
鳥取県米子市淀江町に鎮座する「三輪神社」(みわじんじゃ)に連れてきていただきました。

「大物主命」「少名彦名命」「素戔嗚尊」を主祭神とする神社です。

『鳥取県神社誌』によれば、神社創立は崇神天皇の御宇、大和国大神神社の分霊を勧請したものだということです。

参道入口、手水舎の後ろには、サイノカミが並んで祀られていました。
近辺に置かれていたものを、ここに遷したものと思われます。

珍しいのが舟形の石。
淀江は今は平野が広がりますが、かつては山裾まで海が迫っていたと思われ、海難除けとしてこうしたものも祀られていたのでしょう。

御神木の根元に、ちいさな三ツ鳥居がありました。
これは以前から、izumeさんが話してあったものですが、思ったよりも簡単な作りのものでした。
御神木も比較的若いようですので、古来からあったというよりは、三輪信仰にあわせて置かれたものと思われます。

当・三輪神社の拝殿彫刻は素晴らしく、とても美しいものでした。
龍のデザインも、生き生きとした味わいがあります。

大正5年(1916年)12月に、大高村に鎮座の「下和泉神社」を合祀したようで、こちらの祭神が素盞鳴でした。

つまり、三輪社としての祭神は大物主と少名彦ということになろうかと思います。(あるいは少名彦も他社からの合祀か)

大物主は、富家では天日方奇日方が父・事代主を祀ったものだということですので、大物主と少名彦はちょっと被ってしまいます。

当社はかつて三輪山東方にあって、広さは東西八町、南北六町余りだったといわれています。
1町は109mですので、東西870m、南北660mほどの境内敷地があったということです。

さらに境内は3峰に分れ、東を「宮広峰」、中を「鳥居峰」、西を「堂の峰」と言ったとありますので、社殿のあった峰、大鳥居のあった峰、神宮寺のあった峰と別れていたのでしょう。
ともかくも、相当な規模の神社であったことが分かります。

ところで『鳥取県神社誌』では、当地への大和国大神神社分霊の勧請に関して「蓋し(けだし/まさしく)崇神天皇7年諸国病流行盗賊蜂起の際、国家鎮護の神として大物主命幸魂奇魂を諸国に遷し祀り、大田田根子命をして大神を祭ら給ひしこと旧史に見ゆ、当社は則ち其の一なりと云ふ」とあります。
崇神王(物部イニエ王)の時代の大和の正式な帝は、10代日子坐(ひこいます)大君でした。
富家伝承でいうところの、第1次物部東征後の時代で、和国大乱もまだ収まりきらぬ頃でした。

その時代に頭角を現したのが三輪山の大田田根子(大田田根彦/三輪大王)です。
彼は第1次物部東征軍を大和に引き入れたヤタガラスである、と疑われる人物であり、確かにこれを機に一気に勢力を増します。

また、narisawaさんだったと思いますが「ヤタガラスは2度物部を引き入れた」のではないかという意見もあり、広島宮島の厳島神社はカラスを聖地導きの神使としており、関連の深い大頭神社では4羽のカラスが2羽ずつ、宮島と紀州に飛び立っていくという神事が残されています。

なので崇神王時代(第1次物部東征から第2次物部東征時代にかけて)大田田根子をして各地に大神を祭ら給わせたというのは、彼の全国規模での勢力拡大を意味しているのかもしれません。

淀江の三輪神社とは、三輪一族の東出雲王家領進出の拠点だったのか。

izumeさんによれば「大神神社から狼が2匹やってくるのはここだけ」という話を聞いておりますが、これはどう言ったことなのでしょうか?
淀江の三輪神社に大和の大神神社から、狼の神体を勧請する祭祀が行われている、ということでしょうか。
しかし、大神神社で狼が祀られているという話を、僕は知りません。
狼は大神のことなんでしょうが、あえて狼(それも2匹)としているわけはいったい??

ところで三輪山といえば、狭井神社の薬井戸のように、清水が有名です。
当地にも「三輪山の清水」や「天の真名井」といった湧水処があります。

ところが、この湧水地の上流域に、地域住民の反対を押し切って、産業廃棄施設が建設されようとしています。
こうした問題の解決は難しいと思いますが、なんとか良い方向に向かって欲しいものです。

narisawa110
鳥居は、三輪神社ではなく、三峰神社の形なんじゃないでしょうか?
両神山が本所だそうで、各神社に大神を貸し出している古文書が今でも残っているそうです。
また、両神山は、イザナギ、イザナミを祀りますが、基本的にヤマトタケル伝承の信仰になります。
神紋が大の字ではなく、三の字であることがとても興味深いと思いました。
やはり三峯ですかね。
境内には3つの峰があった、狼信仰、などからも三峯信仰がいつやら三輪信仰に変わったのでしょうか。
鳥居は立派なものがかつてはあったのでしょうか、今は手作り感が強く、本来の形がよく分かりませんね。
narisawa110
ただ、島根県にはもう一つ三峰があります。
なんとイザナミ御陵の比婆山ですが、そこも三峰なんです。
狼になるとそっちに引っ張られちゃいますが、まだ掘り下げてはいませんが、こっちではないかなーと思います。
ふむふむ。
何やら変遷が不思議ちゃん神社ですねえ(^_^;)
淀江や大山麓には
古〜いサイノカミ信仰の痕跡(いわゆるサイノカミさんの双体像)が、いろんな神社の横や前に何個もちよこんといらっしゃいます。
その後の変遷が、
神社誌とか見ててもよおわからんものが多いようですね。
まあ、良く言えばおおらか大雑把な鳥取県西部の土地柄ゆえ、後世に残そうとかあんまりなくて。
三輪の名水の上にバイパス通すわ、産業廃棄物処理施設を建設しようとするわ。酷いもんです。未来の負の遺産を子どもたちに残すことを案じるよりも
明日食べるパンのことを優先しゃう
スクラップ&ビルド
なんでしょうねえ、古来からそうだったのかなあと思います。
結構、お店がオープンしてわあっと新しもの好きで行列作ってたのに、回転が早い早い。
潰れる前に食べに行こうよ、と米子人、そこに行きますよ(^_^;)
良いとこもあって
鳥取県の中では、中部東部よりは西部のほうが、
仕事とかはしやすい印象があります。ゆるいので。あんまり
きちっとしてなくて。
すぐ忘れるし、根に持たないし
あはは、明日のパンだもの
4月19日? こっちの三輪神社の「狼神事」の日。大和三輪山・大神神社から2頭の狼が春祭り(4/19)に遣わされる謎に満ちた神事で、何年か前に拝殿を見たときに、木彫りの狼が狛犬のように両脇に鎮座しとられました。
疫病封じ神事なのか、ほんとによくわかりません。疫病を封じるため分霊を移し祀らせた神社だとすればその意味合いは。。でもなんで狼なんてましょうね
大和の大神神社に狼の何か伝承でもあるのかしら。。
神社のホームページには
毎年、春の祭りに大和国御諸山(三輪山)から狼が到来し、秋祭の後に帰っていたが、元弘の頃からは不思議のある時にのみ来るようになったという伝承を受けて「狼神事」が今に伝わっている。
とだけ(^_^;)
おっと調べてみたら
狼の疫病封じ信仰は江戸時代に広まったと。ただ、オオカミではなくてお犬さまと読んで狼だったようですね。木野山神社なとも狼の疫病封じ信仰があったようにネットサーフィンしたら出てきました(すみませんざっくりです、検証はしていません)
元々のサイノカミ信仰の跡地に、
疫病封じとして分霊されたととらえ、狼はお犬さま、なのかもしれませんね。いずれもそれは最古のものではないのかもしれません。
そういえば拝殿で私がみた木彫りの狼は、どことなく犬のようでした
最古はやはり
サイノカミ信仰。
狼信仰、お犬様といえば三峯神社ですが・・・🤔
ありがとうございます。