青龍窟:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 03.5

投稿日:

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福岡県苅田町の平尾台にある「青龍窟」(せいりゅうくつ)、そこにも土雲の伝説がありました。

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心地よい晴天の下、車を走らせ細い山道をのんびりドライブ。
目的地まであと2kmというところまでやってきましたが、ここで車両通行止め。

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少しバックをして広い駐車スペースにオシャレ女子系のキリコ号を駐めます。

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このかわいいピンクの車からオサレなおっさんが降りてきたらイイんじゃね!
と思っていましたが、そのあと雑誌で彼氏に絶対乗って欲しくない車の色No1がピンクだという記事を見て愕然としました。

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ともかくも車を降りて歩くことにします。
2キロかぁ。。

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道の序盤は竹林に覆われ、良い雰囲気です。
歩き始めてすぐに左手に道のようなものがありましたがスルーして進みます。

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しばらくすると平尾台の山々が見えてきました。

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2kmの道は最初こそ登り道ではありますが、500mほど進むとあとはなだらかで平坦な道になります。

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すれ違う人の姿はほとんどありません。
のどかな午後の時間がただ流れるのみ。

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森のクマさんにでも出会いそうな道を通り過ぎると、

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裸出したカルストのカレンフェルト「石塔原」「羊群原」などと呼ばれる地形が見えてきます。

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石灰岩で濾過された綺麗な水が流れる小川の先に、

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青龍窟への道は続いていました。

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すぐに見えてきた看板らしきもの。
どうやらあそこが青龍窟のようです。

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駐車スペースから約30分、

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漆黒の闇がぽっかりと口を開けていました。

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青龍窟とは平尾台にある鍾乳洞の一つ。
1962年(昭和37年)に洞窟全体が国の天然記念物に指定されました。

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見てください、龍神さまが歓迎してくれていますよーっ♪
いえ、ただの逆光です。

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物々しくしめ縄の結界が張られた洞穴。
洞窟が苦手な僕は、身が竦みます。

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少しずつ、恐る恐る歩みを進めます。
奥に何かある。

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洞口ホールの奥に作られた祭壇。
ぶわりと背中が粟立ちます。

しかも奥では何かの鳴き声のような音が一定の間隔ごとに反響しています。
こわ。。

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青龍窟は上・中・下三段の洞窟が繋がった鍾乳洞で、全長は3kmほどあるととされています。

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鍾乳洞内部の地形は複雑を極め、その大きさは平尾台で200カ所程存在する鍾乳洞の中で最大規模なのだとか。

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この祭壇は普智山等覚寺の奥の院として設置され、かつて修験道の修行場になっていたそうです。

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石の祠は「岩屋(窟)神社」と呼ばれ、「豊玉姫」が祀られています。
豊玉姫!!
豊玉姫ですよ、また僕の出雲病がぞわりと発症しかけます。
九州では修験の聖域に、なぜか豊玉姫・玉依姫の龍宮の姫神がよく祀られています。

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しかし反対側の注意版を見てテンション低下。
アホはどこでも出現するなぁ。

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祭壇の周りに並べられた石像の数々。
当地では釈迦・文殊などの像が発掘されているといいます。

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祭壇の向かって右手には「龍形岩」と名付けられた岩があります。

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その岩には連続的に水が滴り落ちており、見上げると

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そこだけ出っ張った岩があるのでした。

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苅田町に伝わる豊玉姫の伝承の前半は古事記に準じた内容ですが、後半にアレンジが見られます。

昔、豊国に「火照理」(ほでり)と「火遠理」(ほおり)というの兄弟が住んでいました。
あるとき弟の火遠理は、兄から借りた大切な釣り針を失くし、途方に暮れて一人海辺でたそがれていました。
すると火遠理の前に美しい娘が現れて言います。

「私は豊玉と申します。私の父はこの海を支配する龍王です。あなたの釣り針を探してくれるよう頼んでみましょう」

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姫とともに龍宮を訪れた火遠理を龍王は気に入り、すぐに釣り針を探し見つけ、さらに姫を妻にするよう勧めてきました。
美しい姫を妻に迎えた火遠理は、龍宮で幸せな日々を過ごしていましたが、やがて故郷へ帰る日がやってきました。
故郷へ帰る途中、姫は急に産気づき、火遠理は慌てて岩陰に産屋を建てました。

「私は今から一人で出産しますが、決して産屋の中を覗き見ないでください」

そう言い残して産屋に一人こもる豊玉姫でしたが、心配になった火遠理はつい産屋を覗き見てしまいます。
すると驚いたことに、美しい姫は龍となって子供を産んでいたのでした。

「あれほど中を見ないでと約束したのに」

自分の醜い姿を見られた姫は悲しみ、子供を浜辺に残して海へ帰っていってしまいました。

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それからというもの、豊玉姫は龍宮で泣き暮らしていましたが、豊国諌山の洞窟(平尾台)にどんな悩みも聞いてくれる「諾距羅尊者」(だくらそんじゃ)という聖僧が住んでいるという噂を耳にしました。
姫は幾日もかかって旅をし、なんとか尊者に会うことができました。
姫の話を聞いた尊者が姫のために祈ると、姫は美しい女神へと生まれ変わりました。
喜んだ姫は

「私の霊魂をこの洞窟にとどめ、末永く人々の幸せを守りましょう」

そう告げると天へ昇っていきました。
この龍形岩は、姫が神になったときの抜け殻だと云うことです。

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龍形岩のさらに奥には、完全に漆黒の洞窟が続いていましたが、

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久米島仙人もいない今の僕には、この先に進む術はありません。
これ以上ここに留まることに限界を感じ、そそくさと下界へと逃げ帰ることにしたのでした。

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帰り道の遠景に、のどかな集落とその先の海がかすかに見えていました。
このずっと先には、豊玉姫のふるさと、龍宮「宇佐王国」があるのでしょう。

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ふと小さく書かれた「山伏古道」なるものを発見。

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このロープの中を行けと言っています。

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それは林道というか獣道というか、わずかに踏み跡らしきものがあるだけの道でした。

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足元は枯葉でふかふか。

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途中はかなり急な下り坂になっています。
これはなかなか楽しい。

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青龍窟の帰りは山伏古道がオススメ!
プチ冒険気分を楽しめます。
行きは地獄だと思うので、マゾな方以外はおすすめできません。

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ところで、青龍窟には、土蜘蛛を景行天皇が退治したという伝説も残されていました。
物部のイクメは東征を成し遂げ、大和の11代大王に就任しました。
彼と先帝・彦道主大王の娘「日葉酢姫」の間に生まれた子がオシロワケ・景行帝となります。

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物部王朝は形こそ大和の大王でしたが、その支配域は畿内を中心とした限定的なものでした。
また付き従う豪族も少なかったため、物部王朝2代目のオシロワケは自ら東西に遠征せねばならなかったのです。
彼は九州平定において、恭順しない者を容赦なく殺めてきました。

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平尾台一帯にいた一族も、物部王朝に恭順することを良しとしなかったのでしょう。
彼らは土蜘蛛と蔑称され、大半は殺されてしまったものと思われます。
しかし彼らの子孫が青龍窟に神を祀り、それが修験者に受け継がれてきたとしたなら、当地を支配した豪族とは宇佐王国のゆかりのものだったということになるのかもしれません。

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山伏古道を通り抜けてみると、出口は駐車スペースにほど近い、行きでスルーした横道でした。
思いがけない小冒険にすっかり気分も晴れた休日でした。

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7件のコメント 追加

  1. Rumikoの日記 より:

    ウンウン!鹿児島にも有ったよ!良いよねこんな風に歴史と別空間にいる感じ。

    いいね: 1人

  2. Rumikoの日記 より:

    凄い迫力です。素晴らしい!

    いいね

    1. CHIRICO より:

      龍の口に入って行くような感覚ですね!

      いいね: 1人

      1. Rumikoの日記 より:

        龍ですか。
        私は辰年なのですが、タツノオトシゴと言われてます。笑
        良いな~^_^

        いいね: 1人

  3. Tyakura より:

    わぁ、懐かしい!私も行ったんです。こんな険しいと思ってなかったんで、軽い気持ちで、岩とか、登った記憶があります、ちょうど、山伏さん達と出会って、山伏さんが驚いてました(笑)すごい、神々しくて、また行きたいと思いつつ、道のりを考えると…😅豊玉姫様ゆかりのある?神の島にも行けたらいいですね!神の島もオススメです。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      そうでした、神ノ島がありました。
      いつか渡ってみたいです。
      神ノ島には市杵島神社がありますね。
      僕は宇佐の豊玉姫は市杵島姫の血を引いているのではないかと考えています。
      さらには対馬にも豊玉姫信仰の形跡がたくさんあり、志賀島から壱岐・対馬までを統治していた安曇族は豊玉姫の子孫ではないかと。
      海彦・山彦と豊玉姫の神話も単なる作り話ではなく、そのベースとなった古代史を探っていくと、とても面白いです。

      いいね: 2人

      1. Tyakura より:

        浪漫ですね✨豊玉姫伝説、はまったら楽しそう!豊玉姫は私も行くたびに縁があるような?なんかごっちゃになっちゃう時あるけど、面白いですね!

        いいね: 1人

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