次にオホゲツヒメの神をお生みになり、次にホノヤギハヤヲの神、またの名をホノカガヒコの神、またの名をホノカグツチの神という子をお生みになったため、
イザナミノミコトは御陰(みほと)を燒かれて病になりました。
その嘔吐から生まれた神の名はカナヤマヒコの神とカナヤマヒメの神、
屎から生まれた神の名はハニヤスヒコの神とハニヤスヒメの神、
小便から生まれた神の名はミツハノメの神とワクムスビの神でした。
この神の子はトヨウケヒメの神といいます。
このようにイザナミノミコトは火の神をお生みになつたため、遂にはお隱かくれになったのです。
…ここにイザナギノミコトは、佩いておられた長い劔を拔いて御子であるカグツチの神の頸をお斬りになりました。
その劒の先についた血が清らかな巖に飛び散って生まれた神の名はイハサクの神、
次にネサクの神、
次にイハヅツノヲの神でした。
次にその劒のもとの方についた血が、巖に流れ着いて生まれた神の名は、
ミカハヤビの神、
次にヒハヤビの神、
次にタケミカヅチノヲの神、またの名をタケフツの神、またの名をトヨフツの神という神です。
手のまたからこぼれて生まれた神の名は、
クラオカミの神、
次にクラミツハの神です。
以上のイハサクの神からクラミツハの神までの八神は、御劒によつて世に現れた神です。
殺されたカグツチの神の、頭に生まれた神の名はマサカヤマツミの神、
胸に生まれた神の名はオトヤマツミの神、
腹に生まれた神の名はオクヤマツミの神、
御陰に生まれた神の名はクラヤマツミの神、
左の手に生まれた神の名はシギヤマツミの神、
右の手に生まれた神の名はハヤマツミの神、
左の足に生まれた神の名はハラヤマツミの神、
右の足に生まれた神の名はトヤマツミの神です。
マサカヤマツミの神からトヤマツミの神までは合わせて八神となります。
そこでお斬りになった劒の名はアメノヲハバリといい、
またの名をイツノヲハバリといいます。
~『古事記』
悠久なる天竜川。諏訪湖から流れ出る母なる大河は、さながらドナウの如し。ドナウ見たことないけど。
その天竜川下流域、静岡県浜松市に鎮座する「秋葉山本宮秋葉神社」(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、日本全国に存在する秋葉神社の総本宮であり、秋葉信仰の起源となった『今の根本』です。
標高866mの秋葉山を神奈備とし、本宮は山麓の下社と山頂付近の上社に分かれます。
まずは下社を参拝。
勇壮な石段を昇った先には、小高い杉に囲まれた敬虔な社殿があります。
秋葉神社の祭神は「火之迦具土大神」(ひのかぐつちのおおかみ)、秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)とも称されます。
ヒノカグツチとは、その名の通り火の神。なので秋葉神社の手水には浄めの火打ち石も置いてありました。
秋葉神社では神紋と社紋を分けており、神紋は「七葉もみじ」(しちようもみじ)、社紋は剣花菱となっています。剣花菱は武田信玄の寄進と伝えられているそうです。
黄金色に輝くもみじ饅頭。秋の葉で紅葉なのでしょうか。
秋葉神社の創建に関してははっきりとしておらず、諸説あります。
社伝では和銅2年(709年)に山が鳴動し火が燃え上がったため、 元明天皇より「あなたふと 秋葉の山にまし坐せる この日の本の 火防ぎの神」と御製を賜ったところ、社殿の建立に至ったといいいます。
「秋葉」の名の由来については、大同年間に時の嵯峨天皇から賜った御製の中に「ゆく雲のいるべの空や遠つあふみ秋葉の山に色つく見えし」とあったことから、神奈備を秋葉山と呼ぶようになったと伝えられます。
しかしこれも「行基が秋に開山した」「焼畑」、それに「蝦蟇の背に秋葉の文字が浮かび上がった」事によるなど、異説が存在します。
下社の境内はさほど広域ではなく、どこかノスタルジックな社務所がほっこりなじむ、居心地の良い空間でした。
下社社殿の隣の敷地には古風な神社があり、
「領家氏神 六所神社」と張り紙がしてありました。
秋葉山の麓にある下社から山頂の上社まで、徒歩で1時間半をかけて登山をするのも醍醐味であると多くの旅行サイトが勧めます。
しかし車で行けるなら車で行こうではないか、友よ。
そんな感じでぶぃ~んと登ってきました。
車でも下社からは、途中細い山道を通って45分くらいかかります。
威風堂々たる青銅の狛さんがお出迎え。
そこから、まあまあ長い階段を登っていきます。
まあまあ長いです。
まあまあ長い階段を登った事で、なんとなく秋葉修験道を体感した気分にひたれます。
そしてドーンと聳える西の神門。
4本の足にはそれぞれ、今にも動き出しそうな見事な四神の彫刻が飾られています。
四神はなぜか、皆子供持ちです。
ところで秋葉神社の祭神カグツチは、母神に火傷を負わせて死に至らしめたので、あまり縁起の良い神とは思えません。
が、カグツチはファイヤーボールを極めし者。やがて秋葉信仰では火を司る神として当神を崇めるようになり、秋葉神社は火伏せの神社として有名になります。
江戸時代、江戸の町では火事がたびたび起こるようになり、火伏せの神に町を守ってもらおうという話が持ち上がりました。
そこで、火伏せで有名な秋葉神社のカグツチ神を勧請し、江戸の町の一角に秋葉神社を建てました。その一角が今の秋葉原だといいます。
秋葉原といえば、かつては電気街で有名でしたが、今や「萌え」の聖地と化したのは、原点回帰ともいうべき必然だったのかもしれません。”もえ”だけに。しらんけど。
長い階段を登り終え、ようやく辿り着いたそこには
ゴールドの大鳥居がありました。
『東海道名所図会』に「第一には弓箭刀杖の横難を免れ、第二には火災焼亡の危急を免れ、第三には洪水沈没の免れさせたまふ」とある秋葉大権現の威光輝く大鳥居、
その先には天竜川が注ぐ静岡の海岸線の絶景が、ラッドウィンプスのBGMと共に広がっていました。
ところで秋葉大神・ヒノカグツチとは一体何なのか。
本宮秋葉神社は天竜川下流域の要となる場所に鎮座していることから、越智族との関係を疑い、この度僕は足を運びました。
しかしその痕跡を見つける事はできませんでした。
神話に倣うなら、彼はイザナギとイザナミを決別させた神。
千曳の岩で二人の仲を取り持ったのが菊理姫で常世織姫なら、神話はイザナギとイザナミを仲違いさせたのも復縁させたのも越智族だったと言っていることになります。
このイザナギとイザナミは何を象徴しているのか。出雲のクナト大神と幸姫か、はたまた出雲王国と豊王国か。
何にしても、そこに越智族がどう絡むのか、今ひとつ見えてきません。
拝殿を見上げると、うさぎの彫刻がありました。
おおっ!と一瞬気持ちを高めましたが、これはその年の干支に応じて、掛け替えをする彫刻のようです。
来年は卯年。波に月夜の美しい彫刻です。
ラブも発見♪
しばし境内を散策します。
奥めかしい末社群。
秋葉信仰は修験者によって興されたものと思われますが、当地にはそれよりも古い時代から祈りがあったのだと思います。
「神恵岩」なるものがありました。
見事な陽石だと思いましたが、残念ながら古くから鎮座するものではなく、後から奉納されたもののようです。一応、秋葉山にあった岩だそうですが。
これを火打石でカチカチして神恵をいただくシステムです。
火打金も備えられていましたが、せっかくなので社務所でマイ火打石セットを購入しました。
僕と、僕に関わる皆様に、ご神恵がもたらされますように。
あとは天狗の皿投げもありましたが、ノーコンな僕はむしろ縁起悪いので、こちらはスルーしたのでした。
秋葉神社参拝を終えたその夜、宿でくつろいでいると天女さんの声が降りてきました。
「今回の静岡はお一人ですか?( •ᴗ•)」
「例によって一人旅です。今日は秋葉神社とアラハバキ社だけいきました。」
「秋葉は本宮ですか?!」
「本宮です」
「井戸いかれました?(*’-‘*)」
……えっ?!(ドキドキ)
「い、井戸とは?」(ええ~行きた過ぎる)
こうして僕は、翌日も秋葉神社上社に来ているのです。
静岡-福岡便は早く、16:30にはフライトします。なので15:30には空港に着いていなくてはなりません。
この日は次作の「由比正雪」に関する追加取材を行うために時間をとっていました。
駿府から上社までは2時間、上社から空港までは1時間半、11時半に駿府を出ればギリ行けるか!
何かトラブルがあれば即アウトのミッション・イン・ポッシブル。
僕は好奇心の導火線に火をつけたのです。
この井戸は秘密にされているという風ではないのですが、公式にはほぼ告知されていません。境内図にも表記なし。
天女さんからいただいた情報をもとに、およそ道とは思えぬ道の痕跡を探して歩きます。
何度も言いますがロスタイムはアウト、見つけられなかった時の引き際を見極めつつ、足を進めます。
おおあれは!
あったーっ!!
はやる気持ちを抑え、滑落もありうる道のようなところを降りて行きます。
なんともハイカラな装置が置かれています。
これが本宮秋葉神社の井戸、「機織井」(はたおりのい)。
湧水が少ない秋葉山において、古くから貴重な水源だったのだと云います。
背中の模様が「秋葉」という文字に見えたという2匹の蝦蟇はここに棲んでいたと伝えられます。
機織井の名の由来は、むかしここに機を織っていた山姥が住んでいたという伝承からきているようです。山姥がいたのは寛永年間(1624~1644)だとも伝えられ、織った布を秋葉寺に奉納し、寺ではこの布を住職の涅槃衣としていたのだとか。
僕が注目したのは次の伝承です。
例の2匹の蝦蟇はひとつずつ、まっ白に輝く玉を持っていたというもの。また、井戸の底には白く輝く丸い玉がふたつ沈んでいたとも伝えられています。
白く輝く二つの玉、井戸、これは干珠満珠では?
そう、やはり越智がここに来ていたのです。
機織井のとなりの謎の建物は神社への揚水施設のようです。
かつてここには、石枠で囲われた四角い大きな池が二つあったそうで、「男池」と、もう一つはおそらく「女池」と呼ばれていたのでしょう。
機織井の先は小川となって下に流れていました。
この水が小さな川となり、やがて天竜川に注ぎます。
この井戸は、秋葉神社の御神体だったのではないでしょうか。
少なくとも、古代から命の水として、信仰と共に大切に守られてきたはずです。
火の神の根源にまさか水があるとは驚きです。
夜になって月が真上に昇れば、この池にもさぞや麗しき月影が映るのではないかと夢想したのでした。
しかしさて、そろそろここを這い上がって帰らねば、僕は人生のツキを見失ってしまうことになるのですが。
見事な彫刻です。この状態で保存されているのも素晴らしい。
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神社の彫刻って凄いですよね。雨ざらしなのに耐久性も驚きです。
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