太宰府天満宮・天開稲荷神社

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最近では、太宰府天満宮授与所内でも、竈門神社(かまどじんじゃ)と合わせて「天開稲荷神社」(てんかいいなりじんじゃ)の特別授与所がもうけてあり、その存在がクローズアップされているようです。
天開稲荷神社は今や知る人も増えた、太宰府天満宮最奥部に位置する、パワースポットと言えるでしょう。

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天開稲荷神社へは、天満宮本殿裏の茶店に囲まれた梅園を通り抜けます。

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さらに奥に進むと、「お石茶屋」さんと、母子像と書かれた案内板が見えます。

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母子像と案内された方には、小さな御堂が見えます。

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中には子を抱いた、優しげな母の像が。
これは水子供養の像だという話です。

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「太宰府の お石の茶屋に 餅くへば 旅の愁ひも いつか忘れむ」

吉井勇歌集「放塵」太宰府行に記される一首が刻まれた石碑があります。

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これに詠われるお石の茶屋が「お石茶屋」さんです。

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さだまさしの「飛梅」という曲にも、お石茶屋は歌われています。

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店内に貼られている写真の女性。

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お石茶屋は1899年(明治32年)生まれの女主人「江崎イシ」さんがはじめられた茶店です。

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通称「おイシしゃん」は筑前三美人に数えられた女性。

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牡丹の花を思わせる、ふんわりふくよかな体つきと、品の良い凛とした佇まいに魅了された著名人も多かったのだとか。

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皇族の「高松宮」殿下、詩人「野口雨情」、歌人「吉井勇」、政治家「犬養毅」「緒方竹虎」「佐藤栄作」、外交官「松岡洋右」、電力の鬼「松永安左エ門」など、錚々たる方々も、おイシしゃん目当てに足を運んだということです。

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お石茶屋では、注文を受けてから、梅ヶ枝餅を焼きます。
なのでアツアツで皮がカリカリの梅ヶ枝餅が楽しめます。

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お石茶屋の横にある、小さな煉瓦造りのトンネル。

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このトンネルは、1928年(昭和3)年に新聞に大きく取りあげられたそうで、その事がおイシしゃんを全国的に有名にしたのだそうです。

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記事には筑豊の炭鉱主「麻生太吉」が、おイシしゃんが遠回りせず、自宅から直接店に通えるようにと掘ってやったトンネルだということで「おイシしゃんトンネル」と呼ばれたというものでした。

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実際は竈門神社参拝や宝満山登山の人のために造られたものであるそうですが、そのような噂が流れるほどに、筑前三美人の一花「おイシしゃん」は大人気だったのですね。

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おイシしゃんは1976年(昭和51年)5月14日、76歳で独身の生涯を閉じました。
僕は幼少の頃、太宰府に長いこと預けられていましたので、ひょっとするとおイシしゃんに会っていたかもしれません。

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さて、お石茶屋の先に、大きな朱色の鳥居が見えます。

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この先が天開稲荷神社の参道です。

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稲荷社によくある、赤い鳥居の参道を登ります。

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5分ばかりの参道ですが、それなりに勾配のある坂と階段が続きます。

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運動不足にはしんどい参道を登りきると、雅な社殿が見えてきます。

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天開稲荷神社の変わっている点は、この多量の鈴。

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一瞬戸惑いますが、よくみると干支の文字が彫られていますね。
自分の干支の鈴を鳴らした後に、中央の鈴を鳴らし、参拝するシステムです。

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祭神は「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)。

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鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷大社から御分霊を勧請され、もとは宮司邸に祀られていたものを当地に移したそうです。

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境内では天開水という御神水もいただけます。

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拝殿の横には、奥の院に通じる参道があります。
せっかくここまで来たのなら、忘れず参拝したいところ。

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そこは古墳の石室のような場所に、小さな稲荷が祀られています。
古来からある古墳ではなく、人工的に作られた穴ということですが、その雰囲気はなかなかなもの。
パワースポットであることを感じさせる、よくできた聖地です。
今後太宰府天満宮の名所として、ますます注目されるのではないでしょうか。

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