宗形神社:八雲ニ散ル花 17

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鳥取県米子市宗像に「宗形神社」(むなかたじんじゃ)があります。
「伯耆の宗形神社」と記される聖地です。

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「延喜式神名帳」には「胸形神社・胷形神社(伯耆国・会見郡)」と記されています。
地名は宗像なのに、神社は「宗形」、そして古くは「胸形」と表記されていました。

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日本書紀、及び釋日本紀にある筑前国風土記逸文には、宗像の君を「胸肩の君」と書かれています。
古代人は各地を行き来していたので九州の地図が頭にあったそうで、九州の形を人に例えたそうです。
国東半島を頭に例え、肥前国を両手に見立てると、ちょうど筑前海岸あたりは胸か肩に相当すると云うのです。
「胸肩」→「胸形」→「宗形」→「宗像」と云う具合です。

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果たして古代人が九州の俯瞰図をそこまでリアルに思い浮かべられたかは疑問が残るところです。
しかし宗形の字が宗像より古い表現であるということは、十分可能性がありそうです。

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御幸場と記された石の台の奥には深い杜が広がっていました。
九州宗像大社の辺津宮にも、女神降臨地の聖地として高宮斎場がありますが、似た空気を感じます。

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御祭神は、「田心姫命」「湍津姫命」「市杵島姫命」の宗像三女神。
創建年代は不詳ですが、往古宗像氏族が祖先神である宗像三女神を奉じて九州からこの地に来着し、これを斉祀したのが起源と伝えられています。

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弘治2年(1556年)に尼子晴久が現社地に奉遷していますが、以前は北330mの宮ノ谷にあったそうです。

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富氏によると、当社は宗像三女神の長女、「田心姫」が東出雲意宇地区にある阿太加夜神社から移り住んだ宮であると伝えています。

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富家伝承によると大国主と事代主は、徐福とともに渡来した穂日とその息子夷鳥によって孤島に幽閉、枯死させられます。
大国主の妻「湍津姫」は姉の「田心姫」を頼って、意宇の阿太加夜神社に移り、しばらく一緒に暮らしました。

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やがて生活も落ち着いた頃、田心姫はこの宗形の地に移り住んだと云います。

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田心姫は事代主の母親でした。
人望も高かった息子の無残な死に、心荒んだことと思われます。

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社殿は簡素ながら、風格を醸し出しています。

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ここは太古には入り江になっていて、すぐそばまで海が迫っていました。
事代主は海をこよなく愛したと云います。
田心姫は息子の愛した海、そして故郷宗像に通じる海を眺めて、余生を過ごしたのでしょうか。
宗像では彼女の御霊は、絶海の孤島「沖ノ島」に気高く今も祀られています。

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