新宮の沖合に、近年「猫の島」として注目を集めている小さな島があります。
「相島」(あいのしま)は万葉集、続古今集にも歌われる歴史ある島です。
島の外周にある道は約6km。
半日もあれば、ゆっくり見て回れる大きさです。
釣りに訪れる人も多いようです。
島へ降り立つと、「猫の島」というように確かに猫をちらほら見かけますが、すごく多いということもありません。
高妻(たかづま)神社の鳥居が中学校の横にありました。
が、およそ人が通れる状態ではなくなっていたのでパスします。
港を過ぎれば、あとはひと気のない道が続きます。
ほとんど通り過ぎそうになりましたが、なにやら意味ありげな荒れた横道があり、そこを進むと鳥居がありました。
「剣神社」とあります。
剣神社へ来た道を少し戻ってみると、通り過ぎていた細い階段を見つけました。
その道を勇気をもって進んでみます。
海岸に出ました。
さらに案内板が出ていたので、その方向に進んでみます。
そこに朝鮮通信使に関する石碑がありました。
辺りは草一面に覆われる中、丸くなった石が見え隠れしています。
相島は江戸時代、朝鮮通信使の迎賓館が置かれていました。
その先は、長井浜(ナガイハマ)と呼ばれ、大きな石で埋め尽くされた海岸になっています。
ぱっと見は、無造作に石があるだけのように見えますが、
ところどころに大きく石が積み上げられたものがあります。
四角や丸く積み上げられた石。
ここには相島積石塚群(あいのしまつみいしづかぐん)という石の古墳が254基もあります。
形も様々なこの古墳は、5世紀後半から6世紀にかけて造られ、7世紀まで利用されていたそうです。
その古墳からは4~6世紀の朝鮮の土器も出土しています。
相島は「阿部島」と元は呼ばれていたようで、宮地嶽神社に最初に祀られていた「阿部高麿・助麿」兄弟とも無縁ではないのではと思っています。
相島は宮地嶽神社参道の「光の道」の延長線上にあり、しかもその道が島に届く場所がこの海岸なのです。
そして相島は志賀島と宮地嶽神社に挟まれるようにして海に浮かんでおり、
ここが隠れた阿部氏、ひいては安曇族の聖地なのではないかと思わずにはいられません。
僕が相島にやってきた理由は、この海岸を見るためでした。
しかし思っていた以上の素晴らしさに圧倒されました。
石を積み上げただけの古代人の墓が、よくぞ今まで、こんなに身近に残っていたものだと感動しました。
朝鮮通信使として来日したシンユハンは「海遊録」に「余が航海して以来初めて見る神仙境である」と記したそうです。
まさにそんなところに、安曇の聖地が残っていました。
島を半周ほどすると、「石宮神社」という所があります。
鬱蒼としたここは、豊臣秀吉が朝鮮を攻めるときに必勝祈願をした場所と云います。
稲荷神社の反対側に、その史跡がありました。
「太閤潮井の石」と呼ばれます。
秀吉は二度にわたり朝鮮を攻めました。
このときに秀吉はこの島に寄り戦勝祈願をしました。その時に兵士一人に一石運ばせ、ここに積み上げさせました。
それがこのような石の山になったそうです。
その先には美しい海原が見えました。
その遠くにある朝鮮半島を思いながら、秀吉は祈願をしたのでしょう。
さらにのどかな道を歩いていきます。
なにやら大きな目立つ岩がありました。
龍王石(八大龍王石神)です。
その先はもう港です。
そこにある「若宮神社」に最後、訪れます。
御祭神は「豊玉姫」と「玉依姫」です。
二人とも安曇族が祀る「綿津見」(竜宮)の姫君です。
この姉妹神が一緒に祀られるのは、実は珍しいことです。
本殿の横には「山幸彦」と「豊玉姫」が出逢ったというゆかりの神木がありました。
木の根元には何やら石碑が。
古代の謎を残す相島、ここも大島・沖ノ島に並ぶ、聖なる島の一つでした。