壱岐の北東方面を目指していたら、「鯨の墓」という表記が目につきました。
案内に従って車を走らせると、海沿いの寂しい場所に。
そこにぽつ~んと墓らしき石塔が立っております。
色々と問題に取り沙汰される捕鯨ですが、伝統漁でありますし、日本の場合は根こそぎ奪うわけではありません。
命を頂くことを知る日本人だからそこ、こうした供養塔も建てられるのです。
港のそばに「八大龍王神社」という表記を見つけたので行ってみました。
小さな石祠があるばかりですが、そっと祀られた丸い石が微笑ましいと思いました。
壱岐の北東に新しい名所が発見されたというので行ってみました。
場所は諸津観音(もろつかんのん)。
僕は宿坊泊や座禅・瞑想など大好きなのですが、仏教系の独特の感覚に時折気持ち悪さを感じることがあります。
諸津観音の正式名称は、「白歯雪公園」(しらはこうえん)と言うそうで、本城満征さんという方が平成15年に開園されました。
建立者はの苦難の末、大阪にて建設業で成功した方のようで、その成功を故郷に貢献したいと言う気持ちで聖観世音菩薩を建立したということです。
僕の目的はこの諸津観音の下の方、
古代遺跡の石垣です。
いや、これは古代のものではなく、昭和時代に組まれたものだそうです。
諸津観音公園の敷地内整備のため、木々の伐採をしていたところ発見されたと。
親子二代で、60年ほどを費やして組まれたもので、今では壱岐のマチュピチュと呼ばれ、新たな観光名所として確立されようとしています。
テレビ番組の『ナニコレ珍百景』でMV珍大賞も獲得したとのことですが、いやその黄色い看板、邪魔だな(笑)
「男嶽神社」(おんだけじんじゃ)にやってきました。
参道入口には「牛之神」と書かれた磐座が鎮座しています。
急坂を登り切ると、鳥居と展望台が見えてきました。
壹岐嶋の鬼門に聳える男岳山は、古くは「五百鳩山」(いおとりやま)と呼ばれる霊山でした。
今は社殿が築かれていますが、明治時代までは山全体が御神体とされていて一般人の入山が許されておらず、神体の磐座のみが鎮座する場所だったと云います。
祭神は「猿田彦命」。
サルタは出雲の古い言葉で「長い鼻」を意味しますので、壹岐嶋で一際高いこの山がそう呼ばれたのだと思われます。
しかしその名が「猿田」と表記されたため、猿面の神であるかのように誤解を受けてきました。
実は壱岐には野生の猿は一匹も棲息していません。
なので当地に猿面の神が祀られているのは実におかしなことで、言葉の誤解がこのような形になっているものと思われます。
壱岐にはデリシャスな壱岐牛がおり、牛は古来の島民にとっても生きるための重要なパートナーだったようです。
男嶽神社が一般人の参拝を解禁した後、石の牛を奉納する習慣がしばらく続きました。
しかしある時からこれが石猿を奉納するように変わっていきます。
このびっしりと石猿が並んでいる後方、
石祠の裏に磐座があります。
裏に回ってみると笠が乗ったような不思議な形をしています。
これが古来から男嶽山頂に鎮座するという磐座か。
下を見れば、聖域を囲う石垣からはみ出た岩があります。
離れて見れば納得、
ああこれは大地から聳える大いなるムスコなのです。
ごもっともさまぁ!
この笠石は後から載せたものでしょうか、古代人の並々ならぬ信仰の強さを感じます。
またこの磐座は、対をなす女嶽神社の磐座・巣食石同様、ゼロ磁場となっているそうです。
男嶽神社の展望台に登ってみました。
素晴らしい眺望の先に、女嶽山が見えます。
よく目を凝らせば、おお「巣食石」(すくいいわ)が見えます。
猛獣のアギトのような磐座ですが、巣食石とは何の巣を食らう岩かと思えば、精巣を食らうそれでしたか。
つまりこれは古い出雲のサイノカミ祭祀の痕跡です。安曇族には出雲の血が流れていたということですね。
巣食石のワイルドな風貌は、古代人女性も肉食系女子であったことを象徴しているのか!
男嶽神社の初代宮司は、アメノコヤネノミコトと伝えられています。
余談ですが、近年壱岐には、とあるスピ系の集団の根城と化してきているようで、当宮司家に取り入ったりしてごちゃごちゃやっているそうです。
あの月讀神社の御神体を入れ替えたりもしているとかどうとか。
べつに信仰は自由だと思うけどね、古くから続く純粋な祈りに対してそんなことをするから、僕はスピ系がますます嫌いになるんですよ。
(興味がある人は”壱岐 スピリチュアル”で検索してください。リンクも張りたいくない)
神に対して傲慢だというものです。
まあ、気分悪い話はさておいて、今日も元気に「ごもっともさま~ぁ!」
😨😱😭…申し訳ない。なんか痛い…
いいねいいね: 1人
nekoさん、久しぶりですね😊
いいねいいね: 1人
ラピュタにも感じました!
いいねいいね: 1人
なるほど、ちょっとラピュタっぽいかも😊
いいねいいね