壱岐の東に向かうと、壱岐のモン・サン・ミッシェル「小島神社」が鎮座しています。
モン・サン・ミッシェル、多いな(笑)
さらに東に向かうと、猿岩と並ぶ壱岐の二大観光スポット「はらほげ地蔵」があります。
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)における苦しみや悩みから救ってくれると云われる六体のお地蔵さんは、満潮時には胸まで海水に浸かってしまいます。
そのため、供え物が海水で流されないように地蔵の胸に穴が掘られ、名の由来となっています。
この地蔵の由来はさだかではありませんが、海女漁の海難者の霊を弔ったものとか、疫病鎮祭によるものとか、鯨の霊をとむらったものなど諸説ささやかれています。
はらほげ地蔵のそばで営まれている「はらほげ食堂」さんにお邪魔しました。
壱岐で古くから有名な食堂です。
名物のうにめしは、生うに丼に比べ、さほど美味しいと思ったことはありませんが、リーズナブルなうえにいつでも営業されている心意気が好ましく、幾度か利用させていただいてます。
さて、壱岐の最西端、「左京鼻」(さきょうばな)にやってきました。
海上に突き出た、特徴的な柱状節理の岩は「観音柱」と呼ばれます。
国生み神話で5番目に生まれたとされる壹岐嶋。
壱岐の国とは生き島のことであり、神が海の中でこの島をお産みになったとき、流されてしまわないようにと 八本の柱を立てて繋ぎ留めたと語られます。
その柱が折れ残り、折柱(おればしら)として残ったものの一つがこの観音柱だと云われています。
左京鼻の名の由来も伝えられていました。
江戸時代の初めの、壱岐大干ばつの時でした。苦しむ島民の姿を見かねて雨乞いをする者が二人おりました。
1人は龍蔵寺の日峰和尚、そしてもう1人は陰陽師の後藤左京です。
日峰和尚は芦辺浦で、陰陽師左京はここ八幡半島の突端で雨乞いをしました。
二人は7日7夜、一心に雨を念じましたが、いっこうに雨が降る気配はありません。
ついに責任を感じた左京はこの左京鼻の崖から身を投げようと、日峰和尚も焼身自殺によって天に願いを届けようとしたその時、
一転にわかにかき曇り、突如大粒の雨が降り出して慈雨をもたらしたのです。
村中の人々はこれを喜び、二人の聖人に感謝を捧げたのだと云うことです。
また、「石橋の端」(しゃきょうのはし)という地名から左京に転じたという説もありました。
左京鼻の先端には、「左京鼻龍神」が祀られていました。
日によっては壱岐牛の放牧も見られる、こののどかな岬に祀られる神社は、素朴で微笑ましいものでした。
しかしこの辺りの断崖絶壁も例に漏れず自殺の名所だそうで、夜に近づくのは良くないと思われます。
長崎鼻竜神の先の景色です。
柱状節理が見事な一帯は海女が潜る豊かな漁場にもなっています。
左京鼻の沖では元寇の際に沈没した船の碇石(いかりいし)が発見されました。
中国製の花崗岩製でできているそうですが、日本軍のものの可能性もあるのだとか。
悲しい歴史を乗り越え、今は海鵜たちの憩いの岬でもあるのでした。