三重県伊勢市の五十鈴川駅近くに、「皇女の森」(こうじょのもり・こじょもり)と呼ばれる場所があります。
田んぼの中に、ぽつ~んとある森。
ここは、大和姫が巡行されていた折、猿田彦命がやって来て、大神を祀るのに良い場所があると申し上げた場所だと伝えられています。
当地は、皇大神宮末社「宇治乃奴鬼神社」の跡地のようです。
皇女の森と呼ばれる由縁は、おそらく斎王「稚足姫皇女」(わかたらしひめのひめみこ)の悲劇の物語によるものと思われます。
雄略天皇の第二皇女・稚足姫皇女が、神宮の斎王として仕えていた時のこと、阿閉臣 国見(あへのおみくにみ)は、雄略天皇に、
「斎王が、湯人(斎王の禊ぎ係)の廬城部 武彦(いおきべのたけひこ)と密通し、さらには妊娠までしました」
と讒言しました。
これを知った武彦の父は、雄略天皇の怒りが一族に及ぶことを恐れて、自分の息子を殺してしまいます。
雄略天皇は使者を伊勢に遣わして皇女を厳しく訊問しますが、皇女は密通を否定し、その夜に神鏡を持ち出し斎宮から姿を消しました。
稚足姫皇女の姿が見えなくなり、彼女を探す天皇の使者は、五十鈴川のほとりに大蛇のような虹の立つ森を見つけました。
その虹の元の地中を掘ってみると、姫が隠した神鏡が出てきて、そのそばでは、首を吊って自ら命を絶った姫の亡骸を発見しました。
雄略天皇は斎王が妊娠しているか、腹を裂いて調べましたが、腹の中には水のようなものと石が入っているだけだったということです。
このことにより稚足姫皇女と廬城部連武彦の密通の濡れ衣は晴れるのですが、その稚足姫皇女が自殺した場所がこの皇女の森と云われています。
悲劇の伝承地・皇女の森ですが、『中村町 文化財保存会』によりますと、実は場所が微妙に違っているのだそうです。
それはこの交差点を曲がって、すぐ左手あたりだということ。
ところでなぜ、稚足姫皇女のお腹には白い石があったのか。
女性と白い石に関連する神話は、天之日矛(あめのひぼこ)にも伝わっていたのでした。
本当に田んぼの中にポツンとあるのですね。可哀想な姫👸。神話って、怖い話がありますね。本当にあった話なのでしょうか?
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