鏡神社〜神功皇后紀 17

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「みろ襲津彦、釣れた、釣れたぞ!」

大きな石の上に裸足で立ち、釣竿を手にはしゃいでいるのは神功皇后。
晴れ渡った空の下、武内宿禰は胸を撫で下ろしていた。
久しぶりに見る皇后の笑顔だ。

そう、もともとはこんなに無邪気な人だった。
少し急ぎ過ぎたのかもしれない、と武内宿禰は思っていた。

「物部の奴の気持ちもわかるが、少し、けしかけ過ぎだ。
大人びてきたとはいえ、まだあどけなさも残る女性なのだ。」

大王の死と懐妊という状況の中で、強大な二つの勢力を打ち破った皇后の精神的負担は相当なものだったはず。
それを支えていたとはいえ、宿禰自身も流れのままに戦を行ってしまった。
皇后の心境をいま少し顧みるべきだった。

「なんとも珍しい魚だな、襲津彦。すぐに料理してくれ。」

山門の姫を討ち、すかさず物部がその兄「夏羽」を焼き殺した。
それを知って皇后は鬱ぎ込む時が多くなった。
ひと山越えた辺りで晴天に見舞われ、清らかな小川に出る。
少しでも気が晴れると良いと思い、武内宿禰は竹を一竿切り出し、皇后に釣りを勧めた。

この先も激しい人生がこの方には待ち受けている。
だがその傍らで少しでも笑顔がこぼれるよう、
武内宿禰は生涯を尽くすことを心に誓った。

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【堀江神社】
山門で田油津姫を征伐した神功皇后らはそこから一度、有明海に出ました。

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そしてたどり着いたのが佐賀の「堀江神社」です。

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堀江神社の鳥居を抜けて、神門の手前で出迎えてくれる狛犬。

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狛犬かどうかも怪しい侘び具合ですが、不思議と優しい気持ちにさせてくれます。

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境内と保育園が繋がっているので、園児お迎えの車でいっぱいです。

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ほのぼのとした雰囲気の神社です。

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【與止日女神社】
堀江神社から北上した嘉瀬川下流に鎮座する「與止日女神社」(よどひめじんじゃ)は神功皇后の妹を祀っていると言います。

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與止日女はまた、豊玉姫であるとも言い伝えられています。
豊玉姫といえば宇佐豊王国の女王となります。
また古事記によると神功皇后の妹は虚空津比売(そらつひめ)となっていて弟は息長日子(おきながひこ)となります。
しかし佐賀付近では神功皇后の妹は「豊姫」であるという伝承も多く、このあたりは謎に包まれています。

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別伝によると、この川上には「世田姫」(よたひめ)という神がいたそうです。
海の神が魚の群れになって、毎年川をさかのぼり、この神の元へ来るそうで、
この魚を畏む人には災いがないが、捕って食べると死ぬことがあると言います。

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世田姫=與止日女の伝承が豊玉姫と置きかわり、さらに神功皇后の伝承に結びついたということなのでしょうか。

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ギリシャかローマの遺跡を彷彿とさせるような手水舎があります。
手水鉢に流れる石櫃には龍の彫り物があります。

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ほがらかな表情の狛犬。

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拝殿の前へと足を進めます。

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拝殿の中は天井画や絵馬が所狭しと飾られてにぎやかです。

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とても地域に愛されている神社です。
それは神功皇后自身が、太古の昔にやはり、歓迎され愛されたゆかりなのだと思います。

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本殿の横には朽ちた大楠の名残がありました。

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化石化しつつあるようです。

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ここには「満珠」「干珠」の宝珠を納めたという伝説も残されていました。

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【玉島神社】
嘉瀬川を遡った神功皇后は七山あたりを通り、松浦郡の唐津方面へと進みます。

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玉島川を下ったところで神功皇后は鮎釣りを楽しんだと伝わる場所がありました。

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立派な石垣の上にある玉島神社です。

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拝殿の天井には古びた絵があります。

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拝殿の横に大きな岩がありました。

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岩の横に結界が張られた竹林があります。

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皇后が釣りに使った竹竿を挿して根付いたものだと言います。

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神功皇后はこの玉島の里に着き、食事をされたそうです。
その際、縫い針を曲げ、先に米粒をつけ、川に垂れて釣りをしました。

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その際、「私は新羅を征服して財宝を得たいと思っている。
うまく成就し凱旋するならば、こまやかな鱗の魚よ、私の釣り針を食え」
と占いを成されます。
見事釣れた魚「鮎」を見て、「なんと珍しき物ぞ」と言ったことから「希見国」(めずらこく)=松浦(まつうら)となったとしています。

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「垂綸石」(すいりんせき)という石は釣りをする時神功皇后が立った石といいます。

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ちなみに松浦の地名に関しては、さらに太古の時代、
「魏志倭人伝」で示された「末廬国」(まつろこく)から転じたものなので、
皇后のくだりは後付けで伝承されたものでしょう。

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【度瓊可久岩】
松浦にやってきた神功皇后は、そこにひときわ目立つ霊峰「鏡山」へ登りました。
皇后は鏡山山頂に鏡を掛け、異国降伏を祈願します。

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鏡山山頂の展望台に行く途中、「度瓊可久岩」(とにかくいわ)というものがあります。

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斜面を下って行くと、

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神聖な雰囲気のもと、度瓊可久岩が見えてきました。

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神功皇后はここで、「とにもかくにも」御神勅をいただきたいと、
五百枝(いおえ)の真榊(まさかき)に真澄(まずみ)の鏡を捧げ、天神地祇に戦勝を祈ります。

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度瓊可久岩は行こうと思わなければ、たどり着けないような、
ひっそりとした場所に鎮座しています。

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にぎやかな展望台方面から離れて静かに、
太古の昔からここにあったのでしょう。

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皇后はこの度瓊可久岩と沖にある「神集島」(かしわじま)の島尻を合わせて出航せよと御神託を受けます。
そうすれば「必勝」であるとお告げがあったそうです。

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【鏡神社】
鏡山の西麓に「鏡神社」があります。

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鏡山はどの方向から見ても美しい円錐形の同じ形に見える山なので「七面山」と言われていました。

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境内に入ると珍しい虎の狛犬が出迎えてくれます。

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鏡神社は古来より、松浦の総社として名高い神社です。

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手水舎は両脇に二つあります。

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雌雄の龍水は皇后がここに到着された時、激しい陣痛に見舞われましたが、この湧き水を差し上げたところご回復されたと伝わります。
以来、安産長寿の霊水として親しまれているそうです。

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境内には二つの宮が建っています。
「一ノ宮」は神功皇后を、
「二ノ宮」は藤原鎌足の子孫「藤原廣嗣朝臣」が祀られています。

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藤原廣嗣は吉備真備や僧玄昉によって大宰府に左遷されます。
その後、玄昉の悪政に廣嗣は挙兵しますが、逆に玄昉らによって謀反人に仕立てられ、松浦の浜で斬首されます。
廣嗣の思いは怨霊となり都を襲いますが、真実を知った天皇は玄昉を筑紫観世音寺に左遷の後、
この鏡神社にて藤原廣嗣朝臣の魂を鎮め奉りました。

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「一ノ宮」の御祭神、神功皇后が鏡山で祭祀を行うと、夜な夜な山頂で霊光が現れるようになったそうです。
皇后が新羅から凱旋された時、土地の人々がこの不思議な現象を皇后に申し上げると、
「ここは祖神が我が軍を守ってくれたところである」ととても喜び、御鏡を掲げて
「我が生霊は長くこの地を鎮めよう」と言われました。

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以来皇后の御魂を鎮めた鏡をご神体としたことが、鏡神社の由来となったそうです。

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鏡神社は紫式部の源氏物語にて、最も人気の高い「玉鬘」(たまかずら)が幼少の頃を過ごした場所です。
夕顔の娘、玉鬘はここですくすくと育ちますが、その美しさから求婚者も多く、
「君にもし心たがはば松浦なる鏡の神にかけて誓はむ」とその愛の深さを詠われます。

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境内には他に、心身の病を癒す「立神祠」や、

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まるで臨月を迎えた女性のような「子安・安産御神木」、

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そして境内のちょうど中心に当たる場所に、五つの宝を授けてくれるという
「五宝檜」などがあります。

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鏡山の麓には日本三大松原のひとつ「虹の松原」が広がります。
寺沢広高が新田開発の防風・防砂のために植樹した松原です。
この松原を走りながら、神功皇后が御魂を納めた二つの鏡について考えていました。
筑豊の「鏡山大神社」と唐津の「鏡神社」です。
御魂を鎮めるとは、皇后の深い思いが、そこにあったように思います。

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そして虹の松原に来たら、やはりこれは外せない。
唐津の味を噛み締めて、後にしました。

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