葛城の旧高野街道「風の森峠」に素敵な神社があるというので立ち寄ってみます。
そこは名の通り、田園の中に爽やかな風が吹き抜ける場所でした。
ナビを頼りにうろうろしますが、なかなかその場所が見つかりません。
ふと見上げると小高く盛り上がった杜を見つけましたので、そこを目指してみます。
何の標識もありませんが、唯一この石垣だけが怪しさを放ってます。
しかし階段を上っても公民館らしき建物があるばかりです。
と、その建物の横裏にまた階段がありました。
そこには、小さな杜にかこまれた、小さな社が鎮座しています。
新しい石灯籠と古い石灯籠。
これが高鴨神社と一対になっている、と言われる小祠です。
正式には「風の森坐志那都比古神社」と呼ぶようです。
ご祭神は「志那都比古神」(シナツヒコノカミ)。
シナツヒコは、日本神話に登場する神で、志那都比古神は古事記での表記となります。
日本書紀では「級長津彦命」(シナツヒコノミコト)と表記されます。
神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神であり、これは風の神であると記述されています。
葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地と云われていますが、風の神は、五穀みのりを、風水害から守る農業神として祀られているそうです。
伊勢神宮には内宮の別宮に「風日祈宮」(かざひのみのみや)、外宮の別宮に「風宮」があり、どちらも級長津彦命と級長戸辺命が祀られています。
風日祈宮は元々「風神社」と呼ばれていましたが、元寇の際に神風を吹かせたのは風神社の神であるとされたことから、「風日祈宮」の宮号が宣下されたと云います。
いずれの場所も、独特の突き抜けるような気を感じる場所なので、古代の人もそれを感じ祀ったのかもしれません。
製鉄の頃には喜ばれた風も、農工が発展してくると稲などが倒れないように、鎮める対象、風鎮祭に変わっていって、風の神は衰退したとされるのが一般的な見方になりますが、ここもそんな感じで寂しくなってしまっていますね。
ナリレコwには風三郎神社をUPしていますが、その本質は、風と共に信濃に去ったとされる伊勢津彦との説があります。
諏訪明神絵詞にも、かつての風宮跡と、廃止された風祝職の伝承もあります。
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