亀甲神社/佐陀神社

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米子市淀江町の住宅街にポツンと鎮座する「亀甲神社」(かめのこじんじゃ)ですが、izumeさんが「面白いものがある」というので、連れてきてくれました。

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これです。
おー!

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道祖神、いわゆるサイノカミを集めたものですが、中には今風のものもあって面白いです。

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境内社も面白いのがあって、

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あれ?これってお犬様、祀ってない⁈

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当社祭神は「須佐之男命」で、『鳥取県神社誌』によると「創立年月不詳。神木を以て荒神宮と称す、大神山神社の摂社であった」と記されます。

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ひょっとすると、淀江三輪神社の狼とは、大山の大神のことで、秩父の狼信仰の大元は大山だったりしちゃうのではないかなんて、ふと思ってしまいました。
わからんけど。

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それと、当地の地名が「亀甲」なのだそうですが、これは白亀が近くの海岸に上陸したから、と伝えられていました。
白い亀、意味深ですな。

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これまた、集落内の細道をうねうねと際どいドライビングをしながら、なんとか「佐陀神社」(さだじんじゃ)に辿り着きました。
運転してたのは、淀江ギャルのizumeさんですが。

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非常に歴史を感じさせる荘厳な神社です。

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創立年代不詳。
日野郡『楽々福神社旧記』には、「佐陀大明神は人皇七代に当って当国悪鬼蜂起し国家動揺す、依て孝徳天皇之れを退治の為御幸せられ、国中悉く平定、此の時佐陀大明神を勧請せられし」と記されているとのことです。

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この「佐陀大明神は人皇七代に当って当国悪鬼蜂起し国家動揺す」とは、「7代孝霊フトニ大君の軍が攻めてきた時、出雲兵がこれに蜂起し対抗した」という「第1次出雲戦争」のことを言い表しているように思われます。
ならば、出雲兵の蜂起に佐太神族が関与していたということでしょうか。

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よく分からないのが「依て孝徳天皇之れを退治の為御幸せられ、国中悉く平定、此の時佐陀大明神を勧請せられし」の部分ですが、孝徳天皇は36代の天皇で時代がずいぶん開きます。
これは「孝霊天皇」の間違いではないのか。
孝徳天皇の母親は「吉備姫王」なので孝霊天皇に縁があって混同しているということでしょうか。
国を揺るがした悪鬼の親玉が佐陀大明神のように書かれていますが、平定した側が敵側の神を勧請して祀ったというのは、怨霊信仰的な印象を受けます。

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当社祭神は「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」となっていますが、『田蓑日記』はこれを誤りとし、「大己貴命」「蛆貝姫」を祭神とするといいます。

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さらに当社は、古に「進 太郎佐衛門」なる者が出雲の佐太神社を移し祀ったとの伝承があるそうです。
ゆえに祭神は「猿田彦神」であると。
進家は古くは権神主であって、棟札にその名前が残っているそうです。

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僕らが参拝を終えて帰ろうとしていると、一人のご年配の方にお会いしました。
すると、どうやら佐陀神社を管理している方のようでした。

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僕が九州から来たことを伝えると、せっかくなので、と社殿の中にご案内いただきました。

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本殿の前にご鎮座の、木彫りでユニークな造形の狛犬様。

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拝殿内に掲げられたたくさんの奉納絵馬は、ほとんどが明治期のものでしたが、その頃は伊勢参宮が盛んに行われていたとのこと。
参拝の土産として、この大きな絵馬を担いで帰ってきたのだそうですが、「お伊勢参りにかこつけて色町へ行くのが、皆の楽しみだったんだ」と御仁はおっしゃいます。
こんな大きな板を苦労して持ち帰るほど、それはさぞお楽しみだったことなのでしょう。

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今思えば、この男性は進家の子孫の方だったのではないでしょうか。
当社と松江の佐太神社の関係についても、言及されていたように記憶しています。

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当・佐陀神社の横には佐陀川があり、

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松江・佐太神社の横にも佐陀川があります。

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実は佐太神社と佐陀神社は、佐陀川を通じて特別な行き来があったと伝えられていました。
二つの佐陀川はもちろん繋がってはいませんので、AもしくはBのルートで海を渡ったものと思われます。
おそらくはBコースか。
しかしBコース側の佐陀川は見事なストレートの川で、自然にできたものとは思えません。
調べてみると、現在の松江の佐陀川は、宍道湖周辺の農地の洪水対策として、慶長8年(1788年)に開削されたものでした。

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それ以前はどうだったのか、というと、佐太神社の北、恵曇(えとも)と古浦(こうら)に海水が流入し、佐太神社の南に「佐太水海」(さだのみずうみ)と呼ばれる大きな潟湖があったことが知られますが、これが存在したのは縄文後期頃までのこと。

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『出雲国風土記』に「佐太川」が記されていますが、これは多久川を指しているようで、佐陀川と正確に呼ばれたのは、佐太神社の北側部分のみだったようです。
こうして見てみると、「佐陀川を通じて行き来していた」という話は、古代からというよりは、江戸期からと考えた方が良いのかもしれません。

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それよりも驚いたのは、米子(淀江)の佐陀川を遡ってみると、大山に源流があり、大神山神社の奥宮と本社を繋いで流れているではありませんか。
ひょっとすると佐陀神社は、佐太神社と大山を結ぶハブとしての役割があったのかもしれません。

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淀江とはなんだかよく分からない場所ですが、izumeさんがおっしゃるように、確かに何かがあったのだろうと、感じさせるのでした。

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3件のコメント 追加

  1. izume-world のアバター izume-world より:

    亀甲神社、佐陀神社。ここまで淀江を取り上げたブログは恐らく他にないので、ありがたやありがたやです。

    「それよりも驚いたのは、米子(淀江)の佐陀川を遡ってみると、大山に源流があり、大神山神社の奥宮と本社を繋いで流れているではありませんか。
    ひょっとすると佐陀神社は、佐太神社と大山を結ぶハブとしての役割があったのかもしれません。」

    やだ〜ん。粟嶋神社⛩️あたりからの外来種ではありますが、こちらに在歴20年。半分ジモティーギャルなのに知らんかったです。大神山神社の奥宮と繋がってる水脈だなんて。
    大神山のオオカミ伝承を探してみよかなと思いました。ないか。。

    あのオジサマは、紀の国からこちらにやってた進氏の子孫さんに入婿された方なのかなあと思いました。
    3回目に再訪してもまたお会いできそうな気がしてきました(笑)
    そろそろ面を覚えてもらえるかな。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      和歌山の人っておっしゃっていましたっけ。
      なるほど、色々聞き出しちゃってくださいませ。

      1. izume-world のアバター izume-world より:

        ラジャー👌

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