
民家の西に高さ三丈横七間計の巌窟あり、里老語て云、むかし神原村に長者あり、此窟を宝蔵とせり、故に岩倉と号す。
ー『雲陽誌』岩倉


『奥出雲”変態”巡礼』の2日目、この日は雨の予報が出ていましたが、シズさんとモモさんが古墳ハウスに来た時には、晴れ間もちらほら見えていました。
そこでシズさんが、1日目に僕が「伊弉冊の岩柵」を案内したお返しに、「矢櫃神社に行きましょう!」と提案されました。

(やびつじんじゃ??)
そうしてやってきたのは、加茂岩倉遺跡の駐車場でした。

そこに「大岩」と書かれた案内板があります。
ああ、なるほど。

この大岩と呼ばれる岩の前には、2017年の冬に僕は立っていました。
雲南市教育委員会の案内板には、大きな岩窟の話が書いてあり、目の前の大岩とは風貌が合わないと不思議に思ったのを覚えています。
そこで調べてみると、どうやら別の岩がこの先にあるようだ、ということで探してみたのです。

しかしその時は奥の岩への入口さえ見つけられず、時間も限られていたので探索を断念しました。

それが9年越しに叶うことになりそう。
これはシズさんに感謝です。

しかしですね、
「以前は割と普通に行けたのですが、今は道が荒れているかも」と、シズさんはおっしゃっていましたが、

ッパねえな、おい。。

一瞬、開けた場所に出て、先ほどの大岩の背中がありました。
開けていると言っても、下は雑草まみれなわけですが、

再び突入。

ヒエ~ッ。

道はどんどん険しくなっていきます。
確かここって、出ますよね、🐻さんも。。

果敢に突き進む、女子二人。

南無三!
しかしついに道は閉ざされてしまいます。
大量の竹の倒木が道を塞いでおり、このまま直進することができなくなっていました。ヤバみ。。

並の”変態”であれば、ここで諦めて引き返すものです。
僕も正直、もう諦めかけていました。
しかし彼女たちは諦めません。
一帯をしばし行ったり来たりして、「あっ、ここに道があるような気がする」と、例のフょースを開眼して言います。

そう、すでに彼女たちの”道がないところでも道があるように見えてしまう”才能は、僕のそれを凌駕していたのです。
いや、これが道に見えるって、あんた・・・

特攻ーっ!
いや、こんな竹藪、乙女らが来ていい場所じゃないからね、たぶん。

・・・この後の壮絶さと言ったら、筆舌に尽くしがたい。
とにかく密集して生えている竹を押し分けて、また倒竹に道を阻まれ、ルートを変えて竹を押し分けて進む。

まるで手綱を離された暴れ馬の如く突き進む女子らを、瀕死の程で追いかけるオッサン、五条桐彦。
ボロボロになりつつも、必死で食らいついていく僕でしたが、ふと違和感が僕を襲います。
「ちょ、ちょっとまって、何かが変!」
その時の僕は、世界の輪郭が、急にあいまいになったようでした。

「あっ、メガネ!」
少し間をおいて、我に返った僕は、僕の”本体”であるメガネがないことに気がつきました。
どうやら竹の枝に”本体”を奪われたようです。
「大変!!」
そこで数分、女子ふたりを巻き込んでのメガネ探しがはじまります。
無事、僕は笹の落ち葉にめり込んだ”本体”を見つけ出したのですが、案の定、踏んづけたみたいでレンズが一つ外れていました。

幸いこの日はフレームが細く、柔軟なものを付けていましたので、外れたレンズは無事装着。
そんなこんながありつつも、フょースは目的の場所へと、我らを導いたのでした。



まいった。。
僕の想像を遥かに超えた、圧倒的な質量のそれが、目の前にありました。

我こそが王者であると言わんばかりに、樹木を冠した古代の神の御姿。

あらゆるものを丸呑みにできる、巨大なオロチの頭部が横たわっています。

右奥にも、うねるように連なるコブ岩があり、

まさしく山から這いずり出てきた、巨大な龍蛇神の姿がありました。
あ、圧倒的じゃないか・・・

雲陽誌によると、当地には巨大な岩が2つあり、一つは「高さ三丈(約9m)横七間(約12.7m)計(ばかり)の岩窟がある」と記されます。
里の古老が言うには、昔、神原村に長者がいて、この窟を宝蔵としていた。だから岩倉という、と。

もう一つは「権現」と呼ばれるもので、「高さ一丈(3m)竪(縦)十間(18m)横八九間(162m)の巖あり、楡槇椎の老樹繁茂せり、此岩下一間(1.82m)餘に深さ三間(5.45m)はかり窟あり、則此所に幣を立て九月九日神事あり」と。
これはさらに、かなり巨大な岩のようで、どれを指すのか分かりません。

この蛇の口のように重なった岩は、一つの岩が割れたものか、乗せたものか。

おそらくは前者でしょうが、この岩は安山岩溶岩で、岩倉大山の南側では標高280m以高に分布するもので、この巨岩がある現在地は標高150mに位置します。
つまりこの巨岩は、転石の可能性があるとのこと。
自然にこの形になったのだろうと思われますが、なおさら神の意思たるものを、感じざるを得ない造形です。

岩窟と呼ばれる部位は、かなり埋没している感じを受けますが、ここに神原村の長者が宝を埋めていたという話が伝わります。
社名の「矢櫃」(やびつ)とは、矢を入れる蓋付きの箱のこと。
かつては武具などを奉納していたのかもしれません。

当地は加茂岩倉遺跡のすぐそばであり、古代出雲王家が攻めくる敵の防衛のため、神器である銅鐸を埋葬した場所でもあります。
そしてこのライン上には銅剣を埋葬した荒神谷遺跡もあります。
ここは、東王家・富家と西王家・神門家の国境。そこにこれほどの磐座があることに驚嘆します。

磐座の前には「矢櫃神社跡」の石碑が建っていますが、矢櫃神社は昭和39年の水害で損壊し、現在では「屋裏八幡宮」に合社されているとのことです。
雲陽誌には社の記述は無いので、社殿自体は後に建てられたものだろうと思われます。
正確にはわかりませんが、矢櫃神社の祭神はスサノオだったという記事をみかけました。
両家の神として初代・スガノヤイミミをここに祀ったのでしょうか。

蛇の下顎の部分には、黒いシミがあります。
ここで護摩焚きが行われたのかもしれませんが、これも爬虫類系の壁画のように見えてしまいます。

とてつもない非日常と神秘の空間。
人が来にくくなったことで、よりその氣配が濃くなったのでしょう。
あまりの畏怖と驚き、そしてそこはかとない優しさを感じる場所で、この時の僕は神の世界に呑み込まれ、かなり口数が少なくなっていたのでした。



さて、家に帰るまでが巡礼です。

再び過酷な道なき道を辿り、日常への脱出を図ります。
矢櫃神社跡の聖域は、これ以上道が荒れると、もうたどり着くことは不可能かもしれません。
今回、このタイミングでここへ連れてきてくれたシズさんに、断念しかけた竹藪を突き進んでくれたモモさんに、心から感謝を申し上げます。

戻ってきて、改めてこの大岩を見てみると、これもある種の生き物のように見えなくもありません。

その見つめる先は、あの磐座か。

このあと僕は、昼過ぎには帰路につかなければならないため、3人でランチをして、「出雲弥生の森博物館」を散策して、別れたのでした。
またの再会、更なる『”変態”巡礼』のシリーズ化を約束して。

恐竜の頭にも見えました。
竹林が涼しげで、美しい。
険しい道をお疲れ様でした。