雨境峠祭祀遺跡群:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 03

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蓼科山北麓に位置する標高1,580メートルの峠、「雨境峠」(あまざかいとうげ)に祭祀遺跡群があると聞いたので訪ねてみました。

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雨境峠は、長野県茅野市本町から上田市武石上本入・美ヶ原高原美術館に至る、延長約76kmの観光道路「ビーナスライン」上にあります。
気持ち良くドライブしていると、「女神湖」というこれまた興味深い名前の湖がありました。

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女神湖は農業用に造られた人造湖だそうで、近くにある蓼科山が、別名を女神山(めのかみやま)と呼ばれるので付いた名だそうです。

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その女神湖のすぐそばに、「鍵引石」(かぎひきいし)という石があります。

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この石の名は、河童にまつわる伝説に由来すると云います。

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今の女神湖のあるあたりは、かつて赤沼と呼ばれる湿地帯でした。
その赤沼に棲む河童「河太郎」は子供に化け、カギ引石に座り、通る人を「鍵引き」に誘っていました。
鍵引きとは指を絡めて引っ張り合う指相撲のこと。
河太郎は鍵引きで人を騙し、恐ろしい力で沼に引きずり込んでしまうのです。

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ある時、諏訪頼遠という大力無双の士が立ち寄ると、いつものように子供に化けた河太郎が、石の上から鍵引きに誘ってきました。
頼遠は河太郎の噂を聞いていたので、馬上から手を出し、指を絡めるや馬を駆けだしました。
一里(4km)ほど駆けて河太郎を見ると、頭のお皿の水がこぼれて乾き、瀕死の状態でした。
そこで頼遠が「沼から出て行くか、それとも殺されるのが良いか」と尋ねると、河太郎は「今夜半には立ち去りますので、命だけはお助けください」と答えました。
頼遠は河太郎を赦してやることにしました。

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翌日になると赤沼は消え、隣村に大きな池が出来ていました。
その池は「夜の間の池」(一夜池)と呼ばれ、河太郎はここに移り棲むようになりました。
赤沼には河太郎が座っていたカギ引石だけが残ったと云うことです。

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道を進むと「与惣塚」という小さな古墳のようなものがありました。

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この付近からは多数の滑石模造品類、勾玉・管玉(くだたま)・臼玉(うすだま)・有孔円板・剣形などが発見され、「勾玉原」(まがたまはら)と呼ばれるようになったそうです。

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このビーナスラインを含む道は、「東山道」と云われる古代律令による官道のひとつで、近江を起点に、美濃を経て神坂峠を越え信濃に入り、諏訪から雨境峠を経て、毛野・武蔵・陸奥・出羽国に通じていたとされています。

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古代、大和政権は東国支配のため、この東山道を開きました。
大和政権の東国東征政策において、重要な道であったということです。

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雨境峠祭祀遺跡群の中で、その最も象徴的なものが、「鳴石」です。

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鳴石へ向かう駐車場では、美味しそうなソフトクリームがあったので、思わず購入してしまいました。

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雑木林の道を歩いて行くと、

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見えてきました。

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まるで鏡餅のような美しい磐座。
これは一つの石が割れたのではなく、別の場所から意図的に運ばれて、何らかの祭祀が執り行われたものであるという話です。

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鳴石の名の由来は、風が強く吹くとこの石が音を立て、必ず天気が悪くなるという言い伝えによるそうです。
ある時、石工がこの石を割ろうと玄翁で数回叩いたところ、突然山鳴りが起こり、空から火の雨が降り注ぎ、石工は悶死したという伝説も伝わっています。

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雨境峠の祭祀遺跡は、蓼科山の神に対するものであると考えられています。
その蓼科山に棲む神の名は「ビジンサマ」。

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さぞ美しい女神かと思いきや、その姿は丸く、黒い雲に覆われ、赤や青の布きれのようなものを垂れ下げていると云います。
なんだか残念な姿の神様ですが、これが通る日は人々は山仕事を休むといい、篤く信仰されたようなのです。

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