「犬神憑き」を祓うという、唯一無二の神社、賢見神社に行ってきました。
徳島阿波おどり空港から大歩危・小歩危方面へ車を走らせます。
賢見神社はマイナーな神社かと思いきや、道中大きな看板を見かけ、県民にはよく知られた神社であることを知りました。
ノスタルジックな校舎を過ぎ、
道脇に比較的新しい鳥居を目視します。
まあまあな山道を案内板に沿って走ってくると、
このような分岐点がありました。
賢見神社の本来の駐車場は矢印のない道を進んだ先にあるそうですが、絶句するような酷道が待ち構えているようで、ここは素直に賢見神社と記された矢印方向へ進むことにします。
すると建物が見え、「ご自由に駐車してください」という看板が見えます。
ここにご自由に駐車してください。
ご自由に………
この道の路肩や小屋の中に、ということのようです。
車を停めて降りてみれば、すでにこの絶景。
山深い場所に、神社があることが分かります。
そしてその先に幟が見えますね。あそこが目的の神社の鎮座地です。
頑張ればもうちょっと先まで車で行けそうです。でもそれ、絶対ダメ!
なぜなら先は行き止まりで、
己の愚行を死ぬほど後悔しながらバックすることになるからです。
おっと、怖いな。
さて、辺鄙も辺鄙、こんな秘境ともよべるような神社へ、徳島県民の多くが足を運ぶのだそうですが、
それはやはり、当社に伝わるご神徳があってのことでしょう。
境内図がありますが、奥社も鎮座しています。
立派な社殿が見えてきました。
「賢見神社」(けんみじんじゃ)は、徳島県三好市山城町寺野に鎮座し、「けんみさん」の愛称で親しまれています。
が、
なに~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!
賢見神社の創建は仁賢天皇の5世紀末とされており、祭神は「素戔嗚尊」と「応神天皇」なのだとか。。。なんで?
本殿横には荒神社(こうじんしゃ)と地鎮社がありました。
荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようで、岡山に200社、広島に140社、島根に120社、兵庫に110社、愛媛に65社、香川に35社、鳥取に30社、徳島に30社、山口に27社あるとwiki先生は述べてあります。
荒神は山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格が認められますが、有名なのは「火の神」や「竈の神」としての信仰です。
祭神は道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神が主で、出雲系の要素が強いです。
しかし密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王」のスサノオ信仰では、三寶荒神を牛頭天王の眷属神としています。
出雲贔屓な僕としては、荒神は出雲が発祥であると考えます。出雲の荒神は、塞の木に巻き付けられた藁蛇と合わせて、アラハバキの元ともなっています。
ただ瀬戸内でこれだけ広がっているところを見ると、荒神の火の神「竈神」としての性格が気にかかってきます。竈神、そう竈門神社の祭神は豊彦に嫁いだ「玉依姫」なのです。
賢見神社の本殿裏は巨大な岩の崖になっており、磐座信仰が元となっていることを感じさせました。
荒神社の先には絵馬殿があります。
中には神馬像や数々の絵馬が飾られています。
この絵馬殿の先にあるのが、酷道の果てに行き着くという正式な駐車場です。
絵馬殿の下に、賢見神社の奥社へと続く参道がありました。
奥社、甘露な響き。
行かないわけにはいきませんが、奈落の底へ落ちていくように、参道をどんどん降っていきます。
あああ、あんなに上に絵馬殿が。
果たして僕の体は、この後の上昇負荷に耐えられるのか。
樹木が茂りすぎてよくわかりませんが、この岸壁が大天狗ということでしょうか。
遥拝となっていますので、もっと上にあるのかもしれませんが。
さらに降ると歳徳神があります。
サイノカミっぽい歳徳神。
降り着いた場所はまさにメイド・イン・アビス。
ところで犬神憑きとはなんぞや。
犬神家!は関係ないか、
犬神、こちらですね。
犬神とは「狗神」のことであり、人にとり憑いて病気や災いなどの不幸をもたらす動物霊の総称です。
四国をはじめ、西日本地方では狗神による憑依・呪い伝承があり、人格が変化し、熱が出てうわごとを言い出したりする現象があったと云います。
いわゆる、てんかんのようなものでしょうか。
僕は子供の頃、てんかんを発症した女性を見たことがありますが、今のような医学知識がなければ何かしらの憑依現象だと思っても仕方ない有様でした。
この狗神を祓う生き物がオオカミであると古来信じられており、関連してかどうか、当社の御朱印にも狼の絵が描かれています。
オオカミといえば僕の人生の大転換となった秩父の三峯神社を彷彿とさせますが。
オオカミとは大神、クナト大神が元ではないでしょうか。
そう思うと当社も三峯神社も、やはり出雲族の関与が思われてならないのです。
奥社の横には、水修行所がありました。
霊験あらたかな水が滴っておりますが、滝行を受けずとも、僕はすでに自らの体から溢れ出すしょっぱい水の滝に打たれているので大丈夫です。
賢見神社の主祭神、素戔嗚尊の正体はクナト王である、と僕は推察しますが、もう1柱の応神天皇とは竹葉瀬君か。
瀬戸内の荒神・竈門神が関わっているとなると豊家の相方、越智家の存在もちらりと窺えるのです。
上昇負荷に耐え、なれ果てとなりながら本社まで戻ってきました。
社務所で宮司さんに剣の交差紋について尋ねましたが、
「古文書が残っておらず、詳しいことは分かっていません」とのお答えでした。
しかし
「ただ、霊峰剣山のご社紋が同じ剣の交差紋であると伺っております」
と付け加えられます。
な・ん・で・す・と!!
明日は剣山登拝を予定しておりましたが、一気にテンションが上がってきました。
上昇負荷上等!なれ果てのなれ果てになるまで登り詰めようではないかと意気込んだのでした。
ナナチは可愛いですね~。
あ、ところで、
賢見神社の手水の水は飲用できます。
甘露甘露。
賢見神社では過去に飢饉や伝染病が流行した際には多くの人がお祓いを受けに来たそうです。
今では重い心身の病気を患っている方や、人間関係に苦しんでいる人も祈祷を受けにくるのだとか。
当社の祈祷は、代々伝えられている独特な音色の祝詞を唱えた後、鈴と金幣で首筋や肩に直接触れ、厄を落とすといいます。
また、祈祷だけでなく相談事にも応じてくれるそうですが、いわゆる霊視は行わないのだそうです。
追記です。
nakagawaさんからもご指摘があった御朱印の文字、ダンブルドア先生にお見せしたところ、「王に見えるね」とのご発言。
ネットで字体など調べてみた結果、「賢見白王大神」、これで間違い無いでしょう。
白山ではなく白王、もっとヤバいの出た。
さらに追記です。
気がつくと、『偲フ花』の「賢見神社」アクセス数が急激に伸びていました。
嫌な予感がして賢見神社をGoogle検索してみると、やはり上位表記されちゃっていました。
『偲フ花』はあんまりGoogleさんで悪目立ちしたくないのですが、困った。。
こんなふざけたブログにたどり着いた方、ギガを浪費してしまった方、誠にすみません。
それならせめてちゃんと祈祷を受けてこようと、賢見神社さんを再拝するに至ったのです。
神社に着いたら早速申し込みです。
こちらの画像は加工しています。よい子の皆さんはきちんと記入してください。
年齢は「数え」で記入します。生まれた年を1歳としますので、通常の年齢に1を足す感じです。分からなければ、社務所で尋ねると丁寧に教えてくださいます。
初穂金は決まっていません。ご自身で決めます。
願事は家内安全でも健康祈願でも良いようですが、せっかくなので「邪気退散」にさせていただきました。
邪気に満ち満ちているので、祓い甲斐があると思います。
宮司様の準備が整いましたら、拝殿にお邪魔いたします。
「楽な姿勢でお座りください。あまり動かないように」
そのように案内いただきました。そしていよいよ祈祷が始まります。
独特な、不思議な祝詞。つぶやくような口調で始まったかと思いきや、次第に和歌を詠むような、心に響く音色に。
そして「頭を深く下げてください」と言われると、例の鈴が付いた金幣が首筋や肩に直接あてられます。
シャラシャラと、心地よい感触。時に静かに、時にゆらゆらと揺れて。
金幣が当てられている時間は思いのほか長く感じました。しかし不思議なのは、鉄製でありながらとても柔らかい感触で、僕の頭や肩に触れられているのです。
それはまるで、神様に撫でられているかのよう。
賢見神社の御祈祷では涙を流す人も少なくないと言いますが、分かるような気がしました。さまざまなものが許され、受け入れられるような感覚。僕は胸の内がとてもぽかぽかと温かくなりました。
狗神憑きを落とすというからもっと激しいものをイメージしていましたが、逆で、言い知れぬ慈愛に満ちた時間がそこにありました。
僕が御祈祷を受ける上で気がかりだったのは、大切なものまで祓われてしまうのではないかということでした。僕のそらくんは完全に月に帰って逝きましたが、それでも小さな小そらくんを僕に残していってくれていると思っています。その小そらくんまで祓われてしまわないか心配しましたが杞憂でした。むしろ小そらくんも喜んでいると思います。
賢見神社の御祈祷の霊験は神徳によるものでしょうが、祝詞のリズムと鈴と金の音、そして金幣の優しい感触、それらが絶妙に合わさって素敵な癒しをもたらします。
これは口では説明しきれませんので、ぜひ体験していただきたいです。
御祈祷が終わられた後も、宮司様はさまざまなことを丁寧にお話をしてくださいました。
徳島県内はもとより、北海道から沖縄の離島まで広く、多くの方が徳島のこの山中の神社を訪ねて来られるそうです。
毎年、毎月御祈祷を受けられる方も少なくなく、明日からの人生を歩むために涙を流していかれるという方もいらっしゃるそうです。
御朱印の「賢見白王大神」については、よくは分からないそうで、過去に合祀した神社もあるとのことなので、その中に白王神社があったのではないかとは僕の推察です。
それはともかく賢見神社は、とても気持ちの良い宮司さんや御神職さんにお会いするだけでも、遠く足を運ぶ価値がある唯一無二の神社であると思われたのでした。
白王=皇。
引用になりますが、参考までに。
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白山、白嶽、白川、白水、白王、
これら白をシンボルとする名称の背後に、秘められた一族の存在を感じます。稲荷社の神使は白い狐であり、神体は白蛇です。白川伯王の神社は伊勢稲荷と呼ばれています。
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そうですね、
女性性-水信仰-龍蛇
ミシャクジ信仰の御室神事でに登場するソソウもまた、蛇で
レビ族のレヴィアタン信仰を彷彿させられるが、豊饒-農事との繋がりが、太陽信仰との習合で
意外と縄文ー弥生の過渡期/海洋狩猟民族ー農耕社会への移行に重ねられるかもしれない。(ザックリ過ぎ)
(前述ミシャクジ信仰の霊石/霊木信仰が、彼のカナンのエボス人の聖柱-聖木信仰を彷彿するのもまた摩訶不思議。)
ただ、「白」が縄張り要素としてのシンボルで機能されてるかどうか、
例えば信仰由来か、地理地域性由来か、確証がなく、なんとも言えんが
TPO次第で、一概に言えない
別例として、陰陽道に通ずる五行の中で「白」が持つ象徴性も色々
https://pbs.twimg.com/media/FHubplracAAL_k_?format=jpg&name=900×900
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残暑見舞い申し上げます。
どもCHIRICOさん。オカルト大好き8まんです。
狗神様な話が出てたんで小話を。
こっくりさんはご存知ですか?
あの、ボードの上で10円を動かすアレです。占い等では亀の甲羅割れ方だったりお粥の・・・とか古くから現代に至る迄に形を変えて伝わって来ました。元々こっくりさんとは狐と狗と狸を三文字並べた「狐狗狸」を由来としてます。どれも神様として神社に祀られてます。狐は稲荷。狗は狼を含めて祀られて、狸は、四国では狸大明神です。そんな神様を占いに利用したのがこっくりさん。今は集団ヒステリーを引き起こす危険な遊びになってしまいましたが、物事の理を知らず扱う事はなんだって危険。今の人は古き教えは引き継がず都合の良い物だけ扱う傾向が見られるのは残念と。そんな小話でした。
追伸、前回のCHIRICOさんが出雲は龍紋とおっしゃってたようですが、現在の出雲の紋は玄武(大国主を北の護り神として)の甲羅を指すとの事らしいとその筋に詳しいウィキは語ってます。亀甲に花菱若しくは、亀甲に有(神在月に起因)です。
因みに龍紋は三つの尻尾で記されておりますよ。
富家で語られる歴史と現代解釈には、やはり多く違いが出ていて、失われる歴史はなんとも・・・。
諏訪に、モレヤの民がミシャグチの神を奉り、後からタケミナカタの神が上塗りされた時代があった。この地はかつては蝦夷地である。祭りの風習を現代の人が改変し本来の祭りの風習を野蛮として封印した。イサクのはんさいは失われた。時代の伝承とは、どこを切り取って誰が・・・ではなく一つの巻物の歴史で見ていく必要があると感じる今日この頃です。
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8まんさん、お残暑でございます。
数年前、8まんさんが勧めてくれた剣山にようやく登拝が叶いました。そしてまさか、そこで剣の交差紋を見ることになろうとは。
おっしゃる通り、今の一般的な解釈では、六角形の枠は亀甲枠とされていますが、富氏は龍鱗枠であると主張します。出雲族が龍蛇神族であることを隠したい思惑があるのかもしれません。
コックリさん、僕が中学生の頃、それで気が変になった女学生がいました、たしか。思い込みが過ぎたのかもしれないし、ほんとうに何かに憑かれ他のかもしれません。
四国の狸大明神巡りもしました。ネタはまだ上げておりませんが。
しかし四国には狐と深い関わりもあるという事実にも行きつきました。
つまり四国には「狐狗狸」全てが揃っているのです。
国産み神話でも四国は早い段階で生まれていますが、これは有力な一族が四国にいたことを伝えているのではないでしょうか。
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ちょっとビックリしました。
御朱印に押されている文字、私には「賢見白山(?)大社」と読めるのですが、読み方を聞かれていたら教えていただけないでしょうか。
「山」の異体字と読んだのは間違いかもしれませんが。
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さすがnakagawaさん、そこに気が付きましたか!
僕もこれって白山だよな、と思いつつ確信が持てないでいます。
読み方は確認していないんですよねー、nakagawaさん行ってみてこられませんか😁
僕はちょっと大胆な考察を持っています。そうであれば、九州王朝説や阿波王朝説もなんとなく説明できる気がするんですよね。裏出雲として越智家があるとしたならば。
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nakagawaさん、今日くるま座さんにお見せしたところ、「これ白王に見えるね」とのこと。
「賢見白王大神」、もっとヤバいの出てきてしまいました。
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確かに!画数は「王」ですね。
白王って・・・、白川伯王は字が違うし。何でしょう?
大胆な考察いつか聞かせて下さい。
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上のコメントではあまり詳しく書きませんでしたが、実は阿波で白王が出てきたことにものすごく驚きました。伊予と土佐ならいざ知らず、です。
「白い一族の軌跡を辿るメイド・イン・アビス」
いいですね。いいですね。😍
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僕の勘では四国のほぼ全域に拠点を張っていたと思います。豊と越智、亀の磐座、白稲荷、そんな感じです。
でもですね、暴いてはいけないんじゃないかって気もしてます。冥土・イン・アビスにならなければいいなと。。
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ちょwww御神紋www
ここ、オオカミ様なんですね。
ビビッときたので、中山神道が思い浮かんだので、検索したらすぐ西側に中山神社ありますよ〜
瀬戸内海側、川の名前が吉野川
うーむ、物部の系のオオカミ信仰なのか?
確か中山神社は吉備系でしたっけ?
もしかしたら両神山→秩父や三峰へのご眷属の貸し出しの構図が、ここでは中山神社への貸し出しの構図になってたりして
いやはや、まさかのオオカミで繋がるかもしれない展開になるとは〜w
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阿波国は諏訪大社の元宮じゃぁという神社もあったりでわけわかめです、面白いけど。
かずら橋で有名な集落は祖谷(イヤ)ですしね。
なんでもありですよ四国は。
九州王朝説ならぬ、阿波王朝説なんてのもありますからね。
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実はですね、元々諏方は前宮が最初に出来ていて、王家本ではそこにサイノカミを祀ったとありますよね。
故に、海神系と道祖神系のお舟祭りのうち、諏方では道祖神系のそれが行われます。
ミナカタは後から運ばれてきたか、上書きされてる訳です。
最近動画サイトで注目された安倍家の末裔の口伝者の方も、ミナカタは忌部から運ばれてきた説に同調している節があります。
あくまでミナカタという視点であれば、他から運ばれてきたという説はあり得ない話ではないと思います。
逆に、物部氏が土着化する際に記紀服属で、ミナカタ伝承を利用して諏方族を名乗ったとさえ、最近では思い始めています。
因みに、生島足島神社(本社、元宮)は、かつては諏訪神社、上社、下社の名称で、それ以前の祭祀形態はもう本当にわからないそうです。
まあ、少なくとも自分本人じゃなく、先祖を祀りますよね、普通は。
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なるほど、諏訪はサイノカミか事代主を祀っていたということでしょうか。そこへ何者かがミナカタを祀ったと。
ミナカタの后、八坂刀売って誰でしょうかね。安曇だという人もいますし、忌部だという話もあります。今回四国を旅して少し見えてきたのは忌部とも関わりがありそうな一族、やはりそう越智家です。
八坂刀売は越智である可能性はないですか?
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実は、諏訪においても、記紀の様に、時間の嘘(記述時期の圧縮をして事実を消し飛ばす)、空間の嘘(大和と九州の争いを局地的に起きたことにして誤魔化す)、認識の嘘(政権の本流の軸をずらし、大和と九州を入れ替えて混乱させる)が行われた気がしています。それそのものが記紀服属な訳です。
諏訪伝承においてはミナカタが入諏した際には、三島氏のような受け皿があったと考えられており、ミナカタが来た時には事代主が居たのでは?という話になっています。
物部守屋の母親は諏訪一族で、母系と父系を入れ替えで自分の家の伝承にできる立場なのが守屋の子孫たちなのです。
一本だけの家系図は、父系も母系も分からない、基本的に偽装の可能性が否定できない系図になります。
物部総本家の五瀬家が、母系の橋本家を名乗ってヤマトの分家、佐野命の物部家の嫌がらせをかわしたように、細工があったと考え始めています。
物部守屋の母親の諏方族を事代主という認識に誤魔化せば、神長官家を諏訪の元々のミナカタの祭祀を物部家が乗っ取った構図に繋がります。
故に、海部家に近い80代の系譜になると言うわけです。
本当は皇室が120代なのに、海部が80代、千家も80代なのはおかしいという考え方もありますが、富家を除けば叢雲からの時代は主要な旧家はほぼ80代なのです。
治政30年で80代で大体二千年になります。
八坂に関しては考え方が難しいですね。
天白がどこから来たかで分かれますし、最近の諏方伝承の動画であれば下社は安曇が持ってきた、故に下社にヤサカトメがいるという事です
忌部氏が大陸渡来を偽装した系図、天神系図が以前ご紹介した系図ですが、忌部氏の兄弟の家系にヤサカトメが出てきています
であるのなら、忌部氏が諏方や長野県に来ていなければ必要性は生まれません
長野県には安房峠など、関東忌部ゆかりの地名がありますから。
しかしその場合は天白が、東海から来たという説に乗らなければならず、ミシャグチと天白の重層構造には里帰りの概念が必要になります
トメ姫が伊勢地方の天白の系譜であるとするのであれば、三島もいた所になります。
ヤサカイリヒコのお墓は東風谷(コチヤ)といい、オチにも近いのです。
九州越智の古い系図は小市だったかと
安曇、忌部の親戚に加え、三嶋(越智)の考え方はとても考察に値すると私は考えます
三嶋は黒子に徹しすぎで方々の豪族が三島の権威を帯びるので判別するのは難しいですよね
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カップ酒を設置する理由は何なんでしょうか🦑安い酒は匂いが臭いです🐣しかも御神酒というカテゴリーでも無さそうなただの酒🐥まさにメイド・イン・アビス…肴はもちろんイカ🦑🦑🦑🦑
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手軽だからでしょうが、たしかにカップ酒を神様に置いていくのはいかがなものかと思わなくはないですね。僕は下戸なので、酒の良し悪しはよくわかりませんが。
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安い日本酒はあまり良い香りはしませんね🐥
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