糸島にある「櫻井神社」(さくらいじんじゃ)は知る人ぞ知るパワースポット。
なぜなら伊勢神宮の内宮と外宮を併せ持つ、由緒正しい神社だからです。
櫻井神社に行くなら、まず糸島の夫婦岩を訪れましょう。
この浜は、伊勢と同じ「二見ヶ浦」と言います。
伊勢の「朝日の二見ヶ浦」に対し、こちらは夕日が美しい「夕日の二見ヶ浦」と呼ばれます。
この浜もきっと、禊の意味合いがあるのだと思います。
筑前二見ヶ浦の裏手にある岡を上ると、「櫻井神社」があります。
参道にあるのは、風情ある石の太鼓橋。
この神社に伝わる、創建の話です。
江戸時代の初期の頃、大豪雨が村に降り注いだ時、電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、霊験あらたかな神が出現し、様々な奇跡を起こしました。
それを聞いた時の藩主、黒田忠之は事あるごとに二度、家臣を使いに出しますが、二度ともその答え寸分違わず御験(みしるし)を得ることができました。
そこで神威に感謝した忠之は、当地に立派な社を建てられたということです。
主祭神は「輿止妃大明神」。
当社ではこの神を、「神直日神」(かむなおひのかみ)、「大直日神」(おおなおひのかみ)、「八十枉津日神」(やそまがつひのかみ)の3柱の総称としています。
神直日神と大直日神は厄災を祓い清める神、八十枉津日神は厄災そのものを司る神と云います。
輿止妃大明神と言えば、佐賀の「與止日女神社」(よどひめじんじゃ)が有名ですが、当地の由来では與止日女大神は神功皇后の妹であると伝わります。
何れにせよ、まだ謎の多い神と言えます。
当社のおみくじはなんと20円、格安です。
2019年1月10日の参拝では「吉」と出ました。
1月10日と言えば、「十日えびす」が当社でも行われます。
様々な縁起物が当たる恵比須福引きが参拝者に人気です。
多数の絵馬が奉納された拝殿。
この日、楼門の外では、厄年の氏子さんらによって焚かれた焚き火が、参拝者を迎えていました。
さて、7月2日の朝4時。
日が早くなったとはいえ、さすがにまだ真っ暗な本殿裏に、人だかりができています。
実は本殿裏には、この櫻井神社の真の聖地が隠されているのです。
通常の拝殿裏は「岩戸宮」とありますが、このように戸が閉ざされています。
しかしこの戸が開く日があり、それが正月三が日と7月2日なのです。
しかも7月2日は特別で、なんと戸の中、つまり岩戸の中に入って参拝できる日なのです。
岩戸とはそう、大豪雨の中、霊験あらたかな神が現れたという場所です。
朝4時になると宮司さんを中心に氏子さんたちが岩戸前に座り、祝詞奏上がはじまります。
しばらく太鼓を打ち鳴らし、神事が執り行われていくのですが、
おもむろにすべての明かりが消されます。
…辺りは真っ暗、闇に包まれます。
誰も声一つあげる人はいません。
静寂が続きます。
…かなり長い間、闇が続きます。
遠くで鶏の鳴き声が聞こえてきました。
…ふと、明かりが灯ります。
そして岩戸の門が御開帳です。
これはまさしく当時の神の降臨の様子を再現したものでしょう。
また、天照の天の岩戸を重ねているとも思われます。
岩戸とは、いわば古墳です。
古墳の石室に入っていくわけですが、中は狭く、一組づつしか入れませんので、順番が回ってくるまでだいぶ待ちます。
空は次第に明るくなってきました。
本殿に近づきましたが、その造りの鮮やかさに驚きます。
岩戸前では水に浸けた榊で左・右・左と肩の左右に振って身を清めます。
いよいよ岩戸内に入っていきます。
岩戸の中はとてもひんやりとしていました。
岩を積み上げた洞窟の中はしっとり濡れていて、雫が落ちてきます。
岩戸内では社務所でいただいた榊を捧げます。
果たして、ここに現れた輿止妃大明神とは、どのような神だったのでしょうか。
うっすらと見える天井を見上げて、退室しました。
本殿の屋根左右に阿吽の龍の彫り物があります。
とても見事なので、忘れず見ておきたいです。
夫婦岩の遥拝所もあります。
ここで境内を離れ、一旦楼門をでます。
楼門向かいに鳥居があり、丘へと続く参道があります。
この鳥居は伊勢神宮外宮から、遷宮の際に下賜されたもの。
石を埋め込んだ参道を少し登ります。
その奥にあるのは「櫻井大神宮」。
この神侘びた鳥居も、伊勢神宮から下賜されたもの。
そこには3つの建物からなるこの神社が鎮座しています。
当社は内宮と外宮を併せ持った、特殊な造りの神社であるといい、「天照大神」と「豊受大神」2神が祀られています。
このような神聖な場所に、奥まで入ることができるのは凄いことです。
長年の侘びを感じさせる本殿。
写真からはわかりにくいですが、千木は左が縦削ぎ、右が横削ぎになっています。
静かな杜に囲まれて、とても心穏やかになれる場所。
ただ無心に祈りを捧げます。
さて、櫻井神社から500mほど離れたところに「浦姫宮」という社があります。
岩戸宮に現れた神はどのようにして神託を下したのか。
それは「浦新左衛門毎治」の妻に憑いたようです。
妻に神託が下り、約束の5年間の五穀断ちの苦行を果たすと、千里眼を授かったと云います。
そうして浦の婦人に聞けば何でも分かると評判になり、黒田忠之の聞きおよぶことになるのです。
その後、黒田家の御家騒動を解決したりと活躍を続け、「浦姫様」として敬われることになりました。
その後も黒田の殿もお忍びで通うほどだったといいます。
まさに櫻井神社の創建は、この小さな浦姫宮から始まったのです。
ただ、そのような超能力を持った女性が幸せに暮らした話はあまり聞かないので、浦姫様のその後が気になるところ。
健やかな生涯をお過ごしになられたことを、願うばかりです。