杷木神社 他

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【浮羽島】
うきは市の田園の中に、景行天皇の足跡がありました。
「浮羽島」は天皇が御座した場所と云います。
九州巡幸も終わりに近い頃、「日本書紀」には次のようにしるされています。
8月に、的(いくは)で天皇は食事をしました。
この時、あろうことか食事係が盃(さかずき)を忘れてしまいます。
当時の人は「うき」を忘れた場所だから、ここを「うくは」と呼びました。
現在は訛って「いくは」と呼びます。

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また「釈日本紀」に採録されている「筑後国風土記逸文」には、「惜しきかも、朕が酒盞はや」と、口惜しがる天皇の姿が記されています。
よほどお気に入りの盃だったのでしょう。

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【杷木神社】
朝倉市杷木にある「杷木神社」です。
古くは「杷木二所大明神」又は「杷伎大明神」ともいい、上座郡19ヶ村の総鎮守杜です。

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神紋は太陽の光を模したようなデザインです。

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縁起、旧記の類は焼失しており、その古事をを知ることはできません。
しかし、第26代継体天皇の時に、筑紫の豪族磐井が反乱を起こした折、朝廷は鹿鹿火大連(あらかいのおおむらじ)に命じて討伐を命じましたが磐井は余りに強力で苦戦します。
この時、杷木神社に幣帛を捧げ祈願してからは、草木の風になびくが如くに平定することが出来たと云われています。

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杷木神社の名物が「うさぎの狛犬」です。

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杷木神社の御祭神は、「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)、「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)と「大己貴命」(おおなむちのみこと)、それに「武甕槌命」(たけかみかつちのみこと)です。

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因幡の素兎の神話で、兄神たち意地悪をされた兎は大国主に助けられます。
それ以来、兎は大国主、すなわち「大己貴命」の眷族としてお仕えすることになったといいます。
そのため杷木神社の氏子は昔から、御祭神の谷族である兎を殺さないばかりでなく、慶応3年10月には「御兎踊り」を奉納したという記録も残されているそうです。

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面白い伝承としては、日本の神々は十月に出雲大社の神集いに行くので、旧暦十月は神無月と呼ばれるとありますが、杷木神社の祭神はそれには参加せず一年中氏子の安全と豊作を守って働き続けていると云うものがあります。
そのため当社では年二回、春秋の鎮祭があり、年2日はゆっくりと休まれることになっています。
この日は大きな声を出すことはもちろん歌舞音曲を停止,下肥等のにおいをさせず,生の木や竹を切ることも禁じられているそうです。

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本殿は雅な朱色で彩られています。

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境内には月形の石が祀られていました。
兎といえば大己貴というよりは月読尊を思い浮かべます。
また月形といえば、高千穂峡にスサノオが刻んだ月形が思い浮かばれました。
朝倉は物部一族が繁栄した場所であり、また月読を信仰した豊王国にも近い所です。
出雲族の神よりも、そちらの方がしっくりくる感じではありました。

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【月讀神社】
久留米市田主丸の住宅街の中に、「月讀神社」があります。

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御祭神はもちろん「月讀命」(つくよみのみこと)です。

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境内の石灯籠には神使の兎が乗っています。

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伝承によると、昔、竹野郡二田村(現:久留米市田主丸石垣)に住む次郎三郎の母親が目の病に罹り、いろいろな事をしても回復しなかったそうです。
母を思う次郎三郎はある時、村の長老から月讀命を祀る祠があることを教わります。

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月讀命は伊邪那岐尊が目を洗った時に生まれた神様です。
次郎三郎はそれから毎日欠かさずお詣りをしていましたが、ある日、大雨が降って祠が水没してしまいます。

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「また大水がきたら神さまも寒くて大変だろう」、次郎三郎は祠ごと家に運び込んでお祀りし、母親ともども拝んでいると、ある朝、突然母親の目が見えるようになりました。

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その噂は村中に広まり、目を患った人々、さらには柳川のお殿様までも、眼病を患っている姫君を案じて二田村の次郎三郎宅に行列を成して訪れるようになったと云うことです。

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明治13年(1880年)6月、ニ田村の月讀神社を、篤志家がに勧請して今に至るそうです。

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【須佐能袁神社】
レトロな町並みが風情ある、久留米市草野町の一角に、「須佐能袁神社」(すさのをじんじゃ)があります。
通称「祇園神社」(ぎおんじんじゃ)と呼ばれています。

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立派な石橋を渡ります。

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須佐能袁神社の素晴らしいところは、各所に施された彫刻です。

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創建は往古の勝光山祇園寺に起源するもので、建久8年(1197年)平家討伐に軍功のあった竹井城主「草野太郎永平」が京都の八坂神社より勧請したと云われています。

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祭神は素戔鳴尊のほか、菅原道真が祀られています。

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草野家城主の崇敬が厚い当社ではありましたが、天正16年、草野家の末裔「草野右衛門鎮永」が豊臣秀吉の九州征伐のおり、蜂須賀家政によって山門郡南関にて誘殺され、草野家は滅亡してしまいます。
その後も、草野家の氏神と斎き祀られてきたと云うことです。

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