族だったのかもしれません。
そうだとするなら、石見神楽の道返し演目で、鬼八とタケミナカタの姿が被るのも理解できます。

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また会知速比売・会知早雄の「会知」(おうち・おおぢ)が越智氏と繋がるのなら、また蒲池族との接点も見えてくることになります。

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そもそも河津興光の主人、「大内義興」は、室町時代後期から戦国時代にかけての周防(山口)の戦国大名とのことですが、彼が大内=会知族の末裔だとしたら、当地にタケミナカタの伝承があるのも頷ける話になってきます。

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阿蘇高森に移住してきた会知早雄がそこで、蒲池・日下部族に助けられて暮らし、その末裔が当地に至っていたとしたら、福間の諏訪神社の縁起に「大鯰が建御名方命を助けた」という話が語り継がれてもおかしくないことになります。

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更に鬼八=会知早雄がタケミナカタの末であるなら、アララギ族・興梠氏は古い神「神漏岐」の末であるという話にも信憑性を増すものです。
会知早雄が豊玉姫の末裔である鵜目姫を妻に迎え、タケミナカタ族と蒲池族が習合し、阿蘇・高千穂を中心として大いに栄えたのなら、諏訪・安曇野と阿蘇・高千穂の奇妙な一致も、その謎を説く手がかりになり得るというものです。

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境内横には「谷底神社」という意味不明な神社もありました。
稲荷社のようですが、よくわかりません。

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しかし谷底からアララギ族の謎に迫る、一つの光明を得たような、神社参拝でした。

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4件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    おはようございます。CHIRICOさん。
    ようこそ埼玉へ。(笑)
    高麗神社は出世神社とも呼ばれていて、日本の総理になった方々も参拝した事があるという場所。CHIRICOさんも大物になれますかな。
    記事をお待ちしてます。
    日高市から鷲宮神社や前玉神社は結構離れてますので、次回の選択は正解です。また来て下さい。(笑)
    行田市にお越しの際にはゼリーフライでも召し上がって下さいな。微妙さを味わえます。(笑)

    豊彦が上毛野に流され・・・ここいら辺りにも地域の伝承話があるんですが上野(上毛)と下野(下毛)の赤城の神様と日光の神様とが湖を巡って争いを起こし、結果は日光の神様が勝つ訳なんですが、今でも群馬と栃木の人達は隣県同士であるが何かと張り合ってます。(笑)
    明治の世に至り日本の地が天皇の下にて平定されるまで戦は続きました。今の日本は武器を持って争うことがなくなった訳ですから、そういう意味では
    平和なんですが、人の欲深さが心を貧しくし過度な情報で荒みつつあるこの世では、また大きな争いは生まれるのかも知れません。
    歴史は繰り返されるものなのですから・・・。
    と辛気臭い話はさておいて、もう今年も二カ月を切りました。今年はコロナに始まりコロナに終わる年。来年こそは私も日本各地の神社を巡る旅を
    再開したいと思ってます。
    来年の事を言うと鬼が笑うと言いますが、良い明日と未来を願いたいものです。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      ゼリーフライ、なにそれ!って感じですね(笑)
      まったくこの先どのようになっていくのか分からないですね。
      なので旅できるうちにと、優先順位順に動き始めたこの頃です。
      8まんさんが勧めてくれた「日本神話をよむ。-我が国は神の末なりー」でH氏と知り合い、H氏から勧められた「古代史研究会」に同じ投稿をしていたら、とある方の目に止まったらしく、偲フ花を紹介してくださっていました。
      その方というのが『「天外伺朗」(てんげしろう)」さんというペンネームにて活動されている作家さんで、SONYにて、AIBOをはじめ最先端の技術を産み出した、凄腕技術者の方なのですが、「神ごと」にも精通されておられる方』なのだと、古代史研究会に所属し、偲フ花にも度々足を運んでくださっているTさんから教えていただいたのです。
      驚きました!
      最近アクセス増えているなぁ、くらいには思っていましたが(笑)
      8まんさん、大きなご縁をありがとうございます。
      誠に感謝しきれないくらいです!

      いいね

  2. 8まん より:

    こんにちは。CHIRICOさん。
    鯰に救われたタケミナカタノミコトとはきっと地震にまつわる事かと。確か諏訪で語られるタケミナカタはタケミカヅチに追われて諏訪に逃げ延びたの記述はないんですよ確か・・・。しかし諏訪に入ったタカミナカタは強く無敗であったと。その為に昔から朝廷からは宮司を送り込むことが出来ず諏訪氏と守屋氏で諏訪の社を守っていた。
    それに鹿島宮ではタケミカヅチは大鯰を封じる要石があるという事で地震を封じる社になっている。
    茨城に大甕神社がありますが、ここにはミカボシカガセオという地主神、別名、天津甕星が宿魂石にタケミカズチの腹心タケハヅチによって封印される逸話があったりと朝廷から見て東の地には朝廷には都合が悪い話が結構あるんですよね。天津は天孫系の血筋を示し、甕星は星の皇子。星を祀る天孫の民の首長を朝廷が制する。天孫VS天孫。史記に残せぬ話かもと。
    この辺りの話がごちゃ混ぜになってタケミカヅチに敗れたタケミナカタの話が生まれたのかもと推測してます。
    だからタケミナカタの血筋のHさんも知らんということなのかもと。
    また、朝廷軍が諏訪を侵略しようとした時に地震に見舞われ諏訪攻略から撤退するような事もあったのではないかとも推察されます。
    それがタケミナカタ(諏訪の地)が鯰に救われるという転じた話になっていくのかもと考えられます。
    諏訪の社は私には相性の良いパワースポット。行くと運気が向上します。(笑)きっと祖先の血筋に諏訪にまつわる人がいるのかも。(笑)
    CHIRICOさんの旅を楽しませてもらいます。(笑)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは、8まんさん!
      高麗神社、行ってきましたよ。
      面白いところですね♪
      前玉神社と鷲宮神社にも行く予定でしたが、時間が足らず諦めました。
      でもまた時間をとってみます。

      天津甕星も武葉槌も、出雲に与した海家の者だと考えています。
      タケミカヅチは天日方奇日方の系図に、その名があり、登美家、つまり出雲系の人物だったようです。
      武葉槌は、大国主と因幡の曳田八上姫との間に生まれた下照姫を妻に迎えました。
      大国主と事代主が殺害され、穂日らによるクーデターが起きた時、甕星は出雲に残り、武葉槌は海家に寝返ったのではないかと思われます。

      道鏡事件にあるように、天皇家でさえ宇佐の神には伊勢の天照大神以上に一目置いていました。
      それはなぜか。
      宇佐に鎮座する謎の祭神「比売大神」が邪馬台国の卑弥呼「豊玉姫」であるなら十分納得できます。
      その豊玉姫とともに有明海周辺に祀られるのがナマズであり、蒲池姫です。
      宇土・八代から阿蘇にかけて信仰のあるナマズの蒲池姫は豊玉姫の子孫であったと推察されます。
      豊玉姫の息子・豊彦は物部のイクメ王とともに大和に東征を果たしますが、豊彦が疎ましくなったイクメは彼を上毛野国に追いやります。
      筑紫の土蜘蛛や熊襲と呼ばれる人たちは、イクメの裏切りに腹を立てた人々だったのではないでしょうか。
      そして物部王朝は彼らを執拗に征伐していきます。
      それと同時に物部王朝になって東方を蝦夷と呼び、彼らも幾度も征伐計画が実施されました。
      豊家と物部にはこの時より深い因縁が生じたものと思われます。
      鹿島宮の要石に似たものが宮崎の高千穂神社にもありますが、これは古い時代の社殿の礎石ではないかとのこと。
      重要な神跡であることに変わりはありませんが。
      鹿島宮は藤原氏の宮になっていますが、古くは多氏の宮だった可能性があります。
      多氏には出雲と海家の血が流れています。
      要石がナマズを押さえているという話やタケミナカタ敗走の話は、大和王朝が蝦夷討伐をする上で自分達に都合よく話を作り上げたのでしょう。

      いいね

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