「花とちり 玉とみえつつあざむけば 雪ふる里ぞ夢に見えける]
雪が花の散るように降り、玉のように見えたりして目をあざむくから、雪の降る故郷を夢で見てしまった。
2016年1月25日、福岡では珍しい、積もるほどの雪降る日に太宰府天満宮へと出かけてみました。
天満宮に行く途中、「太宰府政庁跡」に立ち寄りました。
いつもは通り過ぎる場所ですが、なんとなく気になって駐車場に車を止めます。
そこは一面白銀の世界。
息をのむほど美しい。
正月には歩くのも困難なほど人で溢れかえる天満宮も
さすがにこの日は閑散としていました。
御神牛、なで牛の頭にも雪が積もっています。
本殿を背にして歩いた先にある「浮殿」。
かつては心字池にあったというその古い建物は、
少し寂しげに、雪の中に佇んでいました。
過去・現在・未来を表す3連の太鼓橋はそこでコケると人生もコケるという、ちょっと怖い言い伝えがあります。
さすがに今日は危険なので、通行そのものができないようになっていました。
心字池は薄氷が覆い、まるで浮世絵のような風景を作り上げています。
普段見慣れた光景も、また違ったものに見えます。
昔はこのくらい普通に降っていたのに、今では全くと言っていいほど福岡では雪が降らなくなりました。
菖蒲池もまた、いつもとは違う景色に。
楼門が見えて来ました。
この雪に埋もれる日でも、神官さんや巫女さんが朝の掃除を行っています。
本殿のそばにある「飛梅」も雪化粧。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」
菅原道真が京を去る際に読んだ歌。
この想いに応えて道真の家にあった梅は一夜にして太宰府まで飛んできたといいます。
春には見事な花を開花させる飛梅。
樹齢1000年の梅の花は当時の芳しい香りを今に伝えています。
雪降る中の本殿。
学問の神様、ひいては芸の神様として慕われる菅原道真公。
父の実家が天満宮のそばにあるので、僕には一番馴染み深い神社です。
本殿の裏に回ってみると幾つかの末社などがあります。
老松神社は道真公の父母を祀っています。
横の小さな社も風情を増していました。
天満宮は本堂前はいつも人で溢れていますが、裏手に回ると人も少なく、落ち着いた雰囲気で包まれています。
天満宮のさらに奥には知る人ぞ知る超絶スポットがあります。
包丁塚、筆塚などを過ぎ、数件並んだ茶屋を横目にさらに奥に歩みます。
朱い鳥居が次第に並び見えてきますが、
「天開稲荷社」はその先の、天満宮の奥の丘の上にある神社になります。
そこはまた違った空気漂う場所です。
天開稲荷社の鈴は13個あります。
手前の12の鈴は自分の干支の鈴を鳴らすようになっていて、その後に中央奥の鈴を鳴らす習わしです。
清らかな鈴の音が本堂に響く中、厳かに参拝。
どうやら神の御使いも来ていたらしい。
天開稲荷社は京都の伏見稲荷大社から勧請した「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)を祀っています。
ウカノミタマはスサノオの子と伝わり、人々の生命の源である「食」、とりわけ「稲」の神様です。
本殿の横には「天開水」という井戸水が湧いており、
裏には「奥の院」が鎮座します。
奥の院は古墳の石室のような造りになっています。
中には無数の小さな稲荷像とともに小さな社が祀ってあります。
ここは独特の気を放っているので、苦手な人もいるかもしれません。
ふたたび天満宮本殿へと戻って来ました。
見れば珍しい、若い女性の神主さんが祝詞を奏上しています。
美しい雪景色と相まって、その姿はまるで道真公を慕う飛梅の精霊かのように思えました。
雪の太宰府は別世界の美しさですね。
祝詞奏上に行き会うとはうらやましいことです。
きっと日頃の行いが良くていらっしゃるのでしょうね。
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この日はたまたま25日で、よもぎの梅ヶ枝餅を食べようと狙っていた日でした。
早朝からチェーンをつけて、車を走らせたのを覚えています。
靴には雪山用の簡易アイゼンというスパイクのようなものをつけて、歩きました。
苦労もあって絶景を独り占めさせていただけました。
僕が小学生の頃は、当たり前に雪が積もっていたのに、最近は寂しいですね。
人気の神社は早朝を狙って参拝することが多いのですが、その際、朝の奏上に出会うことがしばしばあります。
中でも出雲の美保神社の朝の奏上は、一種独特の空気があり、神秘を感じるものでした。
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