奈良県橿原市にある「天香久山」(あめのかぐやま / 天香具山)は、「畝傍山」、「耳成山」とともに大和三山と呼ばれる聖地です。
標高は152.4メートルで、山というよりは丘と呼ぶにふさわしい、風光明媚な低山となります。
天香久山の麓に、「天香山神社」(あまのかぐやまじんじゃ)があります。
天香久山は、天から降ってきたという伝説がある山です。
その小さな美しい山に魅せられて歌にした歌人も多くいます。
参道には葛木坐火雷神社にもあった「波波架の木」(ははかのき)がありました。
昔は「朱桜」(にわざくら)と呼ばれていて、「古事記」に出てくる天の岩戸の神話の中で、雄鹿の骨と朱桜の木の皮で吉凶を占ったと記されている樹木です。
拝殿横には、明治天皇の遥拝所があります。
御陵を遥拝しているのでしょうか。
拝殿です。
天香山神社の御祭神は、聞きなれない「櫛真智命神」(クシマチノミコトノカミ)という神様です。
櫛真智命神は、知恵の神様だと云われていますが、占いの神様でもあるようです。
拝殿の奥の本殿は杜に包まれています。
本殿の奥には三枚の巨石がありました。
天香久山にはいくつかの登山口がありますが、いずれも10~15分程度で山頂に行くことができます。
天香久山は自然の姿を残す国有林ですので、低い山だからと侮らず、歩きやすい格好で行くのが良いでしょう。
山頂に着きました。
そこには2つの社が建っており、向かって左が「国常立神」、右には「竜王神」が祀られています。
国常立神は神話に最初に出てくる神ですが、ここは村雲王が父の香語山を祀った山であるので、元々の祭神は香語山であったと思われます。
社の前には壺が埋められており、昔は雨乞いをする場所でもあったと云います。
遠くを眺めると、霞む葛城山の手前に、低山「畝傍山」が見えます。
奈良県には、藤原京があった場所を囲む「大和三山」と呼ばれる三つの低山がありますが、海家・物部家の祖である徐福が信奉する道教では、形の良い低山を聖なる山とする向きがあったそうです。
星神を信奉する道教において、登りやすく星を見やすい低山は、聖地に相応しかったのでしょう。
下山に別ルートを辿っていると、
国生みの神を祀る「伊弉諾神社」(いざなぎじんじゃ)があります。
この伊弉諾神社は、地元の人に「上の御前」と呼ばれています。
さらに少し下ると、
伊弉諾命の妻である伊弉冊命が祀られている「伊弉冊神社」(いざなみじんじゃ)があります。
こちらは「下の御前」と呼ばれています。
竹林の山道を抜けたところ、天香久山の麓にはもう一つの神社があります。
「天岩戸神社」です。
天岩戸といえば、宮崎の高千穂が有名ですが、神話で出てくる「天照大御神」(アマテラスオオミカミ)がお隠れになった伝説の場所になります。
拝殿の中には、神話に即したイラストが飾ってあります。
高天原で暴れる弟神スサノオに心痛めた太陽神アマテラスが岩戸に隠れたことで、世の中は暗闇になります。
困った八百万の神々は知恵を出し合い、アマテラスを外におびき出し世界に光を取り戻したという伝説です。
拝殿の裏に本殿はなく、神域との結界に鳥居が鎮座しています。
それは大神神社に見られるような三ツ鳥居の形をしており、直接御神体を拝する形式となっています。
鳥居の奥には数個の巨石があり、天岩戸の石であると言い伝えられているそうです。
大和三山の中心に藤原京を造った持統天皇は、天智天皇の娘であり、古事記・日本書紀の編纂を促した天武天皇の妻でした。
太陽の神である天照大御神は、持統天皇を慮って藤原不比等が記紀の中で、出雲太陽の女神などを元に創造した神であるようです。
持統天皇はこの太陽の女神に憧れ、天香久山の歌を詠み、大和三山の中でも聖域として扱っていたという言い伝えもあります。
また、この神社には、毎年7本の竹が枯れ、その代わり7本の竹が育つとい不思議な話が伝わっています。
天香久山は今も天の調べ香しい聖域として、言い伝えられ続けていました。