貴船神社

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赤い灯篭の連なる参道、京都のポスターやパンフレットで一度は目にしたことにある風景です。

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水の社「貴船神社」を訪ねました。

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貴船神社は、清らかな貴船川沿いにあり、水を司る神様の社。
恋愛成就の神様としても人気のスポットです。

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荘厳で美しい本殿があります。
本宮の御祭神は「高龗神」(たかおかみのかみ)、龍神です。

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地名は「きぶね」になりますが、社名は「きふね」となります。
水の神様なので、にごってはダメなのだとか。

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本殿横には「ご神水」が滔々と流れています。

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正ににごりのない、清らかな水。
一口含むと、やわらかな弱アルカリの水が乾いた喉を潤します。

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貴船は古くは「気生根」と書き、心の汚れを清め元気になる水を意味していました。

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ご神水に浮かべると文字が浮かび上がる「水占」が人気です。

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ご神木や石庭をしばし眺め先に向かいましょう。
貴船神社はここ本宮のほか「結社」「奥宮」があります。

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「結社」に行く途中には有名な「川床」が設けられていました。
とても立ち寄りたかったけど、時間の都合上泣く泣く諦めました。

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「雪の下」が満開です。

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「木花咲耶姫」の姉、「磐長姫」(いわながひめ)が鎮座する「結社」です。

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ここ「結社」には貴船山の山奥から出土した「天乃磐船」(あめのいわふね)が奉納されています。

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苔むした「天乃磐船」。

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確かに船に見えなくもないです。

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貴船の名にふさわしい磐座。

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そしてさらに奥に進みます。

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かつての禊ぎ場だった「思ひ川」。
和泉式部もここで身を清め、恋の成就を願ったと云います。

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貴船名石の「つつみヶ岩」、

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その先に「奥宮」へと続く参道があります。

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この辺りから空気が変わるのを感じます。

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聖域中の聖域。

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門前の手水舎で身を清めて、足を踏み入れます。

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そこは、しっとりとした、水の世界。

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奥宮本殿の真下には、誰も見てはならぬとされる神聖な「龍穴」(りゅうけつ)があると云います。
大和の「室生龍穴」や岡山「備前の龍穴」と共に日本三大龍穴のひとつとされています。

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奥宮の御祭神は「闇龗神」(くらおかみのかみ)。
やはり龍神です。

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元はここ奥宮が本宮だったそうです。
およそ1,600年前、「玉依姫命」が浪速の津(大阪湾)に現れて、
「私がこの船で進み、やがて留まる処に水源の神を大事にお祀りしなさい。そうすれば、国土を潤し、人々の願いには福運を与えることでしょう。」
と仰せになりました。
玉依姫は黄色い船に乗って淀川、賀茂川、貴船川と遡り、やがて現在の奥宮の地に辿り着きます。
川の側からこんこんと水の湧き出すところに祠を建てて水神を祀ったのが貴船神社の始まりだそうです。

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本殿の横に、「権地」というものがありました。
平成23年から24年にかけて、本殿の大修復が行われましたが、
決して誰も見てはならない神聖な龍穴の上で、工事をしてはならないという伝承があり、
この権地に建物を曳き移して修復を行ったそうです。
また建物を移動させる時は、境内にいる全ての人間は、誰もしゃべってはならないとあり、全員「榊」(さかき)を口にくわえ、
龍穴は人に見られないよう、白い布で覆いながら行われたそうです。

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これは150年ぶりの秘伝「附曳神事」(ふびきしんじ)と呼ばれていますが、催行において資料が少なく、手探りの状態で苦労したそうです。
伝承では文久年間の修理の際、大工が誤ってノミを龍穴に落としてしまったそうです。
すると晴天俄かに墨の如くなり、たちまち竜巻のような突風が吹きすさんで、ノミは空中に吹き上げられ屋根に戻されました。
しかし、程なくして大工は命を落としてしまったと云います。

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この貴船神社にはもうひとつ、「丑の刻参り」の伝説も伝わっています。

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宇治にもゆかりの残る「橋姫」や「滝夜叉姫」の伝説から、貴船神社奥宮では、呪いの藁人形をつかった丑の刻参りをする人が時折いるといいます。
訪れてみると、境内の大木には藁人形を打ち付けた釘の穴が残っていました。

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「連理の杉」という御神木がありました。

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杉と楓が見事に和合しています。

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水の聖域、貴船神社奥宮の最大の神蹟は、本殿横にある「船形石」です。

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「玉依姫」が水源の神を求めて、この地に乗ってきた船は「黄色の船」だったそうです。
その船を石で囲ったものが「船形石」であり、その黄色い船が「黄船=貴船」となったという伝承もあります。

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また異伝では、船形石は「豊玉姫」御陵であるという話も聞きました。
豊玉姫の夫「彦火々出見尊」の御陵は、福井の氣比神宮の神蹟「土公」(どこう)であると云います。

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「豊玉姫」と「玉依姫」は龍宮の姉妹姫です。
志賀島に伝わる安曇族が信奉する「綿津見神」(わだつみのかみ)の姫々です。
故に水神とはとても密接な関係にあります。
ある時を境に、安曇族は海を捨て、内陸の清らかな水源を求めて各地に散って行きます。

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ここ貴船も、古の一族が求めた楽天地だったのかもしれません。

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