琴引山:八雲ニ散ル花 番外

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この山の峰に岩屋があって、その中に天下を造られた大国主命の御琴がある。
長さ七尺、広さ三尺、厚さ一尺五寸である。
また峰に石神があって、高さ二丈、周りが四丈、そこでこの山を琴引山という。

- 『出雲国風土記』 -

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島根県飯石郡飯南町の「琴引山」(1014m)にやってきました。

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この山頂付近に鎮座する「琴弾山神社」(ことびきやまじんじゃ)に参拝することは、僕の長年の夢の一つでした。

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出雲にはちょいちょい足を伸ばしていたものの、これまで参拝が叶わなかったのは、少々位置的に離れてることと登山をしなければならないため、尻込みをしていたからです。
今日、思いを遂げてきます。

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さて、この琴引山、

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なぜかスキー場のある琴引山フォレストパークから登ることになる。

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このリフトの下の草地を登るのですが、これが地味にきつい。
おーい、リフトー、リフ・ティー、
だれかリフト動かしてー!!

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もう初っ端から心折れそうです。
ところでこのでっかい箱、製氷機なのだそうで。

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琴引山登山道入口これより100m。
まだスタートにも立っとらんかったんかいっ!

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ああ、なんかそれらしきものが見えてきました。

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さて、ここから山道を1.5km、約90分の登山となります。

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この琴引山、出雲の神在月において八百万の神々が最初に降り立つ山と伝えられているそうで、例祭の「神迎え神事」では多くの参拝者が山頂に集うのだそうです。

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それにしては登山口が珍妙な場所にありますが、由來八幡宮から敷波川沿いを遡上し、尾根沿いに登るのが正式な参道のようです。

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このフォレストパークから登る道にも、由來八幡宮方面から登る道にも、それぞれ8合目付近に大国主の琴が納められているという岩屋があるといいます。

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正式な参道である由來八幡宮方面の登山道8合目には「穴神琴弾岩」(琴の岩屋)と呼ばれる窟があるそうで、中には二段の平石があるとのこと。

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そこに水滴が落ちて音を奏でたことから、それが「大神の御琴」と呼ばれたのでなかろうかとの考察があります。

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なるほどそれは興味深い。
しかしこの道からそこへ至るには、山頂から別の道をかなり降る必要があり、降ったからには再び登ってこの道に戻らなくてはならないということになります。

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なので穴神琴弾岩はパス。
そもそも洞窟はちょっと怖いし。

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それにこの日の午前中は太歳神社の比熊山を登ってきましたし、前日は比婆山比婆山熊野神社の那智の滝まで登ってきました。
もう限界。
足がパンパンの今、琴引山に登拝することそのものが、無謀だったのです。

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「十畳岩」という平たい大きな岩の上に出ました。

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そこを流れる川の水で喉を潤すことができます。

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道はさらに続き、時には倒木が邪魔をすることも。

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熊でも出てきそうな雰囲気です。

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そうしていると、再び水場が現れました。

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「弦の清水」、案内によると最後の水場のようです。

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水の用意を怠った僕は、ここで水分を補給します。
片道90分程度の登山ですが、山を侮ってはなりません。
自然の恵みに感謝しながら山頂を目指します。

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弦の清水までがちょうど行程の半分といったとこでしょうか。

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ほどなくしてすごい磐座が姿を現しました。

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とてつもなく重厚な、重なり合う岩。

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「大神岩」

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穴神琴弾岩とともに、大国主の琴を納めたと伝わる巨岩の祭壇です。

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大神岩の手前にもゴツゴツと岩畳が広がっています。

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祭壇部分には光が差し込み、とても神秘的でした。
雨が降るとここに雫が落ち、ひょっとすると水琴窟のような音を奏でるのかもしれません。

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しゃがんで大人一人が入れるほどの岩の祭壇は、この先の真の磐座の遥拝所として機能したのでしょう。
それは背振山中で見つけた例の磐座が、これを模したかのような印象を僕に与えました。

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そもそも、古事記による大国主の琴の神話は、柿本人麿による作り話です。

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オオクニヌシが妻スセリヒメの実家(黄泉・根の国)を訪ねると、そこで父スサノオにイジメ難題をふっかけられたという話です。
これににスセリの助けを得てスサノオの元を離れるのですが、その際オオクニヌシは刀と弓矢、それに琴を奪っていったのです。

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当地は出雲の西の外れにあり、西出雲王家・郷戸家(ごうどけ)の支配地であったと考えられます。

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その山中に水琴窟のような音がする巌窟(洞穴)がある。
それは洞穴で枯死された八代目大名持「八千矛・大国主」が琴を奏でているに違いない、という感じで噂になる。
人麿がその噂を知って古事記に盛り込んだのではないでしょうか。

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だとするなら、人麿の情報通ぶりとそれを巧みに創作話に組み込む才能に、ただただ驚くばかりです。

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ところで巨大な磐座群の出迎えをうけたその先には、

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ついに真の神跡が姿を露わにしたのでした。

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ついに辿り着いた琴引山山頂の磐座。
圧倒的な存在感です。

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岩の前に見える建物が琴弾山神社の社殿、ではなくて、おそらく物置のようなものです。

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この磐座の真髄は、奥に立たなければ完全に理解することはできないのです。

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その御姿、「御陰石」(みほといわ)、または「女夫岩」(めおといわ)と呼ばれる見事なサイノカミの磐座です。
そしてなんと美しいことに、天上から差し込む光の道ができていました。

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岩の先にある社殿が「琴弾山神社」。
しかし往古にはここに社殿はなかったことでしょう。

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以前は山頂付近に四十二坊の寺院があり、修験場とされていましたので、その時に社殿が造られたのだと思われます。

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当社の祭神は「大国主大神」と「伊弉冉大神」(いざなみのおおかみ)となっていますが、大国主は別の磐座に葬られていますので、ここには国母神であるイザナミ、つまり出雲の幸姫(さいひめ)を祀ったのだと考えられます。

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実は和歌山の熊野速玉大社の元宮とされる「ゴトビキ岩」の大元宮が、この琴引山の磐座になります。

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ゴトビキとはヒキガエルの方言での呼び名であると一般には解されていますが、本当は「琴引」のことなのです。

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和歌山のゴトビキ岩は突き出たその形容から男根を連想しますが、奥の隠された真の祭祀場を見れば、それが女神を現していることに気がつきます。
そしてこの琴引の磐座も女神。

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さらに社殿の下を見ると、ちょこっと突き出た岩があり、

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さりげなく男神の存在を思わせるのです。

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熊野は和歌山の熊野が本家であると思われがちですが、実は出雲が本家であると言えます。

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熊野大社も富家の屋敷があった出雲の熊野大社が大元の社なのです。

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社殿から見た御陰石。

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その社殿を裏手に周り山頂を目指します。

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山頂もそそり立つ巨岩でできています。

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道無き道の先には

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八百万の神々降臨の地、

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琴引山山頂です。

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360°の展望。

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眼下にフォレストパークが見え、

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視線を上げた先に佐姫山が見えます。

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今は三瓶山などと風情のない名で呼ばれていますが、佐姫山は出雲族が太陽の女神を崇めた聖なる山。

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その佐姫山と女神の磐座が鎮座する琴引山が、互いに遥拝する形で鎮座しているのはなかなか感慨深いものです。

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9月23日の例祭では、神在月に先立って、当地で神迎えの神事が行われるのだといいます。

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神在月の本来の意味は、各地に散った出雲族が幸姫の命日に墓参りに帰省することに由来するのだそうです。

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であれば、その出雲族がまず最初に、この女神の磐座に参拝したとしても不思議ではありません。

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古来、出雲族は二墓制でした。
王族の遺体は山頂の磐座に埋葬され、里には遥拝の石が置かれたといいます。

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であるのなら、この琴引岩が埋め墓で、佐太神社の「母儀人基社」(もぎのひともとしゃ)が拝み墓なのかもしれません。

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この山頂の石積みの前に立っていると、八百万の神々が最初に降り立つ山と最後に立ち寄る社が繋がったような、そんな気がしたのでした。

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