宇都宮二荒山神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 03

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宇都宮をぶらり車走らせていると、不思議な光景が目に入りました。

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「長岡百穴古墳」です。

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この横穴は、7世紀前半に作られた家族墓的なものだと推察されています。

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穴の中には、様々な観音像と思しきものが彫られています。

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これら観音像は後世の室町時代になって掘られたものだということです。

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そして百穴といえば、これがヒカリゴケか!
と思いましたが、調べてみればヒカリゴケが見れるのは埼玉県の「吉見百穴」でした。

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長岡百穴古墳もなかなかな遺跡だと思うのですが、無造作に放置されてる感があり、保護しなくて良いのか心配になりました。

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さて、お目当の「宇都宮二荒山神社」(うつのみやふたあらやまじんじゃ、ふたらやまじんじゃ)へとやってきました。

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下野国一宮であり、宇都宮の名の由来となった神社だそうです。

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この長い階段は上段の48段が「いろは坂」と呼ばれていますが、それは日光のいろは坂に因んだもの。

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日光に同じ社名の「二荒山神社」があるのですが、『延喜式神名帳』に記載のある「下野国河内郡 二荒山神社」の論社として、2社がそれぞれ主張しているのだそうです。

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「宇都宮」の名の由来ですが、

・一宮(いちのみや)の訛り説
・南側の荒尾崎(現 摂社下之宮)から承和5年(838年)に現在地「明神山」に遷座したことから「移しの宮」の転である説
・二荒山の神の現宮(うつつのみや)説」という説
・豊城入彦命が東国の総監として此処に住し国がよく治まったことから「宇津くしき宮」と呼ばれた説

など、諸説あるようです。

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祭神は「豊城入彦命」 (とよきいりひこのみこと)。
相殿に三輪山の神として「大物主命」、その子として 「事代主命」が祀られます。

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記紀によると、豊城入彦は第10代崇神天皇の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮め、毛野国(のちの下野国・上野国)の開祖となったとされます。
また社伝では、仁徳天皇41年に下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が曽祖父・豊城入彦命をこの地区の氏神として祀ったのに始まると伝えており、それ以前は豊城入彦命によって三輪山から勧請された「大物主命」が祀られていたとも伝えられています。

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富王家伝承では、筑紫・物部国の王「イニエ」(崇神)と宇佐王国の「豊玉女王」は大和東征を目論み、宮崎の都萬国に物部・宇佐連合王国を成します。
「イクメ」(11代垂仁)はイニエと薩摩のアタツ姫の間にできた皇子でした。
豊玉女王の子「豊彦」と「豊姫」はイニエとの間に儲けられた子でしたが、その名から豊家で育てられたと推察します。

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この豊彦こそ「豊来入彦」(豊城入彦)であり、母・豊玉女王はかの邪馬台国の女王「卑弥呼」と伝えられる人物です。

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イニエ王の死後、物部イクメ王は豊玉女王の指揮下、豊彦・豊姫らと共に大和東征を決行しました。
彼は但馬のアメノヒボコの子孫「田道間守」に、大和と出雲を挟み撃ちで攻めることを打診します。

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東征侵攻の最中、瀬戸内沖で豊玉女王が亡くなる事件が発生。
ひとまず女王の葬儀が、広島の宮島で執り行われます。
この時、豊彦と豊姫は母を弔うため宮島に残り、イクメ王らの軍だけはそのまま大和侵攻を続けることになりました。

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イクメ王は大和を制圧し、念願だった大和入りを果たします。
しかし共闘した田道間守や、後から大和入りした豊彦らが支配地を増やし王のように振舞い出すと、これを目障りに感じ始めます。

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イクメ王は攻め落とした出雲東王家の「野見太田彦」に田道間守討伐を依頼し、これを成し遂げた太田彦に宿禰の称号を与えました。
彼が相撲の開祖と呼ばれる「野見宿禰」です。

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豊彦は大和に入ると、出雲王家出身の「登美家」の聖地、三輪山とその遥拝所「鳥見山霊時」を占拠、三輪山の「大和笠縫邑」では豊姫が宇佐の月神を祀ることになります。
この豊姫が「豊来入姫」と呼ばれ、記紀に「豊鍬入姫」と記されるようになります。

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この豊彦が目障りだったイクメは、彼に大彦らの残党エミシの討伐を持ちかけます。
根が真面目だったのでしょう、豊彦はこれを真に受け、軍を率いて東国へ出陣しました。

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しかし彼らの背後から刃を突き付けたのは、他ならぬイクメ王が差し向けた軍勢でした。
イクメは登美家らに、鳥見山霊時と大和笠縫邑の奪還をそそのかし、豊彦らを攻めさせたのです。

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結局豊彦らは上毛野国・下毛野国に逃れ、子孫たちはその地で定住することになったのです。

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邪魔者を排したイクメ王はいよいよ大和の大王に就任しますが、その3代後の「ワカタラシ」(13代成務帝)の妻「神功皇后」が三韓征伐を果たして帰国します。
その後生まれた皇子が「応神天皇」であるとなっていますが、富王家が伝えるところでは、皇后の嫡子は7歳で夭折、その後密かに養子に迎えたのが豊彦の末裔であると云います。
ゆえに八幡宮総本宮の「宇佐神宮」では応神天皇が主祭神になっているのです。

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野望を抱き、裏切りに散った偉大な女王の皇子「豊彦」。
彼のフロンティア精神は、東国開拓の礎となったのです。

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帰り道、興味深い通りに出会いました。

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行列のできる有名店とお聞きした店に入ります。

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値段の安さにびっくり。

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たらふく食べさせていただきました。

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4件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    宇都宮ふたらやま神社。日光ふたらさん神社。どちらも漢字で二荒山と書くので、御朱印を頂く時には注意が必要ですね。
    どちらも一の宮の名をもち火花を。神社庁絡みと経営的独立している日光の争いもあるのかも。
    餃子のみんみん大好きです。古峯に行った帰りにも鹿沼のみんみんに立ち寄って帰るルーティンがあります。
    ああ、餃子食いたい(笑)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      神社にも権力争いやお金に絡む思惑が見え隠れするのは残念な思いです。
      所詮は人の為す事、人の性でしょうか。
      それでも聖地は聖地、古代の祈りの息吹を感じられれば、それで良しとしています。

      いいね

  2. asesorlegal 999 より:

    昨日、私がコメントした大谷資料館で、「匿名」と表示されていたのは何か投稿の仕方が悪かったのですかね??

    宇都宮の餃子が有名になったのは最近の事です!
    駅周辺に支那人が多く住み出してからです。私が宇都宮の名物として餃子が挙げられていることを知ったのは約10年ほど前からですからね!!笑
    TVで煽るのは何かの利権絡みかもしれませんね。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      コメントは、文面から生きる塾さんだろうと思っていました 笑
      WordPressは時によくわからないことになりますね。
      他の方のコメントがスパム扱いになっていて、しばらく気づかないこともありました。

      宇都宮の餃子には、そんな裏があったのですね。
      どうりでピンとこなかったものです。
      でも今だに行列ができているようですから、リピートする人、クチコミする人も多いのか、乗せられる日本人も日本人です。
      食べ物くらいならそれでもいいですが、もっと自分で判断して決断することが、日本人にも求められますね。

      いいね: 1人

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