そこにある天空の神殿こそ、神々の聖域「高天原」である。
そう確信を抱いた僕は、そろそろ下山をしようと重い腰を上げました。
帰路につこうとしたその時、「南岳を経て鬼杉へ」という看板を見つけてしまいました。
南岳のふもとは遺蹟・見所の宝庫だし、英彦山の最高峰は目と鼻の先にあります。
もっとも厳しい登山コースとは聞いていますが、下りなら問題ないだろうと足をそちらに向けました。
そしてそれが安易な決断だったと思い知ることになります。
中岳から南岳へは、なだらかな弧を描くように降って登り着きます。
途中振り返ってみると、上津宮が山頂にちょこんと乗っかるように見えていました。
程なく南岳山頂に着きます。
小さな祠と
三角点があります。
標高1199m、県内第2位の高さです。
ここでおにぎりを頬張り、下山を開始します。
すぐに鎖場がありました。
鎖場は登りも過酷ですが、下りも足場が見えにくく怖いです。
まだ続きます。
やっと降り立ったところも岩場でした。
足場の悪い道を、少しずつ降りていきます。
また鎖場です。
転がっていきそうで、怖いです。
少し落ち着いて顔を上げてみると、そこにはパノラマの絶景が広がっていました。
これ大丈夫なの!?って感じの橋が架かっています。
今にも壊れそうで怖すぎです。
また鎖場があり、
岩場を降り、
鎖場を経て、
ようやく土の道が見えて来ました。
1kmくらい、岩場と鎖場の道を降りて来たのではないでしょうか。
時折見える俯瞰風景が疲れを癒してくれます。
風が気持ちよい。
相変わらず道は悪く、
倒木を乗り越えなくてはならない場面もあります。
風格のある長老が僕を見下ろしています。
なんだか石の墓場のような場所に出ると、
「材木石」と呼ばれる大岩が見えて来ました。
材木石は火山爆発で溶出したマグマが冷えてできた柱状節理のことです。
この溶岩は、ひょっとして阿蘇から流れてきたのでしょうか。
この先にある「鬼杉」の伝説によると、鬼が社を建てようとしたときに使った材木の残りが石になったものと伝わります。
ではその鬼杉を目指します。
と鬼杉の手前で寄り道をします。
そこにはえぐれた岩に挟まるように建っている社がありました。
岩の壁面は黒・青・黄色の色が付いています。
「大南神社」です。
御祭神は「天火明命」(アメノホアカリノミコト)です。
天火明命は英彦山の主祭神「天忍穂耳命」(アメノオシホミミ)の子で、「邇邇芸命」(ニニギノミコト)の兄とされています。
また饒速日命と同一神であるとの見方が強いです。
社内には神社なのに木魚と鈴があります。
こんな山奥なのに、社内はとても綺麗に掃き清められています。
ここは英彦山の遭難者の避難場所にもなっているようです。
再び足を進めると、
大きな杉「鬼杉」が見えて来ました。
近くに石仏が祀ってあり、
根元に木札があります。
上部はなかなか見えません。
iPhoneのパノラマで撮影してみましたが、おそるべき大きさです。
鬼杉はかつて、60m以上の樹高を誇っていたそうですが、現在は先端が折れてしまい38mに止まっているそうです。
それでも十分な威容を誇っています。
鬼杉の側には、49ある窟のひとつ「牛窟」がありました。
再び山中を彷徨います。
アップダウンが続く山道は、じわじわと体力を削っていきます。
しかしそこには、普段目にすることのないような、奇妙で美しい世界が広がっています。
次から次へと変化に富んだ景色が目に飛び込み、飽きることはありません。
そして思い切り急斜面を駆け上ったところに、
最終目的地の「玉屋神社」がありました。
そこは般若岩と呼ばれる大きな断崖絶壁の下に幾つのも岩窟があり、その岩窟内に埋め込まれたように社殿が見えています。
手前の社殿が「玉屋神社」、奥の社殿が「鬼神社」です。
玉屋神社の手前には、小ぶりな狛犬が鎮座していますが、
その侘びた佇まいが、年月の経過を物語ります。
御祭神は「猿田彦大神」となっています。
「添田町公式サイト」によると、これらの岩窟は、かつて山伏らが修行をした「英彦山49窟」のひとつで、現在48窟まで特定できているそうです。
なぜか最後の1つだけが特定されないままとなっています。
また同サイトは、英彦山の古い記録「彦山流記」によると彦山の始まりは、玉屋窟であると伝えています。
彦山の開祖はこの窟で修行した、「藤原恒雄」という人で、この窟で長い間、一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠を授かったと云います。
その珠は窟の奥から小さな「倶梨伽羅」(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れました。
このことから般若窟を改め、「玉屋窟」と呼ばれるようになったとのことです。
社殿左には「天孫の瓊々杵尊は高天原のこの窟で降生したとする、伝説の霊地である。」と書かれていました。
隣の鬼神社です。
そしてその隣奥に、もうひとつ岩窟があります。
ここが如意の宝珠が出現した場所のようです。
そこに流れ溜まった湧水は、大和の金剛山・近江の竹生島と共に、日本三大霊水のひとつに数えられています。
幅6m、奥行き2・3mの般若窟は、2015年まで神職以外の立ち入りができないところでした。
不増不滅の清水は、世に事変がある時は濁ってしまうと言い伝えられています。
また如意の宝珠を授かったのは藤原恒雄ではなく、法蓮上人であったという説もあるようです。
そこには確かに、けっして豊富とは言い難いが、清らかな水が湛えられていました。
さて、ここから遠回りする気力があるなら「梵字岩」まで向かうのも良いです。
かなりガッツが試されますが、労に見合うものを見せてくれます。
そこには高さ60mの岩壁に、世界最大とされる直径3mの梵字が刻印され、残っています。
阿弥陀・大日・釈迦を表す巨大な梵字は、弘法大師の仕業と伝えられています。
玉屋神社・梵字岩から、ゴールの奉幣殿までは、まだ1km以上もあります。
途中急勾配なアップダウンを3回ほど繰り返し、ようやく奉幣殿が見えて来ました。
中央の登山道上りは2時間弱で到達できたのに対し、下りは3時間強ほどかかりました。
しかしこれを逆に登る強者もかなりいらっしゃることには、本当に驚きます。
2件のコメント 追加