山ノ神遺跡:八雲ニ散ル花 出雲屋敷篇 01

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往古に誕生した葛城・大和王国、その初代大王「天村雲」は、登美家クシヒカタの妹「蹈鞴五十鈴姫」を后に迎えた。
大王は、聖なる三輪山の最初の姫巫女として、その后を指名した。
太陽の女神を祀る彼女の姿は美しく、人々はその神々しさに魅了され、いつしか姫を三輪山の女神であるかのように崇拝した。
やがて人々は狭井川の奥に、姫のための斎宮を建てた。
そこは登美家の故郷を敬愛し、「出雲屋敷」と呼ばれた。

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奈良の最大の聖地、「三輪山」に再び訪れました。

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再びとは言ったものの、大神神社にはすでに数回訪れています。

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出雲族は古くから、神名備山信仰を持っていました。
祖霊が形の良い山に籠っている、という考えがあり、円い山は女神の山と考えられました。
出雲から葛城に移住してきたクシヒカタは、朝に太陽が昇る三輪山に、出雲の「佐姫山」(三瓶山)の太陽の女神を移し祀りました。

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これによりクシヒカタは「天の奇しき力を持つ日(太陽)を祭る人=天日方奇日方」(アメノヒカタクシヒカタ)と、呼ばれるようになります。

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大神神社拝殿の右側方向に、末社の「神宝神社」(かんだからじんじゃ)がありました。

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今まで失念していましたので、改めて参拝します。

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神宝神社の祭神は「家都御子神」「熊野夫須美神」「御子速玉神」と、いわゆる熊野三山の神となっています。

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奥の杜は深く神威に満ちています。

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ふと聖域との結界になっている、三輪の三ツ鳥居が垣間見えるのではないかと目を凝らしましたが、そんなことはありませんでした。

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境内には様々な草花も見られますが、「銀竜草」という山野草がクローズアップしてありました。

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拝殿を左に進むと、拝殿に負けず劣らずの立派な社殿があります。
祈祷殿です。

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祈祷殿のちょうど裏手にも、失念していた社があります。

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小高い丘を登ったさきにある、摂社「活日神社」(いくひじんじゃ)です。

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祟神天皇の御代、召されて大神の掌酒(さかびと)となった「高橋活日命」を祀ります。

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「出雲族が大和の三輪山に神を祭ったが、丹波系の高橋村の『活日』(イクヒ)という人が酒人となった」と、崇神紀に記されています。
古代の出雲の神祭りでは、お神酒造りが欠かせない仕事でした。
「播磨国風土記」に、「伊和の大神」(大穴持命)が酒を造った記事があり、三輪山でも出雲の伊和の大神が酒造りを教えたとの言い伝えがあります。
酒を入れるカメを古語でミワと言いましたが、それが「ミワ山」の語源で、三輪の漢字が当てられたのであろうと云われています。
そして三輪山の神は、酒造りの神だとも言われる由縁となりました。

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酒蔵の軒先に吊るされている「杉玉」は大神神社から全国の酒蔵に届けられているそうです。
その証に杉玉の下に吊るされている札を見ると、全国どこの酒蔵でも「三輪明神・しるしの杉玉」と書かれています。
杉玉は「新酒が出来た合図」だと言うことです。

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活日命は、大物主命のお告げにより、一夜で良質の神酒を造られたと伝えられ、古図にも活日社と記さず、一夜酒之社と書かれ、地元では一夜酒さんと呼ぶ人もいると云うことです。

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さて、三輪山登山口のある「狭井神社」までやってきました。
しかし今回の目的は当社ではありません。

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その奥にある「山ノ神遺跡」と呼ばれる場所を目指します。

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山ノ神遺跡は境内地図などにも案内はなく、隠された道を進むことになります。
伝承では狭井川の上流付近にあると云われていますので、狭井神社境内にそって、細い道を見つけ出し、川に沿って登り進む必要があります。

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唯一案内板で目印となるのが「辰五郎大明神」(たつごろうだいみょうじん)への行き道を示したものです。

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行き着いた場所には「きよめの滝」と記された禊場があり、

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一説によれば、江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商・淀屋(よどや)の5代目「辰五郎」を祀っているとされる辰五郎大明神がありました。
しかし目的の場所はここではなく、辰五郎大明神の手前を左に折れて進んだ、さらに山中にひっそりあります。

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忽然と現れた結界。

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その先にあるのが「山ノ神遺跡」です。

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そこにはただ一つの磐座がありました。

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この遺跡は、大正7年に奈良県によって発掘調査が行われました。
その時、1.8m× 1.2mの巨石の下から、4世紀後半から6世紀前半頃までのものとみられる小型の素文鏡・碧玉製や水晶製の勾玉・滑石製の子持勾玉・有孔円板・剣形製品・管玉・臼玉の他、高坏・盤・坏・臼・杵・匏・匙・箕・案・鏡を模した土製模造品・剣形鉄製品など多くの遺物が出土したそうです
この時の巨石が、この石ではないかと思われます。

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またこの山ノ神遺跡は、古来より「出雲屋敷」と呼ばれてきたと伝えられていて、富家の伝承の内容と一致します。

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クシヒカタの妹「蹈鞴五十鈴姫」(タタライスズヒメ)が三輪山の太陽神を祭祀し始めると、その信仰が大和中にひろがり、三輪山から昇る太陽を拝むために、多くの人々が集まって政治的な結束が強まりました。

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やがて葛城王国の人々は、蹈鞴五十鈴姫を三輪山の女神であるかのように崇拝し、三輪山の西北、狭井川の上流付近に斎宮を建てました。
そこは出雲屋敷と呼ばれたと云います。

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大和王国の大王は、姫巫女の祭祀能力と人気が力になっていきました。
祭りに集まる人々の結び付きから、宗教による指導と協力の政治が行われていったのです。
葛城王家は、クシヒカタの二人の妹「蹈鞴五十鈴姫」と「五十鈴依姫」、クシヒカタの娘の「渟名底仲姫」(ヌナゾコナカヒメ)と、三代続けて登美家から后を迎えられた、と日本書紀に記されています。

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磐座の下を見てみると、神籬の根が岩を優しく包むように伸びていたのが印象的でした。

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さて大神神社拝殿に戻ってきました。

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この日は月一の卯の日祭りがあるということでしたので、しばし待ってみました。

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やがて時が来て、神職の方々が揃って入ってみえました。

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卯の日祭は崇神天皇が卯の日に大神祭(おおみわのまつり)を始めたことに由来するとされています。

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崇神天皇、つまり物部イニエ王は、記紀では大和にいたことになっていますが、実際は九州から出ることなく没せられたと云います。
とするなら、イニエ王が大神祭を行うはずはないと思われます。

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しかしまあ、そんなことはさておき、

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かくも美しい巫女の舞を見れたのは、僥倖でした。

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カメラを手に立ち尽くす僕の耳にも、軽やかな鈴の音が、いつまでも鳴り響いていました。

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