大頭神社:親魏和國ノ女王 番外

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嚴島の神烏「ごがらす」四羽が飛来し、御烏喰式(おとぐいしき)を行った後、親烏二羽は紀州熊野に帰り、子烏二羽は嚴島の弥山に残って、次の一年間の祭りを享ける。
これにより大野は古くから別鴉郷(べつあのさと)と呼ばれた。

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広島県廿日市市(はつかいちし)、かの宮島にもほど近い山中に鎮座する「大頭神社」(おおがしらじんじゃ)を訪ねました。

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当地は名勝「妹背の滝」(いもせのたき)で知る人ぞ知る神社です。

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大頭神社は嚴島神社の摂社として推古天皇11年(603年)に創祀されたと伝えられ、古くは嚴島兼帯七社の一とされたと云います。

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もとは郷桑原に鎮座していましたが、大正二年に現在地に遷座。
大頭神社の情報をいただいた「yopioid」さんによると、宮島からでる肥を買い付けに大野から買いに行った時代があり、宮島の肥の臭いのする畑の真ん中に昔の大頭神社はあったそうです。その辺りではないかと思われる場所から撮影した宮島の写真が冒頭のもの。

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祭神は「大山祇命」(おおやまずみのみこと)、「国常立尊」(くにとこたちのみこと)、「佐伯鞍職命」(厳島神社初代神職)。

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『日本書紀』一書によると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐづち)を斬った時、その首が大山祇命、身中が中山祇命(椎宮神社)、手が麓山祇命(三鎗社)、腰が正勝山祇命、腹が奥山祇(原神社)に化したといい、首、即ち頭より成った大山祇を祀るため当神社を大頭神社と称するようになったのだそうです。

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また大頭神社の末社である中山大歳社(椎宮神社)、塩屋山祇社(太田神社)、奥谷尻河内社(原神社)、三鎗谷三鎗社(三鎗神社)は大頭分身の神と伝えられていました。

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「伊都岐島社未造殿舎造営料言上状」には「大頭社一宇三間一面、同戎殿一間一面、同拝殿一間一面、庁屋五間一面、御供屋三間、鳥居一基」と記されており、鎌倉時代には既に多くの社殿が建ち並んでいたことが窺えます。

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平清盛の頃より毎年米五十三石余りを奉納されていたと伝えられ、毛利元就公の時に二十三石、福島正則公の時に十六石、江戸時代に至るも十二石の社領米を有していました。

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今も続けられる10月第4日曜日の例祭では屋台が並び、神楽も舞われたりと大層賑わうそうです。

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yopioidさんから教えていただいた、僕を当地に足を運ばせた面白い情報が旧暦9月28日に斎行される「四鳥の別れ」(しちょうのわかれ)。
この日、嚴島の御烏(ごがらす)四羽が飛来し、御烏喰式(おとぐいしき)を行った後、親烏二羽は紀州熊野に帰り、子烏二羽は嚴島の弥山に残って、次の一年間の祭りを享けるというものです。

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yopioidさんが大頭神社の神官さんに聞きいた話では、塩味の餌を浮きに乗せて弥山からカラスが来るのを待つのだそうで、これが御烏喰式と呼ばれるようです。
確かに宮島の神使はカラスであると伝えられますが、御烏の二羽が熊野に帰っていくということは、御烏とはヤタガラスのことなのでしょうか。
ごがらすと響きの似ている福岡市警固の「小烏神社」(こがらすじんじゃ)はヤタガラスを祀っていますし、行橋市大谷の小烏神社は景行帝が鴨建津見命(かものたてつのみ)を勧請したと伝えられていました。

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それにしても境内に響く心地よい音。
社殿のすぐそばを、妹背の滝の「雌滝」(めんだき)が流れ落ちています。
まるで天に駆ける龍神のよう。

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そして本殿の横を少し歩み進むと

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激しい水飛沫を上げる「雄滝」(おんだき)がありました。
迫力はありますが滝壺は浅く、地元の方の行楽スポットになっています。

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推古天皇の御代のある夜、「佐伯鞍職」(さえきくらもと)の夢の中に「伊都岐島神」と名乗る神が現れて
「自らが鎮まる場所を探している。高天原の神鳥がそなたを案内するので辿り着いた場所に私を祀りなさい」
と伝えられ、鞍職はが神の鎮まる場所を探していると「粢団子」(しとぎだんご)を口にくわえた神鳥が「弥山の山頂」から飛び降りてきます。
この神鳥が鞍職を案内した場所が現在の嚴島神社だと云い伝えられます。
この神鳥・ごがらすがヤタガラスだとしたら、

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narisawaさんの唱える、「太田氏(ヤタガラス)は二度、物部を大和に引き込んだ」という説を強く裏付けることになりそうです。

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4件のコメント 追加

  1. Rehoboth より:

    Nice photos

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      thank you!

      いいね

  2. narisawa110 より:

    稚説をお取上げ頂きまして恐縮のnarisawa110であります。
    実は、少し謎がありまして、平氏に近いと思われる神社に、鳥の伝承があるという受け取り方をさせていただいておりますが、面白いことに熊野古道小辺路に、平家の落武者伝承があります。
    そこにかつて伝わっていたとされるのが平家の神宝、こがらす丸という刀。
    明治期の没落によって現在では散逸しています。
    現在ではうつしと思われる刀狩り伝世しており、先端部分が両刃になっている特異な姿を目にすることが出来ます

    こがらすと、八咫烏が近い存在なら、また面白い妄想が出来そうですw

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      こがらす丸、昔、娘が審神者になって、刀剣で乱舞していたアレですね!
      ごがらす=こがらす=ヤタガラスになるのだとしたら、厳島まで遣いに来ていたという御烏はそういうことなのかもしれません。そして大和の笠縫邑に月神祭祀の舞台を整え、その後も信仰が広まるよう後押しをした。
      しかしイクメが豊家を裏切って、しかも野見大田彦を取り込んだので、物部と太田家は対立するようになり、大田彦暗殺も目論んだ。

      なるほど、確かにしっくりきますね。
      イクメとヒバス姫の娘・大和姫は豊姫と似たようなルートで伊勢に遷宮していますが、彼女と同じように太田家から逃れたのかもしれませんね。

      いいね: 1人

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